白馬会漫言

  • せおむ
  • 国民新聞
  • 1903(明治36)/10/10
  • 5
  • 展評

△軟風街頭のプラタン樹を吹いて、セイヌの河水為に緑濃なるの時、サロンは開かるゝなり。白露郊墟に墜ちて、東台満山の樹葉漸く黄ならんとするの際、我が展覧会は催さるゝなり。観画の季節彼は春なり、此は秋なり。彼此一年の好時期、自然の美、謳ふべく、芸能の美味ふべし。
△余は多大の嘱望と楽しみを抱きつゝ白馬会展覧会を観んとて駛り往きぬ。到り著きて、まづ其表門に驚きたり。しつくいか石膏細工なるべけれどロ-マン、ゴチツク式を模したる宏壮秀雅の石造ともみえて、ゆゝしく。上部を飾れる、美神、ラツフアエル、ランブラントのモザイツクの精巧など、我邦絵画会空前の装飾にして、斯会が第一回展覧会は唯纔かに縄暖簾をつるし置たるに比べ、其進歩発達洵に愕くべく、亦慶ぶべきなり。
△其門にして既に此の如し。況んや其裡に陳列せられたるの製作に於ては、定めて更に刮目すべきものあらんと思推し、多くの楽を以つて入場したる余は、底事ぞ底事ぞ終に失望に了らんとは。
△敢て幀幅の大なるを望まず、敢えて題目の変化なきを憾みとせず。而かも其情味の掬すべきなく、詩趣の横溢するものなき、駄作凡作の数多くを駢べられたるに至つては、寧ろ白馬会の為に深く惜しまずんばあらず。
△洋の西の油絵と洋の東のそれと、比較するの迂なるを知り、又我が歴史風土に察せず、一概に幼稚なりと排斥し去るの愚なるを知ると雖も、四五幀を除くの外、趣味に乏しきの点は蓋し否定すべからざるの事なり。
△是れ其所作の多数が初学者のものなるが故に、一画を描くに當り、如何にせば其色其形を写し得べきやといふに汲々として未だ情趣の発揮を顧るの遑なきが為なる無からんや。而して如此にして成りし作をも併せてこゝに陳列する事果して白馬会の為に得策なるや否や。
△初学者のもの悉く悪しゝといふに非ず、またこゝに出されたるもの必ずや其師の鑑査を経たるものなるべし、されど余は其監査を今一層高級にして、彼のサロンに出づれば賞なきも既に栄誉なるが如くにし、所謂一粒撰りの展覧会たるを庶幾するものなり。雀の百羽千疋も遂ひに吉光の片羽に如かず。
△いでや少く四五の所作を品隲せんかな。(つゞく)

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