東台の秋色(三)

  • 滕六
  • 萬朝報
  • 1898(明治31)/10/27
  • 1
  • 展評

ロドルフ、ヰツマンの作ハ、月夜の作を以て優なりとすべく。湯浅一郎の漁家の夫妻ハ、手 腕に一階の進歩を見る。山本幾之助の落葉掻を称するものあれど、小作雨中の耕作こそ優りたるべし。白瀧幾之助の路傍休憩の樵夫ハ、九度山に閑居して 本名を真田幸村とハ名乗らずや、気高う且優しくして、俳優の斯く扮 したるかに惑はしむ。中丸精十郎の少女枝を折る図ハ、十回未矣と叫んで猶足らず。北蓮城の田舎の葬儀ハ、再待侘びの肩を凝らさしめんとての業か、今ハ 左右言ふべきの秋ならねど、額縁に白木を用ひて、若し意を得たりとしたらんにハ、 精輝が昔語の轍に出でんかを虞る、仕上ハりうりうとならバ、慎むで大成の期を待たん而已。城勉一郎の釣魚の図、水天髣髴とハ三十六峰先生が 名句に於て見れど、其ハ遠く水平線を眺めたるの景なり、子が描き たるハ激浪岩を噛んで白沫を飛ばし、白沫迸る処白雲低く垂 る、是に於てか何れか雲、何れか水の別あるを失ひたり。水天髣髴にハあらで、水天混沌たる常闇の世とや子の眼にハ映じけん。ジユリヱツト、ヰツマンの芍 薬園ハ、退いて衣袂に花香あるかを疑ひ嗅がしむるの妙あり。安藤仲太郎の吉 野の春、仙波沼の冬と共に極めて平穏無事なり。久米桂一郎の残▲可ならざるにあらねど、農夫の方を推して以て、更に又満場の白眉とせんとす矣 。
既に白馬会と言ひ、又白布を以て満場を蔽ふ故とにハあ らねど、作物の彩色悉く白きに過ぐるやの感あり。感あるにあらで果して白かりしなりけり、抑も秋ハ白なりの意に依て然るか、或ハ其景に対 して筆を執れる時、画神白帝と相牽いて来りたるに依るか、為に場内寂寞又蕭 条たるの現象を呈して哀れなり。
又言ふ此会ハ、鎌倉見聞録 なり、東台繁昌記なり、田舎風俗画報なり、満場皆然 りとハ言はねど、多きに従ふハ議会開設より習慣の一つとなりたれバ。
何故と 言はんに、波あり岩あり砂あるの図とし言へバ、脳裡へ呼起す景の、鎌倉、片瀬、鵠沼に於て甞て記憶せるものなり、是れ鎌倉見聞録にあら ずや。池を画くや必らず蓮あり、然して皆不忍の池なり、甚しきに至つてハ、親切にも同図二葉を一人の手に物したるもあり、是れ東台繁昌記にあらずや。人物ハ馬士、樵夫、漁夫、漁童、村翁、鄙女、然して其貴顕縉紳に及びたるハ極めて希なり、是れ田舎風俗画報にあらずや。何ぞ進んで実を萬里の外に写さゞる、何ぞ坐して想を旻天の裡に練ら ざる。

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