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通弐丁目飴屋の娘ハ余の幼少の頃評判
なりしか今に現存せり 名ハますといふ
といへり その頃の流行歌「通二丁目の飴屋の娘誰にさせよか気かもめる
下戸塚村北野天神之裏
 真浄院廃寺の跡 高麗環 姓鄭名環字君受善書又善剣通称兼作往■及裙を用ふ
  覚道帰本信士 明治廿年八月十四日午後九時卒 六拾五歳
  真浄院の跡■の寺ハ麻布芋洗坂教善寺ナリ
南豊嶋郡下落合村五百六十八ばん
  高田嶋次郎方 高麗■■■
下戸塚村西百四十九番地 高麗■

八月十六日午後三時頃より大風雨 雷電
殊ニ甚し 東京落雷二拾余所といふ 妻
小鳴 蚊帳裡ニ妄頓して殆と死せる如し 
此前より数日血暈の氣味ありしハ雷後
腹瀉をなし病頓に癒ゆ 又一奇といふべし
八月十九日日食 弐時三十六分右の下より
             後かけはしめ
             三時四十八分甚しく
             四時五十弐分上り〔て〕左の間にをハる
 〔日食の進行の図6点〕 四時四十八分甚しき時


八月十九日日食
明治二〇年八月一九日、日本で日食が観測され、新潟県、福島県、栃木県、茨城県の一部が皆既帯となった。