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四月廿四日 龍池会所見 以下光琳 乾山合作ノ角皿まで
 弘法大師 前田夏繁蔵 〔図〕
 光弘 田澤ノ蔵 〔図〕丹 朱 白ロク


四月廿四日 龍池会所見
龍池会は明治期に創設された美術団体。明治一一年に佐野常民を会頭として発足。伝統美術の振興を目的として研究会を開催。国内では観古美術会、パリでは日本美術縦覧会を開催した。明治二〇年に有栖川熾仁親王を総裁に迎えて日本美術協会と改称、現在に至る。
同会の機関誌である『龍池会報告』第二四号(明治二〇年五月)には、明治二〇年四月二四日に上野公園内華族会館で開かれた総会についての記事があり、『記事珠』に記された美術品を含む出陳の次第が報告されている。

前田夏繁
前田香雪。 一八四一~一九一六。小説家、美術鑑定家。夏繁は本名。通称は健次郎。天保一二年江戸に生まれる。父前田夏蔭のあとをうけて慶応元年「蝦夷志料」を完成させた。書画鑑識にすぐれ、龍池会、東京彫工会、日本漆工会などの創設につくす。大正五年没。

光弘
土佐光弘。室町時代の画家。土佐行秀(一説に土佐行広)の子。永享二年(一四三〇)後花園天皇の大嘗会に行秀が悠紀屏風を、光弘が主基屏風を描く。嘉吉三年(一四四三)絵所預となる。中務丞、土佐権守。

田澤
田澤静雲。中村作次郎『好古堂一家言』(大正八年)によれば、越中富山の生まれで、もとは売薬の行商をして諸国を廻ったが、上京して古筆了仲の家僕として鑑定を学び、書画商となったという。