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黒田清輝と美術研究所

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 黒田の朋友で遺言執行人となった久米桂一郎と正木直彦との同件についての協議は、10月3日の後に持たれ、1926(昭和元)年12月、美術研究所設立準備委員会が設置されて、正木直彦が委員長となった。12月25日、美術研究所の事業が以下のように決定されたことが黒田記念館の「落成内披露式記録」(『資料編』241~246頁)にある正木の挨拶によってわかる。

  1. 黒田記念館建設
  2. 館内ニ黒田子爵記念室ヲ設ケ、故子爵ノ遺作ヲ永久ニ保存陳列ス
  3. 館内ニ美術研究所ヲ設置シ、美術ニ関スル基礎的研究資料ヲ蒐集、且ツ調査スルコト

 それぞれの事業の実行委員として「建築及設備」に東京美術学校建築学科教授岡田信一郎、「黒田子爵作品陳列」に洋画家久米桂一郎、岡田三郎助、和田英作、藤島武二、及び黒田の親戚にあたる大給近清、「美術研究所事業」に矢代幸雄、会計事務に打田伝吉が選ばれた。遺言どおり、黒田の所有する不動産三分の一を売却した代価が美術奨励費に充てられることとなり、その不動産は1926(昭和元)年中に三井信託に委託し処分された。開設に先立ち1929(昭和4)年に帝国美術院へ提出された寄贈の諸書類によれば、美術研究所費用は黒田記念館建設総経費13万6605円97銭のほか、諸設備や資料を整える為の物品費4万2886円65銭(黒田清輝作品等購入費2550円15銭、備品設備等2万3486円77円、図書写真等資料費1万6849円73銭)、現金15万円とあり、約33万円(32万9492円62銭)にのぼる。
 1927(昭和2)年2月1日、「美術研究諸事業」のうち美術に関する基礎的研究資料の蒐集、調査が東京美術学校矢代幸雄教室で開始され、矢代、田中喜作、青山(和田)新がこれにあたった

建設中の黒田記念館
1928年8月竣工時の黒田記念館
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