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鼎談 「「かたち」の生成をめぐって―イケムラレイコの場合」

2015年(平成27) 6月9日
於 東京文化財研究所 セミナー室
開会・あいさつ・鼎談 :15:00~16:30
質疑応答 :16:45~17:30
鼎談
イケムラレイコ
山梨 絵美子 (企画情報部長)
皿井 舞 (企画情報部主任研究員)
あいさつ
田中 淳 (副所長)
司会
小林 達朗 (企画情報部文化形成研究室長)

鼎談 「かたち」の生成をめぐって-イケムラレイコの場合

山梨絵美子
 イケムラさんとともに「「かたち」の生成」について考えるために、皆さんお集まりいただきまして、ありがとうございます。私どもは2014年の1月に「「かたち」再考-開かれた語りのために」と題した国際シンポジウムを開催しました。その時にイケムラさんに来ていただき、冒頭の対談をしていただいたのですが、時間も限られておりまして、もっとうかがいたいということもございましたので、今回の鼎談ということになったわけです。
 2014年1月のシンポジウムの時、「かたち」について、私たち美術史のなかでの語りに限らないで、もっと語りを開いていきたい。たとえば和歌などの定型詩の「かたち」をもつ文学、それからソナタ形式というものがあるような音楽、あるいは型の芸術といわれるお能ですとか、建築史、考古学の研究者も含めてお話をいただきました。
 その時の田中(当時、企画情報部長、現在、副所長)との対談では、〈「かたち」が生まれる時〉、〈「かたち」と「かたち」〉、〈「かたち」とことば〉がキーワードになっていました。今回はどちらかと言いますと、「かたち」と素材、あるいは技法という切り口でお話をうかがっていきたいと思っています。もう皆さん、イケムラさんのことはご存知かと思いますけれども、イケムラさんにつきましてご紹介をさせていただこうと思います。
 三重県でお生まれになって、大阪外国語大学でスペイン語を学ばれてから、スペインに留学なさいました。そしてスペインで美術を学ばれて、その後ドイツに移られ、今はドイツを拠点に活動しておられます。近年では、東京国立近代美術館と三重県立美術館で行なわれた、「イケムラレイコ うつりゆくもの」という展覧会、それから2014年にヴァンジ美術館で「PIOON」という展覧会をなさいました。
 鼎談させていただきますのは、研究所の皿井舞と私、山梨でございます。皿井は日本彫刻史の勉強をしておりますので、古美術との関係も含めまして鼎談をさせていただければと思います。

1. うさぎ観音, Usagi Kannon, 2013
山梨
 まず、ヴァンジ美術館で発表されました、大きな「うさぎ観音」 [1]という作品についてお話をうかがっていければと思います。これは3メートルぐらいあるテラコッタの彫刻ですが、これの制作背景などについて、お話いただければと思うんですが。
イケムラレイコ
 まず「うさぎ観音」をつくるきっかけになったというのは、やはり東北の大震災のことがあったと思います。2011年3月11日の震災の後、いろんな催しがあって、私も自分は何ができるんだろうと思って、ドイツのベルリンで展覧会を行なったり、私の仲間のアーティストにも声を掛けて、いろいろな行動を起こすという、そういうキュレーションなんかもしたんです。
 というのは、アメリカの9.11の後と前のように、私たち日本人にとって東北のことは非常に大きな事件でありました。私がドイツにいても、震災のことを非常に気に掛けておりました。ショックだったし、じゃあアーティストとして何ができるのかという命題が非常に強くあったと思います。結局、その時は自分の仕事ができなかった。そういう経過を経た後で、少しずつアトリエに戻っていくわけなんですけれど、アトリエに戻っていくというのはどういうことか。やっぱり自分の仕事を通じてしかそれに対応できないというか、それを自分の仕事の中で考えていくという、そういう立場になっていたと思います。
 1つは宇宙的なもの。昨日、女子美術大学で「宇宙からの声」という題でレクチャーを行いました。この講演内容は、やはり震災とも関係があります。というのは、あるいは人間として、日本人として、世界人としてだんだんと境界を広げていったわけです。何かが起こることによって、日本人だけの結び付きではないという、やはり宇宙的なもの。宇宙的なものに対する訴えみたいな意識があったように思うんです。
 また、東洋の伝統として観音様のような仏像がありますが、そういう彫刻に対して、私は子どもの時から親しみと恐れを抱いていました。青年の時代は、どちらかというと別のアイコンを探していたと思います。それがどうして仏像に目を向けるようになってきたのか。でも、仏像そのものではなくて「うさぎ観音」を考え出したのは、ハイブリッドな生命の「かたち」に共感するからです。大きさを大きくすることによって、いわゆるかわいらしいとかそういうものではない、もっと荘厳なるものにしたかった。それに自分の祈りを託してつくる。
 だから「かたち」というのは、自分たちが意識をしてつくるものと、宇宙的な個人を超えた力が作用して、アートとしての考えていることを実際に実現するのは私たちの意思だけではないと考えます。「うさぎ観音」には、そういう背景がありました。
2. うさぎ観音, Usagi Kannon, 2013
皿井舞
 ありがとうございます。私も去年の春、富士山の見えるクレマチスの丘、静岡県のヴァンジ美術館で「PIOON」という個展を拝見させていただいて、私も「うさぎ観音」を会場で拝見いたしました。会場にいらっしゃった方おられますか。3メートル半ありますから非常に巨大なんですね。ただ、その巨大という言葉が、その時の印象を正確には表していない語感じゃないかなと思うのですが、すごく厳かで、でも大きいからといって威圧的というわけでもなくて、何か静謐な、非常に静かなたたずまいの、そういう観音様だなと思っていたんですね。
 私は先ほど紹介されましたように日本の彫刻史、仏像を勉強しています。このスライドは、「PIOON」展の図録に出てくる写真ですが [2]、イケムラさんがお撮りになったものなんですね。
イケムラ
そうです。
皿井
 やはり観音様ということで、何か仏像の写真やそういうものにインスピレーションを得て、こういう写真をお撮りになったのですか。
イケムラ
 インスピレーションはどちらかというと、ブランクーシが自分で撮った写真です。皆さんご存じかどうか分からないですけれど、彼自身が撮った写真は、いわゆる写真家が撮る写真ではないので、はっとさせられて。何が普通の写真と違うのかは分析できないんですけれども、体のつながりだと思います。というのは、写真家のように客観的な見地から、どこからか撮影に来て、作家の作品に近づいていくのではなく、作家としては、彼が自分のアトリエで仕事をして、生活して、そしてその中から生まれてくる観察、あるいは非常に身近な瞬間というのがあると思います。その瞬間をとらえる。そうすると、技術だとか完璧性にあまりとらわれない。私も勇気を得て、では私なりの撮り方があるだろうと思いました。写真は下手でもいい。自分のしている仕事の中で感じるその瞬間を、言葉にはできないその瞬間を写真でとらえる。
 たとえばこの写真は事故なんですよね。私も時間だとかタイミングに弱いので、フィルムがまだいっぱいになってないのにカメラを開けてしまって、光がさっと入ってしまいました。でも、焼いた時にその写真の不思議さというか、ああ何かがあるんだなというひらめきみたいなものを感じたんです。
山梨
 ありがとうございます。ちょっと意外なお答えをいただきました。今日は、東京藝術大学・女子美術大学で実際に制作に携わっている学生さんも多いかと思いますので、最初にお話しましたように、技法や制作の秘密といいますか、具体的にどういうプロセスでアイデアを着想されて、どういった素材で、どうやってこの「かたち」にまで至るのかというお話なんかを中心にしていきたいと思うんです。
 大きな観音様をつくる。3メートルほどの大きなものをつくろうとすると、結構大変だと思うんですね。土をこねてそれを焼いてということになってくると、そうした大きさ、これだけの大きさがあるがゆえの苦労や工夫、これをつくるに至るまでのプロセスみたいなものを含めて教えていただければと思うんですが。
イケムラ
 この仕事は滋賀県の信楽でしました。皆さんご存じだと思いますが、信楽は焼き物で非常に有名なところです。信楽でいろんな方に協力していただきました。今回は自分1人で、個人で仕事するだけではなく、でもグループでもない。ビジョンはもちろん自分からもってきたものではあるけれども、非常によく焼き物のことを知っている杉山さんや地元のスタッフに協力してもらいました。彼らは伝統として技術的に非常にたけている。私はどちらかというと、私はスペインで美術の勉強をしたんですけれども、そこでは絵画をやっていて、彫刻あるいは専門家としての瀬戸物に関する知識はなかったのです。
 だからいつもゼロから始めて自分なりに工夫していくというやり方でずっとやってきたのですが、今回は焼き物の専門家にも助けを得ました。「うさぎ観音」は3メートル40センチあったんですね。私の背丈の大きさの2倍ぐらいで、そうすると、やはり自分1人ではできない。で、2つのパーツに分けたんですね。
3. うさぎ観音の下図, Sketch of Usagi Kannon
4. 湖のほとりのうさぎ観音,
Usagi Kannon on the lakeside in Switzerland
 たとえばこのドローイング見てください [3]。こういうドローイングで最初にスケッチして、1対1でドローイングを描いたんです。それをみんなと相談して、「じゃあどういうふうにしましょう」ということで、2つに分けることにしました。3メートル以上になるとスタティックの問題が出てくるんですよね。建築と同じで、1つの家をつくるようなものだと。
 もう1つのアイデアは穴。穴というのは、私の彫刻の中で非常に大事な要素です。その穴の要素を彫刻に入れようとしました。この場合は彫刻というよりすみかでもあると。そして母親的なもの。マザー的な。だから、体の中に入っていくというような。この彫刻ができた時に、子どもたちもみんな入っちゃうんですよ。自動的に。不思議なんです。これは同じ型からつくられたブロンズなんですが、スイスの湖のそばに設置された彫刻です [4] 。設置した時に、子どもがばあっと入っていくんです。それはやっぱり穴の不思議というか、吸い込まれるような。
 土を使うということは、非常に私たちの体に近いというか。このたびの来日の最初の日に賢島に行きました。賢島のホテルで、偶然に川喜田半泥子の本を見つけて、「えっ、私と同郷の人じゃない」と驚きました。もちろん名前は知っていましたけれど、魯山人が東で、西が川喜田というふうに。でも、川喜田が同郷人というのは自分にとって身近な発見でした。土の身近さというのはつくっている人には経験されるでしょうが、これこそ根源的なものかもしれない。
 我々が記憶する土とのなじみを感じられるし、それを人の助けを得ることによって違うプロポーション、たとえば家的なもの、こうやって身を包むような感じのものをつくりたかった。だから、外から考えるだけではなくて、内から来るような、体を包むような彫刻の観念です。普通、仏像は外から見ていますけれど、中に入っていくのはどんな感じだろうという。
 信楽って、都市自体が、みんなが瀬戸物をやっている素晴らしいところですよね。そこの研究所には、若い作家たちが来て仕事をするんです。和気あいあいとした雰囲気で、この中の何人かも仕事を助けてくれました。
5. ベイビーうさぎ, Baby Hare, 2002
 この小さい「うさぎ観音」 [5] をどういうふうに大きくつくったかというと、最初にドローイングがあって、そして次に模型をつくりました。この模型で試してみたのは釉薬ですね。その中で仕事していた神崎さんが真珠的な光沢のある釉薬を使っていたんです。その秘密を頂いて、白の観音さんじゃなくて、真珠の「うさぎ観音」をつくろうという、そういう発想がどんどん出てきたんです。
山梨
 「かたち」のところに戻りますと、観音様って優しいというイメージですよね。そういう優しさみたいなものをかたちに表そうとされる工夫とかありましたか。それとも、それは意識せずに造形化しているんですか。
イケムラ
 あまりそういうことは意識しないけれども、優しさというよりは、悲しさだと思う。感情的なものをアートにするのは非常に難しいんですね。大事なんだけど、それを「かたち」にするのは。どっちかというとキッチュになってしまうので。感情を込めて「かたち」にするけれども、それを表現するのではない。感情は大事だけれども、それをテーマにしてしまうと優しさの表現になるので、優しさの「かたち」というのはないのだと思います。
 やはり「かたち」というテーマが難解なのは、私自身は「かたち」なきところから、空白なところから始めるからでしょう。
 私の場合、言葉を通してのひらめきは大事なんですけれど、でも一般に使う言葉というのは、なかなか自分の仕事に関して話す時に難しい、恥ずかしい、そういう気持ちがあるんです。だから言葉が出るまでに長い時間がかかるので、皆さんが帰られる頃にいろいろと発想が出てくると思うんですけれど。
山梨
 今の「うさぎ観音」なんですが、上半身と下半身でちょっと質感的なところで違うと思うんですね。下半身の部分は割とスムーズな輪郭線をもっていて、上半身のほうがもっと手の痕跡というのを残した、輪郭線が割と揺れるようなものになっていると思うんです。その辺りの配慮はあったんですか。
イケムラ
 もちろんありましたね。展示場で初めて立てて、「あ、これはやばい」と思ったんです。どうしようかと思って、もう焼いてあるし、非常に経費がかかっているし、これを今崩せとは言えないし。その時になって気付いたんですよ。信楽ではみんな必死でやっていた。下のほうは、どっちかというと幾何学的なんですね。つくってる最中には気づかなかったんです。
 手の感触というのは、私にとって非常に大事なんですけれど。この手でつくるのね。確かに上のほうは自分でしたんですよ。下のほうも自分でやったところもあるんだけれど、基礎をアシスタントの方たちがつくってくれたんです。今のビエンナーレだとかドクメンタで成功している人たち、みんなアシスタントを使ってやっていますよね。私はそういうのがあんまり好きじゃないんだけれど、でも協力してもらう、心の協力という点では貴重なことでした。
 アシスタントの方たちも同じように仕事しているんだと思っていたら、やっぱり自分の手や指が残した表面やタッチとは全然違うんです。この違いをアクセプトすることができたのは、そういう事態があるからこそ思うのですが、私は完成度の高い作品をつくるというのではなく、祈りであり、託すものであるという、そういう気持ちからつくったものなんだから完成度のうんぬんではないということで。その姿、その矛盾のある姿をアクセプトした時点で、それはそれで1つの経験であると思いました。
 不完全なものに関しては、半泥子も言ってるんですよ。彼なんか無茶苦茶法師と名乗る。だから、自分なりのやり方でやる。彼は津市の出身で銀行家だったんですね。その銀行家が40歳過ぎてから仕事を始めて、土を触るということから、感覚から材質を知ることによって物をつくる、つくらせる。そういう生き方というのは非常にぴんとくるものがありました。
皿井
 私は仏像を勉強しているのですが、イケムラさんの作品を拝見した時に鑿の痕跡を残した鉈彫り像というお像を思い起こしました。昔はこういうのを未完成のものとみなしていたのですが、最近ではそういった考え方をしなくなっています。仏像をつくるということは功徳なので、この鑿のひと彫りひと彫りというのが功徳を表しているんだという考え方がありまして、そうした痕跡をわざと残しているものだと見なされています。あるいは立木観音といわれる仏像がありますが、生きている木、根っこがまだあるものをそのまま仏像にして。要は、木からそのまま仏様が生まれる様というのを表したような、そうしたアニミズム的な宗教観をそのまま示したような仏像があって。
 この後、「Tree series」という一連の作品に話を移したいのですが。

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