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蘇鉄図左隻
左隻
蘇鉄図右隻
右隻

蘇鉄と大きな岩が描かれた屛風。現状では四曲一双の屛風だが、引手跡が残ることから、当初は襖絵で、文久2年(1862)に屛風に改装されたと伝えられている。江戸時代の高松の文人である後藤漆谷(1749~1831)が妙法寺の蕪村作品を列記した「蕪村目次」の「蘇鉄並岩図四間襖八枚」に相当すると考えられよう。現在の妙法寺の本堂は昭和10年(1935)の再建になり、旧本堂は現在の庫裏と客殿の位置に南東向きに建てられていた。本図は、蘇鉄が植えられていた妙法寺の庭園に面したとみられ、旧本堂の西側の部屋、上座敷の襖絵であったと推定される。

図様は、画面向かって右の右隻に、大きな蘇鉄の樹を五株ほど、右下の地面から勢いよく生える様子を描く。蘇鉄の根元には、やや小ぶりの石があり、さらに左には、鋭角的な巨岩が据えられる。蘇鉄は全体に右から左への躍動感を見せ、それに呼応してバランスを取るように配された二つの石の位置も的確である。一方、左隻には、画面中央から大きく左右に幹や葉を広げる一叢の蘇鉄。七株ほどの蘇鉄が近く遠く配され、蘇鉄の大小や遠近を、墨の濃淡や筆触の変化で絶妙に描き分けており、それらが一体となってみなぎる生命力こそ本図の大きな魅力だろう。蘇鉄の葉をあらわす濃墨による櫛葉状の筆致と、蘇鉄の幹を描く刷毛を連ねたような横長の独特の筆触はきわめて印象的で、画面全体にリズムを生み出して効果的である。

蘇鉄図 与謝蕪村筆
重要文化財
紙本墨画淡彩
四曲屏風 一双
右隻 縦161.5cm×横361.4cm
左隻 縦161.5cm×横361.4cm
江戸時代 18世紀
妙法寺蔵

重要文化財の指定では、紙本墨画となっているが、代赭と思しき赤茶色の彩色が、蘇鉄の幹、石や巨岩の岩肌、背景など、随所に確認される。蘇鉄の幹では、淡墨と同じ横長の刷毛状の筆触で彩色し、また、背景も丁寧にモチーフを塗り残しているため、いずれも当初からの彩色と想定され、背景の赤茶色などは、陽光の表現のように見えたのかもしれない。

左隻第四扇の款記には「階前闘奇/酔春星写」とあり、その下に「謝長庚」の白文方印と、「謝春星」の白文方印が捺される。春星は蕪村の別号だが、「階前闘奇」はこの絵の題で「庭に降りた目の前にある奇妙な蘇鉄の造形と闘う(競う)」の意味、それに続く「酔」は「酔って描いた」と解釈されよう。なお、こうした蘇鉄の描き方は、大鵬正鯤(1691~1774)や鶴亭(1722~85)など黄檗画僧の先行作例が知られるほか、宝暦13年(1763)に建部凌岱(1719~74)が刊行した『寒葉斎画譜』にも掲載されており、蕪村がそれらに学んだ可能性も考えられる。

ちなみに、右隻の紙継ぎは五枚継ぎだが、左隻は三枚継ぎで、当初の襖の位置の違いが反映されたものか。また、昭和43年(1968)に「寒山拾得図」が汚損した際、本図も、右隻の巨岩や蘇鉄の幹、左隻の蘇鉄の幹や葉の部分に、油性マジックによる落書き被害を受けたが、昭和57年~58年(1972~83)度の修理で除去された。

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