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特集展示「昔語り」画稿・下絵

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  会期 2006年1月19日(木)-7月8日(土)  
     
 黒田清輝の「昔語り」と題された作品は、明治31(1898)年に完成しましたが、昭和20(1945)年に焼失しています。現在、黒田記念館では、その画稿(木炭素描)18点と下絵(油彩画)12点を所蔵しています。今回、その画稿類と関連資料を特集展示として公開し、画家の創作のプロセスを紹介します。
  黒田が「昔語り」の着想を得たのは、明治26(1893)年秋、留学から帰国した直後、初めて訪れた京都でのことでした。清水寺付近を散策していて高倉天皇陵に隣接する清閑寺にたちより、寺の僧が語った「平家物語」中の「小督」にまつわる悲恋物語を聞いたとき、黒田は不思議な感動におそわれたといいます。
 その2年後の明治28(1895)年、京都で開かれた第4回内国勧業博覧会に黒田は、留学中の作品「朝妝」を出品し、妙技2等賞を受賞しました。この作品は、ときの文相西園寺公望の斡旋で、住友家の所蔵となりました。これが縁となって、その後も住友家の援助を受けることになり、とりかかったのが「昔語り」の制作でした。全身、部分図にわたりデッサンが試みられ、さらに油彩による習作が描かれて完成作品がつくられていったのです。黒田の入念な制作過程、習作の数の多さをみても、画家として意欲にみちた時期の代表作にあげられるものでした。新鮮な環境のなかで聞いた物語の感動から出発し、物語そのものを描くのではなく、自身が感動した場を群像の構成をもって再現しようとしたのです。黒田が、帰国後、しばしば語った「本当の制作」、「タブロウ」(tableau)の試みでもあったのですが、結果としては物語に触発された現代風俗画となったのです。
 これらの画稿、下絵類は、明治29(1896)年10月に開催された第1回白馬会展に出品されました。同年、黒田は東京美術学校(現在の東京藝術大学)に創設された西洋画科の指導者にむかえられました。自らが試みたこうした作品群によって、これからの日本の「西洋画」の方向を教師として最初に示したともいえます。

撮影:鳥光美佳子(情報調整室)
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