1892.04.09
四月九日附 グレー發信 父宛 封書
御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事至而壯健今日迄ハ只書物など讀居畫の趣向など工夫罷在候のみの事にて筆を取ての勉強ハ餘リ不仕候 併し此頃ハ天氣殊外快晴全く夏の如きはだ持に相成花なども急ニ咲始候間二三日内ニ是非共何ニか描き始申度心組ニ御座候 共進會へ持ち出し候畫不幸にして二枚共はねられ申候 戰に負勝有るが如きものとあきらめ自分ハ先々平氣ニ御座候得共世間の上べのみニ氣を付くる人達ニ對してハ少し肩幅狹く相成し心地ニ御座候 久米氏も私と同し事ニて氣の毒の事ニ御座候 能く考へ候得ば當年の失敗ハ私ニ取リてハ却而藥ニ相成候事と被存申候 其故ハ之レが爲力落どころにてハ無御座候 來年こそハ一番人の目ニ附く樣ナものを描き持ち出し呉れんと云心胸ニ滿ち申候 何と申ても當地ニテ畫かきと稱し其畫ヲ以テ生活ヲ立て行程ニ相成らざれバ甲斐なき儀ニ御座候 共進會ニテ二等の賞を得何地より如何なる畫ヲ持ち出しても審査官の評議をへずして陳列品ニ加へらるゝと云迄ニ相成歸朝する樣なれバ此の上も無き好都合ニ御座候得共外の學問とハ違ヒ何ケ月學べバ何段ニ昇ると云樣ナ譯ニハ不參候間先づ名譽かれこれの世間ニ對しての事ハ全く思ハず只自分の心任せニ描き而其畫が人の氣ニ入レバ徳氣ニ入らざれハ夫レ迄の事と別ニ心配なく靜ニ勉強するが上策と奉存候 餘附後便候也 早々 頓首
父上樣
清輝拜
御自愛專要ニ奉祈候