重要なエネルギー源である炭水化物を多く含み、生きるために欠かせない「穀物」。
いまは米でも豆でも、すぐに調理できる状態でスーパーに並んでいます。
しかしほんの数十年前まで、穀物を口にするためには、実を茎から落とし、落とした実から殻を外して分け、さらに実についた
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箕は、そうした穀物の精選作業に欠かせない道具。
穀物の殻を外したあと、実と殻が混ざった状態のものを箕に入れ、煽るように振ります。
すると、軽いゴミや殻だけが風で外に飛ばされ、重い実が箕の中に残る、そんな「風選」に使われたのです。

(室町時代、白百合女子大学図書館蔵)
さて、日本には地域ごとにさまざまな形、素材の箕がありますが(全国の箕について詳しくはこちら)、山陰をはじめとする西日本を中心に、板をはぎ合わせて作る「板箕(いたみ)」を使う地域がありました。
一般に板箕は、藤箕や竹箕の形をなぞって作られます。
しかし、異彩を放つのが紀伊山地の板箕です。

この一風変わった箕は、奈良県南部から和歌山県中南部、三重県南部の熊野地方にかけてのみ見られるもの。
後に大阪南部から網代編みの竹箕が入ってくるまで、この一帯では、もっぱらこの箕が使われてきました。
おもに豆や米、粟やヒエなどの雑穀の風選に使われたというこの板箕、奥行きが極端に浅く、縁が底板の一部にしかついていない不思議な形をしています。
しかし、明治5年(1872)の農書にも同型の箕が描かれていることから、すでに近世からこの形だったらしいことがわかります。


(桂真幸氏旧蔵資料、原本所在不明)
どうしてこんな不思議な形をしているのでしょうか。
板箕は、年輪に沿って板目に剥いだヒノキを
実は紀伊山地には、三重県の尾鷲、和歌山県の本宮町請川、奈良県の十津川村大野、天川村洞川など、ヒノキ製の曲物の産地が多くあります。
板箕は、こうした曲物製作技術に連なるものとも考えられるのです。
さて、この箕の"肝”は、底板の表面に斜めに彫り込まれたミゾにあります。

箕を身体に対して斜めに持ち、少し手前に傾けて使うことで、穀物がこのミゾに沿って手前に転がり、箕の奥に留まります。
この状態で「ひやる(箕を扇ぐ)」と、ゴミや殻だけをうまく外に飛ばせるのだそうです。
一般に箕は、風選に加えて、物を干したり、受けたり、移したりする「容器」としても使われます。
しかし紀伊山地の板箕は、そんな用途にはちょっと使いづらそう。
風選に特化した箕、と言ってもよいかもしれません。
林業先進地である紀伊山地には、スギやヒノキ材は豊富にあります。
その身近な材を、必要最小限だけ使い、必要十分な機能だけを追究した形、それが紀伊山地の板箕なのかもしれません。
機能満載の現代の便利道具から見たら、いさぎよいくらいのミニマムさ、とも言えるでしょう。
執筆:今石みぎわ(東京文化財研究所)
協力:森本仙介(奈良県地域創造部文化財課)
公開:2025年9月9日