調査ノート1

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絵巻物は田中にとって敬愛してやまない鑑賞対象でした。このノートの表紙には「絵巻物1」と朱書きされ、16点の絵巻物の調書が記されています。のちに時代、流派、画題などで分類を容易にするために、ノートではなく、便箋や原稿用紙に調書を記すようになります。
調査ノート2

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ここで田中が筆写している狩野養信による模本は、長さ7mに及びますが、冒頭の漢文による御会記、御会の有様を描いた図、各人の詠んだ和歌、奥書など、詞と絵の全てを詳細に筆写しています。現代であれば手軽に写真撮影で記録をすることも可能ですが、文字や絵を手で書き留めることで、その作品の特徴をより正確に把握しようという意図が感じられます。
調査ノート3

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御会記に続き、絵の部分が写されています。「中殿」とは清涼殿の別称で、そこに順徳帝、右大臣九条道家以下31人の殿上人が集まる様子が描かれています。人物の顔など細部は省略されていますが、構図や人物の名前などを書き留めています。
調査ノート4

前ページに続き、居並ぶ殿上人たちの姿と名前、全体の構図が簡略なスケッチで筆写されています。万年筆が用いられていますが、下書きや書き直しは見当たらず、一発で早く正確に記録されている、と言えます。左端には、模写筆者の「養信」の落款も映されています。
調査ノート5

このページには左ページ上部に和紙が貼り付けられており、この絵巻の原本の筆者とされる藤原信実とその背後の藤原行能の姿が模写されています。模本とはいえ、似絵の名手とされた信実の肖像画として、田中も関心を抱いていたようです。
調査ノート6

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このページからは、詞書の第二段、九条道家による漢文の序と和歌に始まり、殿上人による和歌が記されています。この和歌会の題、「池月久明」に基づく和歌がつづられています。
調査ノート7

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月の美しさ、宮殿の庭の美しさ、そして帝を讃える和歌が記されています。中には藤原定家の和歌も含まれています。
調査ノート8

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調書にはところどころに赤鉛筆で、文字が書き込まれています。この赤い字は、養信の模本に朱書きされているものを写し取っています。調査対象に書かれている情報は全て写し取る、という田中の姿勢がうかがわれます。
調査ノート9

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奥書から、宮中に秘蔵されていた鎌倉時代の絵巻を神祇伯白川雅喬が勅許を得て模写し、それをさらに舟橋(清原)経賢が寛文8年(1668)に写したものを、さらに模写したものがこの養信による模本である、ということがわかります。田中の調書に「博物館本には其他に奥書なし」とあるのは、養信やこの模本制作時の奥書がない、ということを記していると考えられます。