| ◎一昨日余（さくじつよ）ハ元（も）と伊太利（いたりー）の造船技師（ざうせんぎし）で此砌（このみぎ）り某新聞（ばうしんぶん）の従軍記者（じうぐんきしや）として我国（わがくに）に滞在中（たいざいちう）なる公爵（こうしやく）Ｄ氏（し）と共（とも）に白馬会（はくばくわい）の絵画展覧会（くわいぐわてんらんくわい）を見物（けんぶつ）した。＠◎Ｄ氏（し）ハ専門（せんもん）の画家（ぐわか）でハない、従（したがつ）て、彼の毀誉褒貶が白馬会の諸俊秀の作品を軒輊するに足らないのハ無論の事であるが、併（しか）し或程度迄（あるていどまで）ハ油絵（あぶらゑ）も水彩画（すゐさいぐわ）も描（か）ける人（ひと）であるし、又人並（またひとなみ）の批評眼（ひゝやうがん）も持（も）つて居（ゐ）て、殊（こと）に絵（ゑ）を好（この）む事食色（ことしよくしよく）よりも甚（はなはだ）しく欧米到処（おうべいゝたるところ）のミユゼーやサロンで眼（め）が肥（こ）えて居（ゐ）るのであるから、素人評として一概に棄てたものでもあるまいと思はれる。＠◎剰（あまつさ）へ、Ｄ氏（し）が日本人（にほんじん）の油絵（あぶらゑ）を見（み）たのハ今度（こんど）が始（はじ）めであるらしいので、誰（だれ）が上手（じやうず）のやら彼（かれ）が下手（へた）のやら、更（さら）に方角（はうがく）が弁（わか）らない、其処（そこ）で黒田氏（くろだし）の作（さく）と見（み）れバ唯訳（たゞわけ）もなく随喜（ずいき）するとか○○氏（し）の作（さく）と見（み）れバ名前見（なまへみ）た計（ばか）りで拙（まづ）いものと判断（はんだん）するといふやうナ偏頗（へんぱ）の事（こと）が少（すこ）しも無（な）く、済々たる白馬会の諸名流ハ、金箔もなく、肩書もなく経歴もなく、赤裸々の侭で鑑査官の前に立つた趣があるのハ、批評の公平といふ上に最も都合のよい事になつて居る。＠◎Ｄ氏（し）が会場（くわいぢやう）に入（はい）りて始（はじ）めて曰（い）つた言葉（ことば）ハ「アゝ暗（くら）い、アゝ暗（くら）い、」其次（そのつぎ）の言葉（ことば）が「コンナ暗（くら）い絵画展覧会場（くわいぐわてんらんくらいぢやう）を見（み）た事（こと）がない…。」これハ建物其物（たてものそのもの）の罪（つみ）で、白馬会（はくばくわい）の諸氏（しよし）の如何（いかん）ともすべからざる所（ところ）であるから。余（よ）が種々（いろいろ）と弁解（べんかい）したら、最初（さいしよ）の間（あひだ）ハ成程々々（なるほどなるほど）と頷（うなづ）いて居（ゐ）たが、後（あと）で休憩室（きうけいしつ）を見（み）るに及（およ）んで、「コンナ明（あか）るい処（ところ）があるのに何故此処（なぜここ）へ画（ぐわ）を陳列（ちんれつ）しないのだ、休憩室（きうけいしつ）こそ少（すこ）しく暗（くら）くとも我慢（がまん）もせらるれ」と曰（い）つた時（とき）にハ、余（よ）も少々弁護（せうせうべんご）の辞（じ）に窮（きう）した。＠◎直言（ちよくげん）するのハ気（き）の毒（どく）なやうであるが、実際（じっさい）の処（ところ）をいふと、黒田清輝氏の作（さく）ハＤ氏（し）の眼（め）に止（と）まらなかつた。Ｄ氏（し）ハ過日大隈伯（かじつおほくまはく）と会見（くわいけん）した事（こと）があつたから、伯の肖像を示（しめ）して批評（ひゝやう）を求（もと）めて見（み）たが、一目見（ひとめみ）て頭（あたま）を掉（ふ）つたぎり見向（みむ）きもしなかつた。のみならず、第（だい）百十五号（がう）の園丁の図の如（ごと）きハ、少（すこ）し念（ねん）の入（い）つた悪口（わるくち）を叩（たた）いて居（ゐ）た（唯（ただ）一つ非常（ひじやう）に褒（ほ）めたのがあつたが番号（ばんがう）と画題（ぐわだい）とを忘（わす）れた）＠◎欧州（おうしう）三界（かい）から態々送（わざわざおく）つて来（き）たＲ.Ｗｙｔｓｍａｎの画（ぐわ）ハ、場中（ぢやうちう）でハ評判（ひやうばん）のよい方（はう）で、某々（ばうばう）二三氏（し）の如（ごと）きハ非常（ひじやう）に彼（かれ）を崇拝（すうはい）して居（ゐ）るとの事（こと）であるが、余（よ）ハ一見（けん）して其拙（そのまづ）さ加減（かげん）に驚（おどろ）き、これでも欧州人（おうしうじん）の画（ぐわ）かと恐（おそ）れ入（い）り、静（しづか）にＤ氏（し）の批評如何（ひゝやういかん）と待（ま）つて居（ゐ）ると、十目（もく）の視（み）る所（ところ）十指（し）の指（ゆびさ）す所（ところ）たいした相違（さうゐ）もないものと見（み）えて、Ｄ氏（し）も口（くち）を極（きは）めて之（これ）を罵倒（ばたう）し、汚穢物（をくわいぶつ）と迄放言（まではうげん）したので、余（よ）ハ笑（わら）ひ乍（なが）ら汚穢物（をくわいぶつ）とハ余（あま）りひどいでハないかと曰（い）つたら「ナニ？！新聞（しんぶん）への通信中（つうしんちう）へハそんな ペチースハ書（か）かぬ唯此座限（たゞこのざかぎ）りだ」と笑（わら）つて居（ゐ）た。＠◎多（おほ）かる絵画（くわいぐわ）の中（うち）でＤ氏（し）の比較的（ひかくてき）に感賞（かんしやう）したのハ、第（だい）九十二、九十五及（およ）び九十六号の景色画であつたが、余（よ）ハ其（その）作者の何人（なんびと）たるかを知（し）らない。＠◎Ｄ氏（し）が暫（しばら）く目（め）を留（と）めて視（み）たのハ、中沢弘光氏の漁夫の図であつて、「無論上出来（むろんじやうでき）とハ言（い）ひ難（がた）いが、骨格（こつかく）も筆致（ひつち）も殆（ほとん）ど申分（まをしぶん）ないから、此人（このひと）ハ将来非常（しやうらいひじやう）の上手（じやうず）になるに相違（さうゐ）ない」と曰（い）つて居（ゐ）た。＠◎お七吉三の図ハ評判（ひやうばん）が好（よ）くなかつた、画題（ぐわだい）が西洋人（せいやうじん）に分（わか）らぬからであらう（！？）＠◎三宅氏の水彩画も大持（おほも）ての方（はう）でハなかつた、悪口（わるくち）も無論曰（むろんい）はなかつたけれど。＠◎第百三十一号及（およ）び第二百二十六号（白衣肖像（びやくいせうざう））ハ場中（ぢやうちう）の白眉（はくび）であるとの評（ひやう）であつた。＠◎橋本邦助氏の小品ハ一般（ぱん）に評判（ひやうばん）よろしく第二百０四号寺の門（？）に堤燈（ちやうちん）の吊（つる）されて居（ゐ）る分（ぶん）と、第二百八十一号の絵葉書六枚とハ、殊（こと）にＤ氏（し）の注意（ちうい）を牽（ひい）たやうであつた。＠△明日ハ……新式の左母次郎＠秋皐 |
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