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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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今年(こんねん)の白馬会(はくばくわい)(四)
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| 毎日新聞 | 1904(明治37)/10/25 | 1頁 | 展評 |
第(だい)三室(しつ)、太田喜二郎氏の泉、及(および)花畠との二点優(てんいう)に人(ひと)の足(あし)を止(と)めさす絵(ゑ)である、泉ある水(みづ)は草(くさ)の中(なか)に見(み)えつ隠(かく)れつし、此(こゝ)を隔(へだ)てゝの向(むか)ふは中景(ちうけい)に榎(えのき)の木(き)らしき大木(たいぼく)あり此(これ)より緑(みどり)の草褥(くさしとね)の如(ごと)く彼方(かなた)の森(もり)に連(つらな)る樹林蓊欝(じゆりんおうゝつ)として翠色滴(すゐしよくしたゝ)るが如(ごと)き夏(なつ)も未(いま)だ深(ふか)からざる頃(ころ)か、総体(そうたい)にグリーン勝(が)ちたる方(かた)なれど遠近(ゑんきん)の説明等申分(せつめいとうまをしぶん)なく、位置亦絶好(ゐちまたぜつかう)である前(まへ)に立(た)ちて熟視(じゆくし)すれば、樹陰(じゆいん)を渡(わた)る清風襟(せいふうきん)に入(い)つて身(み)は坐(そゞ)ろに泉音潺湲(せんおんせんくわん)たる辺(ほとり)にあるを覚(おぼ)へしむる、@花畠は亦此(またこれ)に優(まさ)るとも劣(をと)らざる出来(でき)である近(ちか)く左手(ゆんで)より翠蓋(すゐがい)を翳(かざ)す林(はやし)の裾(すそ)、八重葎生(やえむぐらお)ひ茂(しげ)りて向(むか)ふの畠(はたけ)に続(つづ)く。赤黄(あかき)の花遠(はなとほ)く織(を)りなせる蓆(むしろ)の如(ごと)く咲(さ)き乱(みだ)れて居(ゐ)る畠(はたけ)を隔(へだ)てゝ稍遠(やゝとほ)くまた左手(ひだりて)よりさし出(いで)たる森鬱(もりうつ)として打(う)ち煙(けむ)つて看(み)ゆる、絵(ゑ)の位置(ゐち)、特(とく)に面白(おもしろ)く、色(いろ)は陰多(かげおほ)き丈(た)け泉に増(まさ)りて落付(おちつ)きがあつて、深(ふか)く厚(あつ)く、趣(おもむき)は真(しん)に絵(ゑ)の外(ほか)に溢(あふ)れて居(ゐ)ると云(い)つてもよい此(この)二点(てん)は慥(たし)かに今回(こんくわい)の秀作(しうさく)に指折(ゆびを)らるゝものであろう。此(これ)と並(なら)んで@中沢弘光氏 の油絵(あぶらゑ)の作品(さくひん)が掲(かゝ)げられた、第(だい)一に雛妓、明(あか)りを背(そびら)にして、懐中鏡取出(くわいちうかゞみとりいだ)して口紅(くちべに)をさして居(ゐ)る一寸可愛(ちよつとかあい)い絵(ゑ)であるが此絵(このゑ)を看(み)て第(だい)一に気付(きづ)いた処(ところ)は、写真屋(しやしんや)の絵舞台(ゑぶたい)が(大抵(たいてい))人間(にんげん)と調子(てうし)の取(と)れて居(ゐ)ないと同様(どうやう)に此絵(このゑ)の後景(バック)も、人物(じんぶつ)と其(そ)の調子(てうし)が大変(たいへん)に違(ちが)つて居(ゐ)る様(やう)に見(み)らるゝ事(こと)である中沢氏由来此(なかざはしゆらいこ)う云(い)ふ風(ふう)な絵(ゑ)は独特(どくとく)の技能(ぎのう)があるに係(かゝ)はらず此絵(このゑ)は大(おほい)に不出来(ふでき)である、顔(かほ)の色(いろ)なぞも、特(とく)に斯(か)かる様(やう)に着(つけ)られたのか知(し)らぬが、粉脂(ふんし)の斑(まだら)はげした様(やう)に、又首(またくび)から頬(はふ)へかけて、肌面(はだづら)に凹凸(でこぼこ)がある様(やう)に見(み)える為(た)めに豊頬雲鬢(ほうけふうんびん)の曲線美(きよくせんび)が全然損(すつかりそこな)はれて仕舞(しま)つて居(ゐ)る、次(つぎ)は@海辺、可成(かな)りの大作(たいさく)である、裸体(らたい)の男子引上(だんしひきあ)げられたる船(ふね)の上(うへ)に足(あし)なげ出(だ)し手(て)を翳(かざ)して、青波遠(せいはとほ)き沖(おき)の方(かた)を見晴(みは)らして居(ゐ)る、日影輝(ひかげかゞや)ける海(うみ)の面(おもて)、及(およ)び裸体(らたい)の人間(にんげん)、共(とも)に鮮(あざや)かな描方(かきかた)で甚(はなは)だ快(よ)い技(わざ)である、余程(よほど)の苦心(くしん)もあつたと見受(みう)けられる、細(こま)かに云(い)へば顔(かほ)の色体(いろからだ)の色巧(いろうま)いものである、シカシ其(そ)の労力(らうりよく)と其出来栄(そのできばゑ)とを此(こ)の絵(ゑ)が人(ひと)を感(かん)ぜしむる効果(かうくわ)に比(くら)ぶるならば、相償(あひつぐな)はぬ事夥(ことおびた)だしきものがあるであろうと思(おも)ふ。@夜及肖像二点共(とも)に前(まへ)に比(ひ)すれば余程小(よほどせう)である、夜も着想(ちやくさう)の面白(おもしろ)きより外(ほか)に一向何物(かふなにもの)をも感(かん)じ得(え)ない、只眠(ただねむ)れる子供(こども)は佳(よ)かつた、此(こ)れまでの絵(ゑ)に引(ひ)きかえて肖像画二点は実(じつ)に面白(おもしろ)い出来(でき)である、快(こゝろよ)い色(いろ)がある又肖像(またせうざう)とし云(い)へば、絵(ゑ)の技術(ぎじゆつ)を知(し)らぬ者(もの)から見(み)れば最(もつと)も面白(おもしろ)くないものであるが、此(こ)の二点(てん)は何(なん)と云(い)ふ事(こと)なしに看(み)て厭(あき)かない、氏(し)は確(たしか)に人間(にんげん)の美(うつく)しさを他(ひと)に教(おし)え得(う)る技術(ぎじゆつ)の或(あ)るものを有(もつ)て居(を)らるゝのであろう。

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