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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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今年(こんねん)の白馬会(はくばくわい)(三)
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| 毎日新聞 | 1904(明治37)/10/23 | 1頁 | 展評 |
辻永氏の作(さく)に夕景、荒れた朝の海、背戸の微雨、海辺とあつた中(うち)で、夕景は無難(ぶなん)の作(さく)背戸の微雨は色(いろ)に湿(しめ)りが描(ゑが)かれて居(ゐ)ないから一寸微雨(ちよつとびう)とは見(み)えないで陰鬱(ゐんうつ)な空(そら)の朝(あさ)かと思(おも)はるゝ、水汲(みづく)める女(をんな)の容(かたち)なども少(すこ)し曖昧(あいまい)である、海辺(うみべ)は最(もつと)も難(なん)の多(おほ)い画(ゑ)であるか一番真面目(ばんまじめ)である、前面(ぜんめん)の砂地(すなち)に地引網(ぢびきあみ)ならん干(ほ)されたる辺(あた)りは誠(まこと)によい、向(むか)ふの松原(まつばら)も苦(くる)しそうな描(か)き方(かた)ではあるが、松原(まつばら)と見(み)える、只家(たゞいへ)が無(な)くもがな、此家(このいへ)の不出来(ふでき)な為(た)めに、絵(ゑ)の調子(てうし)が損(こ)はれたと思(おも)ふ、大久保梅子氏(し)の静物二点(てん)美(うつく)しい色(いろ)が無(な)いではない調子(てうし)も悪(わる)くはないが今少(いますこ)し色(いろ)に生気(せいき)が欲(ほ)しい、竹林は竹林(ちくりん)にのみ力(ちから)が篭(こも)つて他(た)の処(ところ)の見方(みかた)が、疎(おろそ)かではないか、熊谷守一氏(し)の自画像、少(すこ)し渋過(しぶす)ぎた描方(かきかた)なれど、色(いろ)の調子(てうし)は善(よ)い、@次(つぎ)は小林鍾吉氏(し)の自然(しぜん)八点(てん)、凡(す)べて強(つよ)い濃(こ)い、色(いろ)で且(か)つ「プルシャンブリユー」勝(か)ちたる色(いろ)の癖(くせ)がある様(やう)に見受(みう)ける、風の海、は其最(そのもつと)も著(いちじる)しい画(ぐわ)で、空(そら)も山(やま)も海(うみ)も総体(そうたい)に堅(かた)くるしい書方(かきかた)で、浪(なみ)の飛沫(ひまつ)はまた際立(きはだ)ちて白渦(しろすぎ)る、色(いろ)の調子(てうし)が整(とゝの)つて居(ゐ)ない、雨後は大(おほい)に骨折(ほねをり)の作(さく)と見受(みう)けられる色(いろ)も作中(さくちう)では最(もつと)も宜(い)いが、其他(そのた)は看(み)て美(うつく)しいと云(い)ふ感(かん)は残念乍(ざんねんなが)ら起(おこ)らない、平井武雄氏(し)の稲村が崎、山(やま)の後(うしろ)に日(ひ)は已(すで)に落(お)ちたれど沖(おき)の海(うみ)はまだ夕日(いふひ)を浴(あ)びて居(ゐ)る、風(かぜ)も穏(おだや)かな七里(り)が浜湾上(はまわんぜう)の景色(けいしよく)である、夕影(いふけい)の稲村(いなむら)が崎(さき)の山(やま)の色(いろ)と半空(はんくう)の雲(くも)の照(て)りが波(なみ)に照(せう)じたる色(いろ)は誠(まこと)に申分(まをしぶん)なく巧(うま)い出来(でき)である、只中空(たゞちうくう)に夕日(ゆうひ)を受(う)けて薄紅色(うすべにいろ)の雲(くも)「へ」の字(じ)なりに際立(きはだ)ちて見(み)ゆるのが一寸邪魔(ちよつとじやま)に思(おも)はるゝ丈(だ)けで次(つぎ)の静と共(とも)に氏(し)の秀作(しうさく)であらう静(しづか)は木立深(こだちふか)き森(もり)に一條(でう)の日影洩(ひかげも)れたる図(づ)で曩(さき)の榎本氏(えのもとし)の洩れ日と同(おな)じ場所(ばしょ)でまた殆(ほと)んど同(おな)じ時刻(じこく)かと思(おも)はるゝ、洩れ日に比(くら)ぶれば木立前後(こだちぜんご)の説明遥(せつめいはる)かに上出来(ぜうでき)である、且(か)つ題意(だいゝ)は此絵(このゑ)を一層面白(さうおもしろ)く感(かん)じさせる力(ちから)があるであろう。斯波義辰氏(し)の静物(せいぶつ)、ゴム人形(にんげう)、時計(とけい)、バイオリン、扇子等(せんすとう)ゴチャゴチャと置(お)かれたるに野菊(のぎく)があしらつてある、奇麗(きれい)なもので今回(こんくわい)の列品中珍(れつぴんちうめづ)らしく売約済(ばいやくずみ)の札(ふだ)が既(すで)に貼(は)つてある、軈(やが)てはさる金持(かねもち)の床(とこ)にでも飾(かざ)られるのであろう。

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