
(岐阜県立森林文化アカデミー特任教授・森林総合教育センターmorinos勤務)
専門は林学。
岐阜県の林業センター(現:森林研究所)、林業短期大学校、県立森林文化アカデミー教授・副学長などを歴任。
造林学や林木育種などの研究・林業の人材育成と森林教育に従事。
民具との出会い
―専門家として、長年、林業行政・林業教育に関わってこられたとお聞きしています。
最初は1970年に設立された岐阜林業センターという試験場に、1983年から勤め始めました。
岐阜県では1971年に日本で初めてとなる林業短期大学校を創立しており、当時私は試験場の研究員と林業短期大学校の教員を兼務していました。
岐阜県では大学校を約30年間運営するなかで、果たして林業の担い手を育てるだけでよいのかという疑問が浮かび上がりました。木材を使ってくれる人がいなかったら、たくさん木を伐っても仕方がない。
そこで2001年に木造建築や家具づくり、環境教育や里山教育ができる人材を育成するために、大学校を「県立森林文化アカデミー」にアドバンスさせるべく、設立準備室時代から継続して関わらせてもらってきました。
―その中で民具に関心を持ったのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。
林業センター時代は造林や林木育種関係の研究員だったので、岐阜県中をくまなく歩くという特殊な立場にありました。
県内各地に行って山仕事の親父さんたちと話をする。すると面白い話をいっぱい聞くんですね。
私はダボハゼみたいなもので、どんな話題にも喰いつくので、みんな面白がって次から次へと話してくれるんです。
特に、山や生活の中で使う道具に対しては強い関心がありました。
私はずっと林業に関わっていますが、結局、道具がなければ技術も発展しない。技術を発展させるために道具を発展させているので、どうしても気になるし、道具というものは一生ものの友達として自分が納得して使うべきものだと思っているので、つい調べてしまう。
そういうダボハゼなんです (笑)。
私は生まれも育ちも美濃ですが、小さい頃、叔父さんが製材所で仕事をしていて、叔父さんの車に乗せてもらうと必ずスギのおが粉の香りがする。この香りがとても好きでした。
山にもいろいろなものを採りに連れていってもらいました。山芋掘りやマツタケ採りに行ったり、渓流でイワナやアマゴ釣りをしたり、鉄砲撃ちにも連れて行ってもらいました。
その叔父さんと自然を楽しむ中で、様々な道具に使われている樹種や木の使い方に興味を持ちました。
例えば川で魚を獲った時、どの木の枝だったら魚を焼くのに使えるか。雨の日でも燃える小枝はどの樹種かなど、そういう「生活の知恵」を知らず知らず覚えました。
私は山あいで生活する人たちの「生活の知恵」に対して、尊敬の念を持っているんです。
そうしたものはなかなか語られないし示されないけれど、ものすごい知恵や技が潜んでいる。
私がそう考えるようになったのは子ども時代に遡るのかもしれません。
中学1年生の時のクラスに、勉強があまり出来なくて普段は馬鹿にされていた女生徒がいました。でも、何かの授業で藁細工をする機会があった時に、ほとんどの生徒がどうしてよいか分からずポカーンとしているのに、その子は当たり前のようにサッサと動いて藁を槌でトントンと叩き、スルスルと藁を綯ったんです。
その時に、「あっ、この子はすごいな」とショックを受けたんです。
それこそ「生きる知恵」なんですよ。実生活では、算数や理科ができるかどうかが問題ではないと、その時にすごく思ったんです。
その頃から急に、道具とか、生活を作る上での手法とかに興味を持つようになった。その女の子のおかげですね。
学力では測れない、そうした「生きていくための知恵」「実生活と結びついた知恵」は、いまの日本ではなかなか評価されない。もったいないと思いますよね。
民具の面白さも、やっぱりそうした「生活」の面白さなんですよね。
自然環境と民具の関わり
―植物や自然環境という観点からみた時、民具の面白さはどこにあるでしょうか。
民具は自然環境と密接に関わっています。例えば、これは新潟県の雪下ろし用のカンジキです(写真1)。
雪山を歩くためのカンジキには爪があるのですが、これは雪下ろし用なので爪がなく、ネット状の網目で足を支える。どちらかというと、スノーシュー的な使い方ですね。

カンジキは、実は
例えば石川県の白山や富山県の黒部は海洋性気候なので湿雪なんです。だから立山黒部アルペンルートは、ゴールデンウィークあたり、まだ11㍍くらいの雪の壁ができている時期に早くも開通させます。
湿雪地帯の雪は海水を多く含んでいるのでそんなに厳しい寒さにならず、逆に湿雪で植物を守っている。
でも、例えば乗鞍のスカイラインはその時期にはまだオープンできない。
雪が多いわけじゃないんです。乾雪地帯だから、温度が下がって非常に危ないから開通できない。
この乗鞍みたいな乾いた雪のところでカンジキを履いても、効かないんです。カンジキをグッと踏んだ時に、乾いている雪だとスポスポはまってしまう。
湿雪地帯であればまわりの湿った雪がグジュグジュッと沈むから、カンジキが効くんです。
カンジキの材料も地域によって違いますが、岐阜県内だったらカヤやイヌガヤ、それからヒノキの枝やクマヤナギという蔓性植物、それからクロモジなども使われます。
旧坂内村(揖斐川町)では雪崩除けの呪文があって、「マエクロモジにアトボーシ」と唱えました。
カンジキの前輪をクロモジ材、後輪をヤマボウシ材で作ると、雪崩が起きそうな危ない場所を走って逃げられるくらい頑丈なカンジキができる、ということです。
雪崩除けの呪文自体が作り方の説明にもなっている、そんな知恵が潜んでいるんですよ。
カンジキを足に取り付ける際の縛り方も地域で違うんですね。
坂内では雪崩が来たら走って逃げるくらいだから、絶対にカンジキが抜けないように縛る。
けれども飛騨ではわざと抜けるように作る。足が雪にズボッとはまり込んで抜けなくなってしまうと困るから、カンジキを捨てて自分の身を守るために抜けるように縛る。
やはりそこにも地域性があって、それは多分、積雪深や雪の固まり具合によって変えてあるんですね。
素材を選ぶ知恵
―いまカンジキの素材の話が出ましたが、自然環境の違いが民具の素材にも影響していますか?
そうです。昔の人たちは、本当にありとあらゆる樹種について、適材適所的な利用特性をよく知っていて、それに応じて「選んで」きた。
なおかつ、自分のところで採れる材料をどう生かすかということを考えてきた。
そのすごい知恵が、民具には現れていると思います。
例えば糸車の糸巻きにはネジキがいいという。それは、生糸の繊維が引っ掛からないようなツルツルした材質であること、なおかつ、自分たちの身近で入手できるからです。
餅つきの杵の柄などはヤマボウシが一番いいと言ったり、石工さんが石を叩く鉄ハンマーの柄はグミがいいと言うんですね。
叩いてみたらわかります。普通の柄で石みたいな硬いものを叩くと手がビリビリするでしょう。グミ材は石をガンガン叩いても折れない弾力性もありながら、柔らかくて衝撃を吸収してくれるので手に響かない。
昔の人はそうした感覚も全部わかっていた。
林業ではブリ縄と言って、植林した木の枝打ちなどをする方たちが木登りに使う縄があります(写真2)。
縄の両端に1本ずつ棒をつけてあり、この棒の樹種も何でもいいわけではないんです。
例えばカシノキは材質は硬いのですが、棒を手に持った時の感触が冷たいため使われません。
民具の材料を選ぶ時には単に実用だけでなく、触った時の肌触りが良いか悪いか、美しいかまで選ぶんです。
だからブリ縄にはウワミズザクラやリョウブ、クロモジといった手触りもよい木を選ぶ。そこまで考えてセレクトしているんですね。
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しかも材木の木部だけでなく、樹皮も葉っぱも髄も、ありとあらゆるものを、生活の中で「民具」として使っていた。
例えばアカメガシワという木は日本全国どこでも生えていますが、葉っぱが大きいので、御菜葉(ごさいば)といって、神前にお供物を供える時に使う。
長良川の支流域にある関市板取(いたどり)という地区では、今でもこの葉で供物を供えるところがあります。
この板取地区では、キブシの髄から灯芯も作りました。
キブシは真ん中に髄と呼ばれる柔らかい組織があり、そこを爪楊枝のようなものでギューと押すと、髄がピューと出てくる。その髄を小皿に入れた油につけると、ロウソクの芯のように点火できるんですね。
―民具というと何かしら「作る」ものだと思っていましたが、葉っぱ1枚でも、人が手にとった瞬間に民具になる、民具の概念が変わったような気がします。
そう思います。今ちょうど、ムクノキの葉っぱを磨き上げに使おうとしています。木を磨くのにトクサを使ったりしますが、最後にムクノキの葉で磨くと、葉に含まれるケイ酸などで磨いた面がテカテカに光る。
これも立派な道具です。
—ありとあらゆるものを適材適所に使っていく、そんな知恵が民具を通して見られるのですね。
山あいで生活する大変さの裏返しとして、それだけの知識量もあったこと自体が、私には想像を絶する話なんです。
あるものを上手く使うという知恵
一般的に林業では、根元が曲がった「根曲がり材」はよくないというけれど、例えば白川郷の合掌造りは根曲がり材がないとできないんですよ。
あの合掌造りは、1階部分は大工が四角く造る。でもその上の2階以降はユイ(共同作業)で造るんですね。
この時、梁に根曲がり材を使って、雪の重さを分散させるようにする(写真3)。
根曲がり材がなかったら合掌造りは維持できない。だから根曲がり材が悪いということではなくて、要は、根元が曲がった木をどう使うかという「知恵の話」なんです。

—いま、ここにあるものをどう活かしていくか、という知恵ですね。
そう。例えば合掌造りでは、ネッソとかネリソと呼ばれるマンサクで屋根部材を縛ります。マンサクの繊維をバリバリに割ってそれで縛れば、乾燥過程でより強く締まるんです。
それが北陸では、ガマズミを「黒ネソ」と呼んで、マンサクと同じ用途に使う。山へ柴刈りに行った時にも、柴を「黒ネソ」で縛ってくる。
「お爺さんが山へ柴刈りに」行くのに、貴重な藁縄なんて持っていくわけがないんです。だから山で代わりになるものを探して使う。
要は、民具までいかないレベルの段階でも、自然のもの、そこにあるものをどう使うかという知恵が山の生活には生きている。
—昔の人は山に入ったら、私たちと見え方が全く違ったんでしょうね。
そうです。よくアカデミーの先生にも、「川尻さん、山に行くと絶対何か拾ってくるね」と笑われるのですが、山はただふらっと歩いただけでも宝の倉庫なんです。
「あれはこれに使える」「これはあれに使える」という、そういう「目」があるかどうかで、山の価値は全く違ってくる。山を「負の遺産」と言う人もいますが、全然違う。山には食いものはあるし、生きるための材料はあるし、最高です。
—見る「目」を持っている、そのことが重要ですね。
いろいろな材料を使うということが生活を作る上では何より重要で、その材料自体の特性をよく見極めていたのが、昔のご先祖様たちです。
例えば白川郷ではバンバやコシキ(木鋤)と呼ぶ民具で雪かきをします(写真4)。
アイスクリームのスプーンを大きくしたような道具ですが、このバンバやコシキの材として最高なのがブナです。

ブナは漢字で「橅」と書く。「木で無い」と書くように、ブナは捻じれたり割れたりするから木材としては駄目だと言われる。
でも山形市の立石寺(山寺)の本堂や、揖斐川町の横蔵寺の本堂など、総ブナ造りの建造物があるように、それはブナの目利きがいなくなった時代の人が言うことではないかと思います。
今、白川郷で展示しているコシキは大体2㍍ものですが、昔は4㍍のものがあった。
雪の積もった屋根に登って、コシキを雪にボーンと打って、それでギーッと重い雪を落としても割れない、折れない。
そういうコシキを作るためには、曲がったり捻じれたりしていない、まっすぐで長いブナ材が必要なのです。
昔は春木山といって、白川郷のおじさんたちが薪を採るために初春に山に行く。その時に目利きの親父が、「あんなブナやったらいいぞ」といってブナを選んでおく。そうしたブナはスパーンとまっすぐに割れるんです。
見た目や生育場所で木の素性がわかってしまうんですね。
だから材料採りから何から何まで、生活そのもの、その全体がものすごい知恵の塊なんです。
—春木山の時に材を探しておくというのも、生活全体が山と関わっていたからこそですね。すべてが繋がっている。
無駄なく、持続的に使う知恵
そうなんです。素材利用にしても、山を利用する人たちからすると、その素材だけが採れればいいというわけじゃないんです。もうひとつ、奥があるんです。
これは岐阜県の白川郷で編まれた、ヘンコと呼ばれる籠です(写真5)。
ヤマモミジやイタヤカエデの材を割って、年輪に沿って1枚ずつ薄く剥いで作ったヘギ材(白川郷ではヒデ材という)で編まれています。
このヘギ材を作る技術がすごいのですが、以前はヘンコを作っていた「オジイ」がいました。
そのオジイがヤマモミジからどうやって編み材を採取していたかをお話ししたいと思います。

(川尻氏提供)

ヤマモミジは山の斜面に生えますが、雪深いところなので、当然、根本が曲がって生える。
それで白川の人たちはどうするかといったら、まず根曲がりの上側(山側)部分にノコギリで3分の1ぐらい切れ目を入れるんです。
それから木の先に飛びついて、ぶら下がる。
そうすると人の重みで木の繊維がパカンと割れて、木の上側(山側)と下側(谷側)が別々に裂けるでしょう。
裂けたら、幹先の上側(山側)を鉈でチョンとはつると、山側の材がペロンと採れる(写真6)。この山側の部分だけを編み材として使います。

なぜそうするか。全部伐ればいいと思いませんか。
彼らはすごく賢いんですよ。そうやって採れば、半分以上、樹皮が残る。するとカエデの木は枯れることなく生きるんですね。
残った木は良質材としての価値はなくなりますが、積雪地帯で雪崩を止める役割を果してくれる。土砂も止める。なおかつ将来的に燃料材になら利用可能です。
つまり単に材料を採るだけでなく、「持続可能に」「様々に」利用していく、そこが知恵なんです。
白川郷のヘンコだけでなく、同じような編み籠で、滋賀県長浜市に小原籠(おはらかご)という籠があります。これは小原で銭カゴと呼ばれる籠です(写真7)。
小原では主に7年生くらいのイタヤカエデの若木を使うのですが、それも理にかなっている。

若いうちに伐るからこそ、その切り株から次の世代が芽吹いてくるんですね。イタヤも50~60年生になると、伐って株を作っても次世代の芽が育たないことが多いんです。
この更新の適期は樹種によって違って、例えばコナラだったら30年生くらいで伐れば新しい芽が育ちますが、50年生だとうまく再生できない。
だからイタヤを7年生ぐらいで伐るというのは、継続的な利用という点で大きな意味があるんです。
この材料採取からの一連の知恵と技が、やはりすごく価値があると思います。SDGsという言葉が騒がれてもう10数年たちますが、昔の人の生活はみんなそれだったんですね。
—ある意味で、非常に合理的でもありますよね。
そうです。それに採取だけでなく、製作技術にも合理性があります。
この編み籠と同じような技術で作られるのが、飛騨の旧宮村(高山市一之宮町)で作られる宮笠です(写真8)。
色の濃いところがイチイの木、薄いところがヒノキを剥いだ材で、頂点には補強としてサクラやミズメの樹皮が入れてあります。
宮笠は、今は機械(カンナ)で作った材を使って編みますが、昔はこれも小原籠やヘンコ籠のように手で1枚ずつ剥いだヘギ材で作っていました。

この宮笠を手で持ち上げるとすごく軽いのがわかりますかね。竹笠だとこんなに軽くはできない。
そして光にすかしてみると隙間がチラチラと見えるでしょう。
手で剥いで作った材は、これぐらいの小さな穴だったら水の表面張力で雨がほとんどしみてこない。雨が表面を流れ落ちやすいので水の弾きが違う。材が濡れないんです。
一方、機械で剥いだ材は、無理に削って組織を壊すので、どちらかというと水を吸収する。吸収することで膨張して穴を塞いで、やはり雨をしのいでくれるのですが、昔の手で剥いだものは水を含みづらいから軽いままなんです。
それから機械で作ったものと比べると、人の手で剥いだものは、やはり肌触りも違う。ツルツルとしていて見た目も美しい。
こうした合理性、形の美しさが、昔の民具にはありますね。無駄な形がない。
先ほど紹介した銭カゴでも、絶妙に口が作ってあって、手は入るけれどもお金は落ちない。
美しさの中にちゃんと実用性があるのは、民具のすごさではないかと思います。
民具を活用していくために
生活するために必要な、そうした山の知恵や技術を、民具を通してもう1回復活できるとすごくいいなと思うんですね。
それはもうほとんど失われていますよね。70代・80代の人でさえ、そういう知識がなくなっている。時代の流れの中で、そうした過去のものを捨てて新しいものに飛びつかなくてはいけない時代を過ごした人たちですから。
僕たちも、そういうものに価値を見いだして保存してこられなかった。それが非常に惜しいです。
それにどこの民俗資料館でも残念なのは、民具を題材にしたツアーをしたり、解説できる人たちが少ないこと。それはすごく問題です。
―なかでも素材に関しては意識されることが少ないように思います。例えば、木で作られた小原籠のような籠に、「竹籠」というキャプションがつけられていることがよくあります。
そうそう。私はいつも、「“竹”じゃなくて、何ダケなの?」と聞くのですが、たいていわからないんですよ。
でも、マダケなのかスズタケなのかチシマザサなのかがわかるだけで、「あ、あの辺で材料が採れたのか」ということがわかってくる。
面白いのは、ある地域では標高300㍍くらいのところでシラカバ材の民具が見られる。そして、昔はここにシラカバが生えていたと言うんですね。
でもいまはそこより約700㍍くらい上がらないとシラカバは生えていない。
このように材料を追うことによって、昔はこの植生も可能だったということがわかってくるものもある。
材料を知るだけでわかる過去もたくさんあるんです。
—民具研究の側がきちんと素材まで追うことで、他の分野の方が研究成果を使ってくれるようになるということですね。
そうです。引用として使われると民具の価値も上がります。
かつ、同じ素材でもこういう使い方をしたら長持ちするけれど、こういう使い方だと長持ちしない、ということがある。私はそこを知りたいです。
先人たちの知恵が、いまはもう絶えてしまってわからなくなってきています。でも、もしも何か究極的な状況になって現代の便利なものが何もなくなってしまった時には、「これはこう使える、これはああ使える」、そうした知恵が生きるはずなんです。
それに、昔の人たちが持っていた自然に対する畏敬の念が、いろいろな民具の中には込められていたと思うんです。それをやっぱりちゃんと知ってほしいし、繋げてほしい。
それが伝わらないのは残念だと思います。
【民具に関わる主な著作】『「読む」植物図鑑』vol.1~5 全国林業改良普及協会 2007~2020年
インタビューを終えて
インタビューを通して再認識したのは、かつては人々が、自然を含めた「世界」の成り立ちについて十全に知り、具体的に繋がっていたということ、そして自分の「生きる」に直結するからこそ、身の回りの自然を大切にする必然性もあったことです。
ひるがえって現代における「世界」は際限なく拡張し、ゆえに部分は見えても全体を見通すことが難しい時代。
私たちは誰がどうやって作ったのかわからない食材を食べ、壊れたら自分では修理できない道具を使い、知る必要もない情報の海で溺れながら、けれども物知り顔で暮らしています。
知識としてのSDG'sは知っていても、実践としてのSDG'sにはなかなか繋がらない、そんな時代です。
あまりに道具が便利になり、たやすく入手できるようになると、「ここにあるものから、何ができるかを考える」という発想もなかなか持てません。
道具が進化すると人間が退化する、そんなことも感じました。
そんな私たちが、「暮らしの達人」たちが作った民具を読み解くのは至難のわざ。
ですが、そこがこの上なく面白いところでもあります。そこには人が生きるために必要なヒントが詰まっているはずなのです。(今石)
取材日:2025年8月4日
語り手:川尻秀樹
聞き手:今石みぎわ・榎美香
編 集:東京文化財研究所無形文化遺産部
公 開:2025年9月