穀物の穂からモミを取り外す千歯扱ぎ(せんばこぎ)。
江戸時代から昭和時代にかけて日本の各地で用いられた脱穀用具です。

江戸時代(石川県立図書館蔵)
全国的に使われたのは、歯の断面形が長方形(に近い形)のタイプで、稲と麦の脱穀に使われました。
一方、瀬戸内地域で使用されたタイプは、歯の断面形が円形で、麦の脱穀に使用されました。

明治30年、香川県高松市(瀬戸内海歴史民俗資料館)

明治中期~昭和前期、香川県東かがわ市引田(瀬戸内海歴史民俗資料館蔵)
どちらのタイプにも麦用がありますが、麦用は歯の間隔が3mmです(稲用は1.5mmと狭い)。
また、どちらのタイプも、明治時代に開発された足踏脱穀機が広く普及した昭和時代初期には、脱穀に使われなくなっていきました。
ですが、香川・広島・和歌山などでは昭和30~40年代まで千歯扱ぎが使用され続けました。
その用途は、蚊取線香の原料などで使われる除虫菊の花弁摘みという新しい役割でした。

昭和30年代、香川県高見島(個人蔵)
瀬戸内地域は除虫菊の全国有数の産地であり、水が乏しい沿岸部や島しょ部で盛んに生産されていました。
いくつもの生産地で春の終わり、咲き誇る除虫菊で一面が真っ白に染まり、白雪に覆われたようだったという話が伝わっています。

昭和30年代、香川県高見島(個人蔵)
瀬戸内地域で使用された麦用の千歯扱ぎは、歯の間隔が除虫菊の茎より少し広く頑丈で、花弁をまとめてこそぎ取ることができたため、花弁摘みに転用されたのです。

昭和前~中期、香川県仁尾町(瀬戸内海歴史民俗資料館蔵)

こうした転用品だけでなく、花弁摘みの専用品も作られました。
例えば「改良菊扱□扱特製品」と墨書されたもの。


この製品は歯の先端が斜めにカットされ、歯先の間隔が広くなっています。
これにより歯先の隙間に花弁が入りやすく、摘み取りがスムーズに行えるように工夫されています。
こうした専用品の開発・改良には、除虫菊の栽培に携わった人々の、収穫作業の効率向上に対する思いが垣間見えます。
執筆:長井 博志(瀬戸内海歴史民俗資料館)
公開:2025年8月6日