舟のへさきには細い糸がつながっていますが、写真では糸がカゴに収納された状態です。
これだとまだ、どうやって使うのか分からないですね。
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カゴに中の糸をほどくと、ところどころに等間隔で紅白に塗った木の棒と短い糸についた釣り針がついています。
そう、これは魚を捕まえる延縄(はえなわ)の一種で、「ボラ流し」という漁の道具なのです。
風上からこのおもちゃのような舟を流すと、小さな帆に風を受けて延縄を引きながら風下に向かって進んでいきます。
目指す獲物はボラです。
ボラは海水にも淡水にも適応できる汽水魚です。
昭和初期頃まで5月から9月にかけて、海から利根川へ、そして印旛沼へとたくさんのボラがのぼってきたそうです。
群れを作って水面近くを泳ぎ回るため、これを狙った漁法が「ボラ流し」です。

小さな舟は、漁をする人が木の板や篠竹などで思い思いに工夫して作ったそうです。
帆には薄い板やセルロイドの下敷きなども用いられました。
また舟底にはカスガイを打ち、重みをつけて転覆しないようにします。
この小舟の船尾側につける長い1本の糸は「ミチ糸」と呼ばれます。
シュロなどの繊維を20~30間の長さに綯ったミチ糸に、枝針(エダバリ)のついた口縄(クチナー)を25~30本ほど垂らします。
水面近くを狙うので、口縄の長さは短めで、通常は10~15㎝程度でした。写真のものは更に短いようですね。

ミチ糸を浅いカゴにきれいに巻いて入れたら(本物の)船に積み、ボラがいそうなところで船尾から流します。
餌にはミミズやイナゴの幼虫をつけました。
邪魔になる水草がなるべく生えておらず、沼底が砂地のところがボラ流しに適しています。
ミチ糸の片方の端を手で持っていて、手応えがあったら、たぐって寄せました。
再び仕掛ける時、一般的な延縄だとまた自分で船をこいでいかなければなりませんが、先頭に帆のついた小舟がついていれば、川面の風を受けて何度でも自走し、糸を張ってくれるのです。
かわいい小舟が水面に浮かぶボラ流しの風景は印旛沼の夏の風物詩でしたが、大正11年(1922)の印旛水門完成後は次第に遡上するボラが少なくなり、昭和の中頃にはこの漁も姿を消しました。
ボラは傷みが早いため市場にはほとんど出回りませんが、きれいな水で捕れたボラは臭みも無く、刺身にしても塩焼きにしても大変美味と言われます。
また、成長に応じてイナ→ボラ→トドと呼び方が変わる出世魚です。
「トドのつまり」という言葉もこの魚から来たといわれています。
イナは湧水箇所など泡が立っている所に寄ってきて口をパクパクするため、アワクイとも呼ばれます。
江戸時代後期に赤松宗旦(そうたん)が記した紀行文『利根川図志』には、印旛沼の沖合に「佐久知穴」という湧水の穴があること、そしてここに集まって来るイナを目当てに、友人たちと投網を持って船で繰り出した時の様子が描かれています。

(国立国会図書館デジタルコレクションより)
先に漁をしていた親切な漁師が、宗旦たちにイナをご馳走してくれました。
船上でさばいた刺身の酢味噌和えは「その美味なることいふべからず」であったそうです。
宗旦達は結局、漁師から一網分を貰って帰ったところ、120~130匹も入っていたとのことですので、いかに多くのイナ・ボラがいたかが分かります。
参考文献:芦原修二1987『川魚図志』(改訂増補版)崙書房
執筆:榎美香(東京文化財研究所)
公開:2025年8月19日