◆ イザイヘーショーを彫る(3:31)

1978年12月16日 沖縄・久高島

 イザイホーの三日目の朝、神女たちの男兄弟が供物として、スジ(餅粉を水で練ったもの、シトギ)をトゥンチグヮーの軒下に供える。そのスジを入れる椀がイザイヘーショーである。この映像では、一人のナンチュの父親(ニーブトゥイという男性神職者でもある)が15センチほどの丸太(デイゴの木)の断片の内部を削り、イザイヘーショーを制作する過程が記録されている。椀の内部は、刃の湾曲したヤリガンナで丸く削る。その後、鉈で外側の余分な部分を切り落とし、ノミで成形する。最後にヤスリで表面を研き仕上げる。

 

◆ イザイ花をつくる(3:29)

1978年12月16日 沖縄・久高島

 3日目は、シュー(朱)リキアシビ(朱づけ儀礼)、ノロと神女たちが、ニーチュ(根人)から神女としての認証を受ける儀礼が行なわれる。シューリキアシビは、花さしアシビとも言われ切り紙でつくった花は、イザイホーの祭りにとって重要な意味をもつ。この映像には、3日目の儀礼に神女、男性神役の頭にさすイザイバナを作る過程が記録されている。イザイバナは赤、黄、白色の紙を細長く切って竹串に糸で巻いて作る。赤は太陽、白は月、黄は地をあらわしているとも言われる。イザイホー三日目、ナンチュをはじめノロ、根神、ウメーギ、ハタ神たちはシルサージ(白ハチマキ)に二つのイザイ花をさし、男性神役たちは一つずつ耳にはさむ。

 

 

◆ イラブー採捕とバイカン(54:35)

1978年11月~12月 沖縄・久高島

 イラブーとはエラブウミヘビのことで、旧暦6月頃から旧暦12月頃までの期間、久高島の沿岸に産卵に来る。久高島ではイラブーを燻製にすることをバイカン(焙乾)とよび、それをおこなう小屋はトゥンチグヮー(殿内グヮー、バイカンヤーとも呼ばれる)である。トゥンチグヮーは久高ノロの始祖とされるタルガナーの住居でもある。1978年当時イラブーの捕獲は、主に女性たちが行っていた。真水を求めてやってくるイラブーを暗闇の中で待ち構え、手づかみで捉える。ガマ(洞窟)の近くには、待機や休息のための仮小屋があった。捉えたイラブーは久高ヌン殿内の庭先の保管小屋に保管された。120匹ほど溜まるとウドゥンミャーに運ばれてバイカンが行われる。イラブーを袋から取り出し、スパナでたたき、気絶させる。気絶したイラブーを水洗いし、燻製小屋の中の大鍋の熱湯にいれる。最初は30秒ほどで取り出し、蛇の鱗を古い漁網でしごいて取除き、排泄物を絞り出して、再び水洗いする。二度目は、10分近く茹でる。茹でる時間はイラブーの大きさと量で加減しなくてはならない。茹でたイラブーを引き延ばしたり、巻いたりして燻製の準備をする。燻製小屋の中の火床の上には、高さを調節できる簀の子が2段取り付けられており、棒状あるいは巻かれたイラブーを並べていく。並べ終わると、火床の四隅にお神酒を捧げて、燻製が上手くいくことを祈る。準備が整い着火すると素早く小屋を密閉する。燻製材は一日半で燃尽きるためその後、2回、火床づくりが繰返される。そして簀の子の上のイラブーは縮んでゆくので、並べ具合を調整したり、棚の高さを調整する。バイカンの完成まで6日かかる。6日後に釡出しが行われ、バイカンに参加した全員が集まる。燻製されたイラブーをたわしで磨き、煤を落とし、見栄えを良くする。イラブーの価格は重さで決まるので、正確に計量され記録に残される。売り上げは、ノロ家と二組のハッシャに公平に3等分される。

 

◆ ウプティシヂ香炉の継承②(12:14)

1978年12月14日 沖縄・久高島

 イザイホーの第一日目、旧暦11月15日、ナンチュ(神女集団への入会者)たちは西海岸沿いにあるイザイガー(禊をする井泉)で禊をする。その後、ナンチュの家では、ウプティシジの継承が行われる。ナンチュの家のティンユタ(各家庭の司祭者)は家人と祭具の準備をする。禊をおえた女性は洗い髪を長くたらしている。ティンユタは火の神、トゥパシリ、床ヌ神(床の神)にウコウを供え、ウプティシジの香炉を迎えに行くための祈願を行なう。ナンチュは、白サージ(白ハチマキ)とウコウ(御香)、移動用の香炉を持ち、司祭者のティンユタに従い母方の祖母の家に行く。ティンユタは同家の火神、トゥパシリ、床ヌ神に祈願する。ティンユタはトゥパシリの香炉の灰を三回仮の香炉に移し入れ、移動用の香炉にウコウも移してナンチュの自宅に戻る。祖母の香炉の灰をナンチュの香炉に移すことによって、祖母のウプティシジを継承することができる。母方の祖母のカミを継承することによって、神女集団に入会する資格が得られたと考えられるのである。

 

◆ ハンジャナシー1977(11:33)

1977年 沖縄・久高島

 ハンジャナシーは、旧暦4月、9月の年2回、ニライカナイから神々を迎え、集落内を祓い、豊穰を呼び込むために行われる。祭りの中心となるのはアガリウプヌシ(久高ノロが代行)とアマミヤハンジャナシーの神々であるが、この年にはアマミヤハンジャナシーの神は不在である。映像は、ハンジャナシーの3日目、アガリウプヌシ(久高ノロ)、ヒチョーザ(雷の神)、ファーガナシーヌクヮガミの神々を中心にヤジク(神女集団)が回りを囲み、神遊びをしている。外間拝殿の儀礼が終わると、神女たちは、集落を祓ってまわり、ユランヌハマ(琉球時代には、聞得大君専用の舟着き場といわれる)まで行き、ニライナカイに向かって神招きを行なう。その後、久高側の神女と外間側の二手に別れ、集落を祓い再び外間殿に戻る。映像の後半は、ハンジャナシー4日目、ニライカナイの神々が舟に乗って去る様子が歌われる。アガリウプヌシ、ヒチョーザの神々を先頭に、ヤジク(神女集団)は二人一組になり、舟漕ぎ儀礼を行なう。

 

◆ フバワク(23:19)

1978年12月 沖縄・久高島

〈フバワク行事の概要〉
 フバワクは、旧暦十一月ミンニー(壬、癸、甲、乙の日)に行なわれ、国神(両ノロ、ウメーギなどの久高島の祭祀の中心となる神役)、ヤジク(祭祀の中核を担う神女)が、御獄を回り一年が無事であったことを感謝し、神女組織を再編する(ソージヤクの交代式とテーヤク儀礼)儀礼を行なう。フバワクのフバは、沖縄で神木とされるクパ(蒲葵)のことである。フボー ウタキでは、ナンチュ(イザイホーで成巫儀礼儀礼を受け、新たに神女となった女性)がソージヤク(ナンチュの次の段階。祭りの雑事全般を受けもつ)になる新旧ソージヤクの交代式と、七十歳を迎えたタムトゥ(六十歳~ 七十歳。神女組織の最上位段階)のテーヤク(引退)儀礼も行なわれる。
イザイホーは、十二年に一度、午年に行なわれ、久高島に生まれ、久高島の男性と結婚した三十歳から四十一歳の女性が、シマの祭祀組織に加入する儀礼である。そして、ナンチュから、ヤジク(四十代)、ウンサク(五十代後半)、 タムトゥ(六十歳~七十歳)と年齢が進むにつれ、祭祀における役割も異なり、七十歳になるといっさいの祭祀行事から引退することになる。

 1978年の映像記録は、イザイホーを記録することが主な目的であり、フバワクの行事の記録については参考資料として撮影されたもので、行事の詳細な記録とはなっていない。しかしながら、イザイホーの組織に加入したナンチュたちが、その後、どのように神行事にかかわっていくのか理解する助けとなる。とくにこの映像でソージヤクの行動(フバを刈るなどの祭場の準備)がおもな対象となっているのも、記録者にこのような意図があったのではないかと推察される。映像とは別に音声も記録として残されてはいるが、まだ完全に映像と音をあわせる作業はなされず、時系列に編集し直すのことも今後の課題である。この映像では、祭祀過程が時系列には編集されていないため、映像の時間を記載し、内容についての説明を行なった。
 なお、祭祀の場所、神謡、儀礼の内容については、以下の映像、文献、調査記録を参考にした。
ヴィジュアルフォークロア(代表北村皆雄)久高島の年中行事「フバワク」 1982年
比嘉康雄『神々の原郷 久高島 上巻』第一書房 1993年 
三島まき「沖縄・久高島の「フバワク」ー祭祀歌謡に見られる「ヤジク」を中心にー」『沖縄学』12号 2009

 

◆ 家庭での調理(21:20)

1978年12月 沖縄・久高島

 イラブー料理は、燻製にしたウミヘビを使った伝統料理で、特にイラブー汁が代表的な料理である。久高島では神聖な食材として扱われ、琉球王国の王族や神職にとって特別な食事とされてきた。王府解体後は、那覇の市場でも販売され、現在でも、沖縄の一部地域で伝統料理として提供されているが久高島では、家庭料理として食されている。この映像には、民宿の主人がイザイホーを撮影したカメラマン二人にイラブー汁をつくり、試食させる様子が記録されている。イラブー汁の材料は、昆布、大根、ソーキブニー(豚のあばら肉)である。イラブーをお湯で洗い柔らかくし、15センチほどの長さに切る。豚肉も湯で洗う。昆布と大根をゆで最後に合わせる。昔は、那覇市の市場でもイラブーは見かけたが、現在は料理をする家庭は少なくなっている。この映像は、久高島でイラブーがどのように料理されていたか知ることができ貴重な記録である。

 

◆ 初収穫を祝う(14:16)

1979年秋 沖縄・久高島

 1979年の収穫感謝。9月のハンジャナシーの供物には、イラブーが供えられ、祭祀の中心となるのは、久高ノロである。収穫感謝祭は、トゥンチグヮー(燻製小屋)の隣にある神アサギで行われる。イラブーを水洗いした後、下ゆでする。コンブは7つほど結び目をつくる。山盛りにした二椀のご飯が供えられ、久高ノロがトゥンチグヮーの中に祀られているタルガナーの香炉に祈願をする。下ゆでしたイラブーを9センチほどの長さに、豆腐は賽の目に切る。二段重ねの米飯(ウルチとモチ)はサンニン(月桃)の葉で巻かれる。トゥンチグヮーの前で神職者たちがコの字型に座る。神職者たちには、サンニンの巻かれたご飯、イラブー、コンブ、豆腐の盛りつけ、アーサ汁の高膳がふるまわれる。神職者たちはイラブーの収穫を感謝し、大漁になることを祈願する。高膳が下げられると盃事が始まる。アワモリをいれた盃がハッシャから神職者へ渡され、神職者はそれを飲む所作をする。次に神職者からハッシャへ盃が返され、ハッシャも同様の所作をする。神職者はハッシャに漁の安全や大漁などを祈願する。イラブーとピザイサンニ(米飯の供物)は、ハンジャナシーの神々にも届けられる。月桃には殺菌効果があり、保存の目的もあると考えられる。イラブーが王府への献上品であることから、米飯も長時間の移動を想定しサンニン(月桃)が巻かれていると推察される。

 

◆ 二ーブトゥイのティルル+首里城+久高島(4:27)

1978年12月16日 沖縄・久高島

 イザイホー3日目、男性神職者のニーブトゥイ(ニーブは柄杓の意味、久高島の年中行事では神酒をつぐ役割)は太鼓をたたき神謡をうたう。神謡の概略は、神女たちにニライカナイからの舟を航海させることをうながすもので、船はターキビシ、ユアラビシなど久高島の北方の海から久高島のカベールなど久高島の聖地をまわり、対岸の沖縄本島、斎場御嶽、与那原を巡り、首里城を訪れる。久高島の祭りに首里城がうたわれるのは、ニライカナイからの神の霊力を首里城までとどける役割を神女たちが果たしていたと考えられる。

 

◆ 燻製材づくり(16:48)

1978年12月 沖縄・久高島

 久高島の祭祀の世話役であるハッシャは、翌年のイラブーの燻製作業の材料を1年前から準備する。ハッシャの家族(妻と息子)がピザ浜で乾燥したモンパの木の葉を袋につめる。ハッシャは、自宅の庭でアダンの実を分け、ほぐす。アダンの実は、燻製小屋の燃料として使用する。これらの材料は廃車となった車を倉庫がわりに使用している。映像のモクマオウは、材質が堅く燃えつきるまで間を要するため、燻製を行なうには適した材料である。ほかに久高島に自生するヤラブ(テリハボク)などが燻製の材料になる。