
太布とは
太布とは、コウゾやカジノキの靱皮(樹皮の内側の繊維)を原材料とする布のことを指します。
固く丈夫な生地で、おもに仕事着に仕立てられていました。
かつては山間地で広くつくられ、衣料や日用品に使われていた布だったのですが、現在製作技術が継承されるのは、徳島県那賀町木頭和無田のみです。
その技術は、重要無形民俗文化財「阿波の太布製造技術」に指定されていて(2017年)、阿波太布製造技法保存伝承会によって継承されています。
この太布を形容して「自然布」や「古代布」と呼ぶことがあります。
文字通り「自然」から採取した草木を材料としていて、化学繊維や木綿などが普及する以前からつくられ、使われていたとされるからです。
沖縄の芭蕉布、静岡の葛布、新潟や山形のしな布、アイヌ民族のアットゥㇱなどもこの仲間です。
かつて民俗学者の柳田國男は『木綿以前の事』のなかで、江戸時代に木綿が普及する以前にはアサ、フジ、シナ、オヒョウ、カラムシ、イラクサ、コウゾなどの多様な植物の靱皮繊維を利用し布をつくる文化があったことを紹介しました。
そのなかでコウゾなどを材料とした四国山地の太布にも注目しました。
現在の太布の製法
太布は、①コウゾ靱皮の採取、②糸づくり、③機織りの工程を経てつくられます。
①コウゾ靱皮の採取
現在は、畑で栽培されたコウゾを1月中旬に刈り取り(写真1)、同じ長さに切りそろえて束ねます。

この後、水を入れた釜のなかに立て、上から大型の甑をかぶせて2~3時間蒸します(写真2)。この作業をカジ蒸しと呼びます。
コウゾの皮を剥ぎやすくするためです。
コウゾを蒸し終えると皮をはぎ、さらに灰汁で炊いた後、槌でたたき、籾の上でふんでオニカワ(外皮)をはぎ取ります。
その後、川の水でさらしたり(写真3)、川原で干して凍らせたりするなどの作業を数回繰り返します。

(磯本撮影、2026年1月)

(磯本撮影、2026年1月)
②糸づくり
こうして採取したコウゾ靱皮は乾燥した状態で保管されます。
この靱皮を手で細く割き、長い糸にするために績んでいく作業が糸づくりです。
実はこの作業が太布製作の大半の時間を占めるのです(写真4)。

③機織り
経糸、緯糸の糸づくりが整うと、地機に経糸をかけ、布に織っていく作業になります。
サシコシと呼ばれる大型の杼で緯糸を織り込んで布にします。
失われた技術を示す資料、木綿
かつてはもっと多様な製法や材料があったようで、「太布」という言葉の指す意味ももっと広かったようです。
たとえば、夏に蒸さずに生はぎで樹皮を採取していたこともありました。
また、コウゾだけではなく、カジノキやフジ、アサなどからつくった布も太布と呼んでいたようです。

戦時下で物資不足のため木綿反物が入手できず、それ以前に使っていた太布を使って山仕事に使う作業着として仕立てたものと伝われる。

現存する太布製品には、上衣(写真5・6)や袴(写真7)、襦袢、前掛けなどの衣類、仕立てる前の反物、その他穀物袋(角袋)や背負い袋、漉し布、畳の縁布などがあります。
いずれも固く丈夫で、目の粗い太布を使っています。

では、写真8の布はいかがでしょうか。
一見するとほかの太布製品とは全くちがうもののように思われます。


この資料は「木綿」というもので、徳島県美馬市木屋平にある三木家から寄贈してもらったものです。
三木家は、歴代の大嘗祭で麁服を貢進してきた家です。
この資料は、同家の先々代が明治時代以前の麁服と同じ材料を使ってつくった反物の一部で、1941年に忌部神社(徳島市)に献納するために織られた反物と同等品であると伝えられています。
東京文化財研究所に依頼し、顕微鏡観察をしてもらいました(写真10 左)。
その結果、材料にしたのはコウゾであり、それも樹脂分をほとんど含まない精製度の高いコウゾとの評価をしてもらいました。

(撮影 東京文化財研究所・西田典由)

(撮影 東京文化財研究所・西田典由)
現在、同じコウゾから「木綿」のような布をつくる技術はありませんし、長年太布づくりに取り組む保存会や太布工芸作家ですら、その製法がわからないのです。
とはいえ、過去の技術で織られた布が現存したからこそ、その存在を知り、その製法を探求する出発点に立てたのです。
そのなぞが解決するとき、人類はまたひとつ、過去の知見と技術を取り戻すことができるのだとすれば、この資料はその源泉であるといえるのです。
執筆:磯本宏紀(徳島県立博物館)
公開:2026年10月1日
