三富 章恵さん

(みとみ・ゆきえ/NPO法人アーツセンターあきた事務局長)

油谷コレクションと1/1000プロジェクトについて

―まず油谷満夫さんについて教えてください。
油谷さんは昭和9年(1934)のお生まれで、今年91歳になられます。
横手で米屋や印刷業を営む傍ら、昭和25年(1950)から70年以上に渡って、生活に関わるあらゆるものを、東北全域から収集されてきました。

写真1 油谷満夫さん。手に持つのはマタギの頭領のみ被ることができたという被り物


昔の農具やケラ(みの)、籠、日常着のような、いわゆる民具はもちろん、郷土玩具、書籍や雑誌、チラシ、食品パッケージ、それからゲームセンターにあったゲーム機のようなものまで、本当にありとあらゆるものが収集されています。時代も本当に様々です。

それまでに収集した50万点のうち、約20万点は2013年に秋田市に寄贈され、市の有形民俗文化財に指定されています。
それが廃校となった小学校(旧金足かなあし東小学校)に納められたのですが、その展示・保管施設の管理団体として、同年に、油谷さんを理事長にした「NPO法人油谷これくしょん」ができました。

この20万点には目録がなかったので、指定から10年間は市の委託事業として油谷さんが毎日そこに通い、スタッフと一緒に資料に番号をつけ、目録を作るということをやりました。
2023年度からは活用に向けて動くべく、民間の会社が業務を請け負って、昨年から中心市街地で展示を行ったり、貸し出しをしたりということを始めています。

―「1/1000油谷コレクション」はどういう経緯で始まったのですか。
油谷さんとの接点は人それぞれですが、秋田公立美術大学の藤浩志さん、服部浩之さん、國政サトシさんのような現役のアーティストや現代アートに関わるキュレーターたちが、この油谷コレクションがとにかく面白いということをひたすら仰っていて。
それで実際に倉庫に行ってみると、本当に魔窟まくつというか(笑)、掘っても掘ってもいろんなものが出てくる感じが面白くて。

油谷さんは集めたモノを捨てなくてはいけないかもしれないと困っておられて、このコレクションをこれから一体どうしていくか、みんなで考えたんですね。
そうしたら藤さんから、1,000分の1ぐらいを分類整理してみると全体像が見えると思うから、まず整理をやってみたらどうかという話があり、このプロジェクトがスタートしました。

全部で50万点のうちの1/1000なので、約5,000点ですね。

―プロジェクトの主催はどこになりますか。
NPO法人アーツセンターあきたです。アーツセンターは秋田公立美術大学の産官学連携のコーディネーションをする外部団体として2018年に立ち上がりました。

法人の事業としては、秋田市文化創造館という施設の指定管理と、大学の産官学連携が2つの大きな柱としてありますが、美大の先生や地域の人と話をしていると、その枠組みでは拾いきれない企画がいろいろと見えてきて、それを自分たちでやってみようということで、この1/1000プロジェクトも始まっています。

「面白がっている人」と「悩んでいる人」を繋げたら何か面白いことができるのではないかということで、アーツセンターがプロジェクトの土台を作りました。

―これまでに具体的にどのような活動をされてきたのでしょうか。
分類整理作業を最初に実施したのが2024年の7月、2回目は今年の1月で、その際には民具学会会長の神野善治先生にも来ていただき、シンポジウムも行いました。

今回が3回目で、秋田市内の倉庫にある未分類・未整理の資料の一部を整理して、油谷さんが所有する男鹿市内の倉庫にまとめましょうということで、持ち出して整理しています。

倉庫から資料を持ち出す際には、ほぼ中身を確認せず、選ばずに、トラックに入るだけのものを持ってきます。
ですから、毎回ありとあらゆるものが混じっている。時代も様々で、個人の通信簿や学習用ノートがあったり、食品パッケージやペットボトルまであります。

写真2 ケラなど様々な素材で編まれた民具

―油谷コレクションにはいろいろな時代のものがありますが、例えばケラのような「いわゆる民具」は、一般の方の目にはどのように映るのでしょう。
誰に解説してもらうかとか、見せ方によって変わってくるなと思っています。

いま、ケラや藁細工を1ケ所にまとめて置いてありますが(写真2)、倉庫の中ではケラはまとまって置かれていたわけではなく、いろんなところに点在していた。それを集めてみると、実は編み方が違ったりする。
また「これはお洒落着なんだ」という解説を受けると、俄然面白くなってくる。こんな技術があるんだとか、こんな工夫がされていた、こんな使い込まれ方があるんだという、そんな「で方」を教えてもらえると、面白さが見えてくる。
情報の入れ方によって、いろいろ楽しめるものだなということを、私自身もすごく実感しています。

そもそも、「アート」というものが介在することで、モノの見方が変わる瞬間がたくさんあると思うんですね。それをアーティストが見せてくれるというのが、特に現代アートのひとつのスタイルかなと思っています。

民具も民具として見せるのではなくて、アーティストが介在して、普通の民具の取り扱いではやらないような形であえて見せることで、違った面白さが引き出されるということがあるかもしれない。
しかも、それを油谷さんが許容してくださるので、とてもやりやすいんです。

写真3 民具のワークシート(デザイン:平石かなた)

実際には、何かガイドがあるといいなと思って、今回はこういうワークシートを作ってみました(写真3)
民具との距離感を縮めようと試みている活動のひとつです。
ちょうど夏休みの子どもたちも楽しく関われるように、例えばこういう切り口で見たらどうでしょう、こんな楽しみ方もありますよということを提示しています。

実際に先日、中学生が20人ぐらい来て書いてくれたのですが、油谷さんに聞いたり自分で調べてみたりして、それぞれに書いてくれています。

―油谷さんにまずお話を聞くということも大事ですね。
はい。それで分類整理するだけではなくて、毎月1回、「油谷さんと話す会」を開催しています。

油谷さんが語ってくださることをきちんと記録していかないと、そのモノが何だったかがわからなくなるので、毎回テーマを決めてお話を聞き、参加者が絵やテキストや動画など、それぞれの手法で記録するということをやっています。

触れてみる、使ってみる

―どういう方がボランティアで参加されているのでしょう。
学生さんもいらっしゃいますし、会場の様子を見て申し込んでくださった方もいます。
油谷さんの活動に興味を持つ地元の方もいます。
小さいお子さんを連れてくる人もいて、気に入ったものを見つけて離さない子もいますね。

資料は全部触っていいんです。
印刷物ひとつとっても、時代によって紙の質感がこんなに違うんだとか、そうした手触りも感じていただけます。

博物館に飾られているのを「へえ~」と見るだけだったものが、民具はもっと日常と地続きになる面白さがあるということが、このプロジェクトに関わりながら見えてきた気がしています。

写真4 参加者との対話(撮影:伊藤靖史)

それから徐々に始まっているのが、見るだけ、触るだけじゃなくて、「使ってみる」という活動で、「民具とアートとアーカイブの研究所(民具ラボ)」というプロジェクトを2025年の4月から始めて、研究企画を公募しています。

「何があって、それぞれどういう価値があるか」だけではなくて、使っていけるかどうかを実験したいというところに、ひとつ重きを置いています。
例えば、油谷さんは印刷屋もされていて活版機をお持ちでしたので、参加したボランティアの方を中心に活版印刷のワークショップなどを行う「カッパンケン」というグループの活動も立ちあがりました(写真5)

写真5 カッパンケンの展示

面白がるポイントは人によって違います。
いろんな人が自分の興味に応じて関わって、そのいろんな人の面白がり方を傍らで見て面白がったり、そこから新しい面白さが広がっていくところが、このプロジェクトのユニークなところかなと思っています。

ここもそうですが、油谷さんの倉庫が面白いなと思うのは、モノが全く綺麗に並んでいなくて、全部混ざり合っていることです。
普通の博物館みたいにきれいに並んでいると、「ああ、こういうものね」というふうに順序立てて見ていくと思うのですが、混ざり合っていると意図しないものが視界に入って、それにも興味がそそられてしまう。
そういう面白さが、油谷さんのコレクションについては特にあるかなと思います。

―価値づけされていない面白さ、ということですね。
そうです。だからこそコミュニケーションが生まれる。
このプロジェクトは、コミュニケーションのためにプログラム化しているところもあるのかなという気がしています。
ボランティアさんと「ちょっと、こんなのありましたよ!」みたいな会話をするとか、自分が見つけた「面白い」を交換し合う場にもなっています。

服部浩之さん・國政サトシさん

服部さん(左)と國政さん

(はっとり・ひろゆき/東京藝術大学准教授)
(くにまさ・さとし/名古屋芸術大学講師)

アートにおける民俗・民具の位置づけ

服部 僕は2009年から2015年ぐらいまで、青森公立大学国際芸術センター青森で学芸員の仕事をしていました。
アーティスト・イン・レジデンスといって、外からきたアーティストと一緒に新しい作品を作るような活動をする施設だったのですが、そこのプロジェクトのひとつで田中忠三郎さん※(1933-2013)の民具のコレクションに出会ったのが、民具との最初の出会いでした。実は現代のアーティストは地域の資源にすごく興味を持っていて、一緒にリサーチをすることがすごく多かったんです。

―アーティストが民俗的なものに関心を持つような流れは、いつごろからあったのでしょうか。
服部
 1980年代後半には、ハル・フォスターという美術評論家が「The Artist as Ethnographer?(民族誌家としてのアーティスト)」という有名な論文を書いています。
つまりポストモダンの頃から、「アーティストはある意味で民族誌を書いているようなものだ」という発想はありました。

90年代に入ってくると、モノではなくて、例えばコミュニケーションのようなものにフォーカスした活動作品がどんどん生まれていきます。
そういう流れの中で、いわゆる自己表現ではないアートの形、例えば関係性だったり、コミュニケーションだったり、何か既にある地域の資源を掘り起こして形にしていくという活動が、世界で多発的に動いてきました。

日本で影響が大きかったのは、やはり2000年に北川フラムさんが仕掛けた「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を始めとする地域芸術祭の動きだったと思います。
北川さんが最初に越後妻有で芸術祭を始めたころは、小さな山村にこんなにたくさんの人が訪れることは誰も予想していませんでしたが、その後各地で頻発する芸術祭の雛形となるような大成功をおさめました。

同時に90年代後半ぐらいから、アーティスト・イン・レジデンスという、アーティストがいろいろな地域に入っていって制作をする動きが活発になると、地域の資源や自然に興味を持っていく。
そうすると「出会う」わけですね。
モノや人に出会って、そこから作品を作る流れができてくる。

さらに東日本大震災が起こった2011年以降は、もう少しダイレクトに、アートで社会貢献をしていくという方向性が、アートや表現者の中でより強くなっていく。
そうした流れに対しては批判もあったのですが、とはいえ、地域と非常に丁寧に関係を築いていって作品を作り、それを公にしていくことがある程度定着していきました。

現代アートは「発見する力」というのでしょうか、あまり価値がないと思われていたものに面白味や価値を見出すところに重要性があると思います。
それが、民具や民俗のような失われつつあるものだったり、人が忘れているものへの視点にも繋がってくる気がしています。

―アーティストは面白がりスペシャリストということですね。

写真6 被ってみる!

服部 それはある気がしますね。行政や非営利団体を中心に、予算規模は大きくないけれど現代アートに焦点をあてた事業は全国各地で起こっています。
過疎化や少子化で地域から人が減っているから、定住や移住ではなくても「人が来る」ということ自体が求められている。
そんな中で、現代アートの事業では、地域資源を丹念に調査して行為や関係自体を作品化するアーティストの活動が注目を集めています。
大型のパブリックアートと異なりコストもだいぶ抑えられますし、何よりも地域に暮らす人やそこにある物・環境の存在が重要になる。

良くも悪くも、そういう流れが地域におけるアート活動として定着している気がします。

 雑多であることの面白さ

―そんな流れの中で、青森で田中忠三郎コレクションにも出会ったということですね。
服部 油谷さんは「モノの声を聞け」と仰るのですが、忠三郎さんは「モノには心がある」と仰っていて、すごい人がいるんだなと。そこから興味を持ちました。

東北には、そうしたモノがまだまだ残っている。私は民具や民俗に関しては素人なので、モノを見てもそれがどういう機能をもつものかわからないことが多いのですが、圧倒的に美しいなと感じてしまう。

そういう民具を、いわゆる民具として紹介するのではなく、地域の暮らしや歴史を伝える語り部や証言者として扱うことで現代の諸事象と接続する展覧会などを、アーティストと一緒につくったりしてきました。

写真7 資料を前に

そんなことがあった上で、たまたま秋田の美大に教員として着任することになり、初めて油谷さんについて知りました。

それで、いま会場になっている秋田市文化創造館のオープニングを飾る「200年をたがやす」(2021年)という展覧会のために油谷さんにインタビューさせてもらうことになり、改めて金足の施設も訪ねたのです。

ここの施設は普通に行くと、展示されている民具しか見られません。綺麗に並べてあるんですね。
でも、インタビューのために油谷さんを訪ねていったら、スッと裏側に案内してくれて、そこの倉庫にびっくりしちゃったというのが最初のきっかけなんです。

―綺麗に展示されているものより、裏の倉庫がインパクトがあった?
展示も魅力的ではあるのですが、「昭和レトロ」のような懐かしさを誘う展示で、「他でも見られるな」という感じもしました。
それがご本人が登場して、裏側に連れて行ってもらうと、そこは圧倒的な、もうびっくりするぐらいの空間だったんです。

國政 僕は「アウト・オブ・民藝」というアーティストが、秋田の版画家をテーマにした展覧会をした時にアシスタントを務めていて、その関係ではじめて油谷さんに収蔵施設を案内してもらいました。
そこに並んでいるモノも膨大なのですが、油谷さんにちょっと何かを質問したり、キーワードを言ったりしたら、その資料が奥からどんどん出てくる(笑)。
物を通じて話が広がっていく。それがすごく面白くて。

服部 油谷さんの面白いなと思うのは、こういう美術作品の隣にペットボトルもあれば、お軸もあればのぼりもあって、とにかくいろいろなものが混ざっている。

写真9 「雑多」なものも並べるとアートに

―人間の暮らしも元々雑多なものですが、それを丸ごと持ってきた印象は受けますね。
服部
 整理はされているけれど、されていないみたいな状態で、ずっと埋もれていたものが多数ある。
そこに面白さとか、リアリティみたいなものを感じます。

通常、展示というと、当たり前ですが整理整頓してわかりやすく伝える。でも油谷さんのコレクションは非常にナマっぽいというか。
普通なら絶対に出会わないものが倉庫では出会っている。あまり見たことがない場だなと思いました。

でも不思議なもので、少し整理して並べると、モノって美しく見える。今回の1/1000油谷コレクションもそうですが、やっぱり空間的な展開も大切で、そこにもアートの知見が混じり合っていく可能性みたなものを感じています。アーティストがいなかったら、この空間はできない気がします。多分、誰が並べるかで、見え方がすごく変わると思うんですよね。

写真9 空間をつくる

―これはみなさんが感覚的に並べたのですか?
國政 まず箱から物を出して並べてみて、並べ方や置き方を変えてみたり。そのあともちょっと移動させて、これとこれは合わせてみようとか、ちょっと吊ってみようとか、いろいろ動かしていきました。

ちょっとした置き方で物の印象が変わるし、繰り返していくと全体の雰囲気が変わっていきます。

服部 並べておくと、油谷さんが勝手に変えていったり、ボランティアの方が自由に触って場所を変えたりとかもあって、面白いです。
土台、基礎だけこちらで作って、参加してもらいながら作り上げていっています。

民具から見える「作る」の原点

―まさに化学反応ですね。

服部 実際に並べてみると、あれとこれとそれが繋がる、みたいな発見がある。
圧倒的に美しいものもあれば、何かモノの性質上面白いものもある。

例えば障子の裏張りのように裏側に文字が書かれているとか、籠を長く使うために、新聞紙を貼って柿渋で塗りこめたりとか、今の時代はもうやらないじゃないですか。
でもそういうことをしている状態が単純に面白いなと思うし、今だからこそ考えなくてはいけないことも多いような気がして。

今、社会自体が「反省モード」に入っていると思うんです。
大量生産や大量消費に対する課題感は30年ぐらい前から多くの人がずっと持ってきたと思うのですが、気候変動や災害が近年では深刻になってきて、本当に身につまされるようになってきた。

それもあって、多くの人が、やっぱりモノ自体をもう一度考え直してみようという状態になっているのかなと思います。
民具からは「丁寧に作られている」という印象を強く感じます。モノ自体が、大量生産品とは違うんですね。

―「作る時代」から圧倒的に「使う時代」になってきたなかで、民具には「自分で作る」世界が残っている。そこに何か、モノを生み出すアーティストの方々に通じるものがあるのでしょうか。
服部 そうですね。「誰でもできる」ということも結構重要だと思っています。
民衆というか、名もなき人たちが、例えば農業の傍ら作っていた、それが重要な気がしています。

これは油谷コレクションに限ったことではないですが、生活とか暮らすということと、「作る」ことの関わりというのが、こういうモノを通して直感的にわかる気がします。

ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)という芸術家が、「誰もがアーティストである」みたいなことをかつて言ったのですが、それが、このかつて作られたモノたちを見ると理解できる。
誰しも創造性を持っていて、何かを作っていた。
それは必要に迫られてかもしれない。でもちょっとした遊び心が見えたりもする。

それを見ると、いろいろ励まされることもあるんじゃないかなという気がしています。
今はSNSなども発達していて、逆に表現をセーブしてしまう人もいるように思うのですが、モノを作って自由に表現していいんだなと思える。

國政 僕は、今は名古屋芸術大学のデザイン領域にいるのですが、デザインの視点から見ても、民具はとても面白い。

単にデザインの変遷がわかるというだけでなく、昔は暮らしの道具を手で作っていたところが、今は機械化になり作り方や形がずいぶん変わっています。
そしていま過去にあった民具を見ても、何のための道具かよくわからない。
特にこれからものづくりを学ぶ学生にとって、変化する環境は大事なことで、今の当たり前と昔の当たり前、そして未来の当たり前は全然違うわけです。

デザインをする人たちは、この「作る」の原点とも言える部分を知ると、また違う視点やアイデアが獲得できるだろうなと思っています。

服部 それに、ここに集ったものを通じて、「使う」体験ができるといいなと思っています。

例えば活版印刷機を再生するように、モノに学びながら使う、構造を理解して使う、それでさらに興味を持ってもらう。

当たり前ですが、博物館に入っているものは一般の方は触れない。
けれども、触れることには重要な価値があると思います。
このケラなどを見ても、実際に触れてみるとすごく感動すると思うんです。裏をめくって見たらこんなに美しく丁寧に編まれている(写真10)

写真10 編みこまれたケラの表(左)と裏

「触れられる」とか「参加できる」というのは、実はずっとアートがやってきたことでもあります。
「一緒に作る」とか「一緒に触る」、そういう「プロセスを一緒に作っていく」ことをやってきたわけです。

このプロジェクトも、今のところ結論はないんです。結論がなくても何かやってみようというのが、アートならではのアプローチだと思っています。

―プロセス自体に意味がある、ということですね。
服部 そうです。このプロジェクトがどうなっていくかは、今のところ我々にもわからない。
でも、まずは紐解いていく。それで興味を持ってくれる人がいて、誰かがまた勝手に何かやってくれるといいなと思っているんです。
自分たちだけではわからない、だからいろんな人が関わってくれるといいなと思っています。
例えばこうやって民具の専門家が来てくれたりすると、そこからまた広がったりするわけです。

話を聞いていると、「なんかいいな」と感じていたものが、なぜいいのか、それがだんだん見えてくる。魅力がわかってくる。
油谷さんもそうですが、専門家の方と「一緒に見る」ってすごく楽しいんだなと思います。

―どんな化学反応が起こって、どうなっていくかはわからないけれども、とりあえず面白がってやってみる。
服部 はい。ただ油谷さんは、ご自身のモノを残していきたいという思いは強くお持ちです。
ですのでそこに関しては、どう収蔵し、どう残していくかを一緒に考えていきたいと話しています。

すごい収蔵環境を作るのは無理だと思うんです。
むしろせっかく触れるのだから、「見せる収蔵庫」の新しい仕組みを考えていくこともできます。
いわゆる公立博物館じゃないからこそできる形が、実験的に模索できるといいなと思っています。

藤 浩志さん

(ふじ・ひろし/秋田公立美術大学教授 NPO法人アーツセンターあきた理事長)

作る、使う、さらにその先へ

僕は1997年から廃棄物をコレクションしています。
それで集めたペットボトルやポリ袋を使ってクラフトを作ったり、祭りの山車作ったり、その延長で、子どもたちとおもちゃを作って交換するというプログラムを作ったりしています。
それをやっていると、おもちゃの破片がいっぱい集まってしまって、そういうものがそれこそ、うちに50万点ぐらいあります(笑)。

民具みたいに、それらにもすべて、何かしらの「痕跡」があります。

油谷コレクションが面白いのは、時代的に平成のモノまで入っていることです。下手したら令和のモノまである。
僕が廃棄物を集め始めたのは1997年からですが、ペットボトルでもおもちゃのハッピーセットでも、初期型のものがあったり、すでに「歴史」がある。

民具も今のプラスチック類もそうですが、「今の時代」を作っているいろいろなものが廃棄物になっていく。
それがどうなっていくかということに注目しています。

例えば風力発電の大きな風車は、20年に1回変えないといけない。40m以上の長いプロペラの廃材です。
ソーラー発電や核廃棄物もどのように捨てるかが問題になってくる。

つまり、作るだけじゃない、使うだけじゃなくて、それがどう次につながるかを考えなくてはいけない時代になっています。
民具は全部手作りで、土に環るものだった。それがどんどん自然に還らない素材に変わってきた。

そのあたりに作家としてどう向き合うかということを考えながら活動しています。

―そもそも、藤さんと民具との接点はどこにあったのでしょうか。
僕は十和田市現代美術館にいたのですが、その任期の最後に田中忠三郎展をやりました。
その展覧会を企画したときにちょうど田中さんが亡くなられて、お葬式にいったのが最初の接点でした。
それもあって、油谷さんに出会ったときから、そこでできなかったことをやりたいと思っていました。

忠三郎展をやったときに、忠三郎コレクションの襤褸ぼろ(着古して継ぎはぎや刺し子で補修を重ねた日常衣)やこぎん刺し・南部刺しと、現代の作家やファッションデザイナーの作品を合わせて展示するということをやったんですよ。
組み合わせて展示することで、全然違う見せ方ができる。
若い作家が襤褸と一緒に何かを提示することで、来てくれるお客さんの質もちょっと変わる。

最近では辰巳清さん(1968-)という方が、フランスなどいろいろな国で地元の若いデザイナーやアーティストと一緒に展覧会を構成して、「BORO」として世界的にも知られるようになっています。

―アーティストの方たちは襤褸ぼろの何に触発されて新しい作品を生み出すのでしょうか。
それはいろいろです。例えば展示でご一緒したwrittenafterwardsというブランドを作っているデザイナーさんは、襤褸自体をスキャンして、図柄をそのままプリントして服を作る。
積層された柄そのものがデザイン性を持っているということです。

あとは手作業の集積が持つ存在感もあります。
昔のものはクオリティが全然違うんですよ。細かくて、リアルで。切実さが違うんですよね。
そのあたりを映像作家にも絡んでもらって、モノを作るという過程を映像化して、いろいろな切り口で見ていくということもやりました。

「民具ラボ」もそうですが、いろいろな人に関わってもらうと、ひとつの同じものなんだけれど、何か違うあり方が出てくる。
見る人が変わると全然違うよね。

写真11 色とりどりの幟

―暮らしの道具だからこそ、いろんな人が関われるというところはあるかもしれませんね。
多分、ここに掛けられている旗でも、例えば「書体」で見ていっても面白い(写真11)
書体のデザインの歴史と変遷、あるいはどこから引用されているのか、色の使い方に、個性や時代性みたいなものが残っているんですよね。

デジタル時代におけるモノの価値

奈良で関わってもらっていた安藤隆一郎くんという人は「民具BANK」という活動を始めています。
奈良県が民具を捨てるという話があったけれど、逆に集めて活用しようということで、民具を古民家に集めて、みんなでそれを使っていろいろなことをする。
面白いですよ。木材を伐採するところから、皮を剥いで加工するところまで、昔の道具と技術で全部やる。
それを体験してもらう。

今は市町村でも観光コンテンツをどう作っていくかということで苦心していますが、どういうふうに滞在時間を延ばすか、どういう体験が提供できるかというときに、実はこういう油谷コレクションのようなものも活用できるのではないか。
自然農とか発酵醸造、渓流釣りとか、そういった活動をするときに、古民家に寝泊まりしながら昔ながらの方法でやってみる。
それを滞在型のプログラムとして提供するということがあってもよい。
実際、そういう若い人たちも出てきていますよね。そうした動きに対してもヒントになると思います。

―民具は使ってみて初めて真価がわかる。博物館に仕舞っておくとそれがわからないままになってしまいますね。
博物館できちんと保存して残しておくことも一方で大事です。
でも一方では、そうやって活動を作っていく。もしくは教育プログラムやラーニングの中に生かしたり、そこから新しい発想を得ていく。
それが地域コミュニティのビジネスに繋がっていくことを考える人もいるかもしれません。

美大で教えていると、次の活動を作っていくために、若い子たちが妄想できて、イメージを広げられる素材が重要になってきます。
今までだったら、素材は絵具屋や画材屋にいって買うものだった。
もっと前だったら、森に行って自分で顔料をとってきて砕いて使ったわけです。

写真12 掛け軸の仏像を模写する参加者の学生

でも今、身の回りにある物を素材にしようかと考えてみたときに、一方で民具のように廃棄されるものがいっぱいある。
これをまったく違う用途で活用するということも含めて、次世代の人たちが活用できるような動きが作りたいなと思っています。

前提として、価値は「それが次に何になるか」によって作られるわけです。
廃棄されてしまったら、もう終わりです。だから廃棄される前に、どういうふうに活用していくかということが大事だと思います。

―民具という、若者にとってはまったく異世界のものも、価値を再評価できるでしょうか。
今の時代、写真の紙アルバムやレコード、フィルムなども見直されています。
レコードでいえば、ジャケットの存在感とか、あとは自分でレコードを掛けるという「手間」とか、そういうものが若い人に受けている。

デジタル時代になったからこそ、アナログなものが価値になってくる。モノに対する考え方が変わってきているのを感じています。

今の若い子たちは民具をまったく知らない世代だから、直接的な「懐かしさ」はないだろうけれど、でも遺伝子の記憶の中にはあるはずなんだよね。
フィルムやレコードもそうですが、「手で作ってできる範囲のもの」ってあるじゃないですか。
今は全てがブラックボックスになっているけれど、同じ機能を持ったモノを、本来は自分たちにも作れるんだ、という気づき。
しかもそれが自然素材と直結するという感覚。
そのあたりの、技術と自然素材と機能のバランスの、ちょうど「適正技術」みたいなものを考えるときのヒントが、ここにはいっぱいあるんじゃないかなという気がしますね。

これも大学で難しい問題としてあるんだけれども、彫刻するにも、ついチェーンソーやグラインダーといった工具を持ってきてやらせてしまう。

でもかんなとかおの手斧ちょうな、ノコギリなんかを使った方が、絶対に学生にとっての学びにはなるんですよね。
クリエイターとして素材から学ぶ、道具から学ぶとなったときに、やっぱり今ここにある民具を使って何かできないかなと思っています。

時代的には、ちょうど変換期ですよね。
モノがどんどん捨てられていって、デジタル化されていくなかで、逆にモノに対する感覚というものが、すごく重要になってくる。

別の話になりますが、やっぱり「接触する」ということは重要なんですよね。
コロナ禍もあって、ずっと「非接触」だったでしょう。
でも、接触して何かを感じとっていくということが、今すごく重要になっている。

だからここには、いろいろな可能性がある。
これをどう宝の山にしていくか。
…「山」だからね、そこが大変なんだけど (笑)。

インタビューを終えて

博物館勤務が長く、資料の整理が仕事でもあった私にとって、皆さんが口を揃える「整理されていないからこそ面白い」という言葉は衝撃的でした。

しかし同時に腑に落ちることでもあります。
なぜなら、学芸員として寄贈の依頼を受け、初めてその家の蔵や納屋に足を踏み入れ積みあがった民具を見渡す時の興奮は毎回忘れられないものだったからです。
何が出てくるか分からないドキドキ感、収納のしかたやほこりのかぶり方から見て取れるその家の歴史、暮らしぶり、お家の方に語っていただく一つ一つのモノの思い出。

油谷コレクションの魅力は、圧倒的な数の資料達がこの生々しい空気感を未だ纏っていることにあるでしょう。
また通常の博物館では保存の問題から触ったり使ったりも難しいものですが、個人のコレクションだからこそ様々な実験もできるのです。

今回のインタビューでは、近年のアートの動向として、アーティストの方が地域の持つ力を再発見し、市民と共に新たな価値づけをしていく、その作業自体がアートという考え方が広がりつつあるというお話に驚きました。
そしてその中で民具が極めて魅力的な素材と受け止められていることに、改めて民具が持つ潜在能力の凄さを感じました。

希代のコレクターの情熱と集められたモノの山に惹き付けられた方々のそれぞれの思いが共鳴し、走り出した「民具ラボ」プロジェクト。完結させることが目的ではない不思議な活動ですが、この先、民具との化学反応が楽しみで仕方ありません(榎)

取材日:2025年8月7日
語り手:三富章恵、國政サトシ、服部浩之、藤 浩志
聞き手:今石みぎわ・榎美香
編 集:東京文化財研究所無形文化遺産部
公 開:2025年11月