山形県金山町かねやままち山崎地区の公民館に特設された祭壇には、大小様々かつ素朴な神像が安置されています。
これが、「やまかみ」の姿を表した人形です。

写真1 公民館に安置された山の神(金山町山崎)

山の神は、山に宿る神々の総称です。山神やまがみ山祇やまつみとも呼ばれ、林業や狩猟、鉱山など山に関わる人々の間で、作業の安全などを願って祀ることが多いとされています。

山の神はみにくい女神であると考えられ、古来女性が山中に立ち入れなかった理由が、山の神の怒りを恐れたためとも言われています。
東北の「山」というと、マタギを想像される方が多いと思います。女性のイメージはあまりないですよね。
これは、山の神のタブーとも関係しているのです。

山の神は、多様な造形で祀られています。
山中の古木を御神体とするものや、女性神である山の神に男根造形物を奉納するもの、醜いオコゼを供えて山の神を安心させるなど、その祀り方のバラエティーは豊かです。

写真2 小玉川熊祭りで奉納された熊の頭骨とオコゼ
(山形県小国町)
写真3 山の神の祠に奉納された男根造形物
(山形県米沢市)

さて、「山の神勧進かんじん」とは何でしょうか?

それは山形県の北東部に位置する最上郡(真室川町、金山町、鮭川村、新庄市)に分布する山の神のお祭りです。
数えの15歳を大将とした男子が中心となり、山の神の神像を持って家々を来訪し、唱え歌を歌って、金銭の勧進をいただきます。
家主は、山の恵みに対する感謝や家内安全、五穀豊穣を祈るのです。

行事が開催される時期は、4月と12月です。「春に山の神が里におりてきて田の神となり、冬に山の神になる」という伝承と繋がりがありそうです。

写真4 京塚の山の神勧進(山形県鮭川村)
写真5 新道の山の神勧進(山形県鮭川村)
写真6 石名坂の山の神勧進(山形県鮭川村)
写真7 片貝の山の神勧進(山形県金山町)

奉納されたたくさんの山の神人形は、「一番大将」という、この行事を中心的に取り仕切った少年が、その記念に自ら製作して奉納したものです。
長年、奉納が続くと人形が増えていきます。そのため、100体以上が神社に奉納されている地域もあります。

人形の素朴さは、中学生の少年が一生懸命作りだした神様の姿なのです。

写真8  赤坂の山の神人形(山形県新庄市)
写真9 片貝の山の神人形(山形県金山町)
写真10 安沢の山の神人形(山形県金山町)
写真11 上台の山の神人形(山形県金山町)
写真12 木ノ下の山の神人形(山形県真室川町) 
写真13 平岡の山の神人形(山形県真室川町)

実際の行事の様子を知るために、2024年4月2日に金山町山崎地区で行われた山の神勧進を見学に伺いました。

金山町は、秋田県と山形県をつなぐ羽州街道の宿場町として発展してきました。鉱山や林業など山を生業としていた人々がとても多い場所です。
今回訪ねた山崎地区も羽州街道に面しており、秋田との交流が盛んだったようです。

山の神は集落の鎮守白山はくさん神社に一緒に祀られています。
箱に安置された石像の山の神さまは勧進行事のメインとなるお像で、これに加えて大小様々な木造の人形が大量に安置されています。

写真14 白山神社の内部
写真15 木箱に収められた山の神の御神体

木造の山の神人形をよく観察してみると、実に様々な表現が施されています。
合掌しているものやこけしのように木地を挽いたものもあり、興味が尽きません。

写真16 合掌している山の神
写真17 素朴な表現
写真18 おそらく木地を挽いて製作された山の神
写真19 近年奉納された山の神
写真20 斧を持った山の神
写真21 大正時代の年号が書かれている人形

山の神勧進は、山崎地区の約80軒の家々を歩いて巡ります。
かつては上地区と下地区で別れて行事を行っていたそうですが、少子化により子どもが少なくなったこともあり、近年では合同で行事を継続しています。
2024年には、2歳から中学3年生までの11人が地区を回っていました。

子供たちが家の玄関に到着すると、一番大将は家の中へ背を向ける格好で玄関の上り口に腰を下ろし、他の子ども達が山の神人形を地面に叩きつけながら、

「やーまのかーみの、かーんず、かんず、三升五合、はがれっちゃ、はがれっちゃ。」
(山の神の勧進、勧進、三升五合、計れっちゃ、はかれっちゃ)
と唱えます。

山の神の人形を地面にぶつけるという行為は驚きですが、神像などを転がして雨乞いを祈願するといった伝説などに通ずる、神様の喜ばせ方なのでしょうか。
地域の方によると、山の神の欠けた破片が玄関に落ちていると良いことがあるそうです。

写真21 山崎地区の勧進の様子
写真22 山崎地区の勧進の様子

唱えごとが終了すると、ご祝儀をいただきます。昔は、お米だったこともあったそう。

この日は、午前中に下地区(16軒ほど)を巡り、お昼にいったん公民館で休憩をとった後、上地区(40軒ほど)を巡りました。

驚くことに、上地区ではコンビニエンスストアにも勧進にいきます。
まさに、原始的な信仰と現代がミックスしている姿に感動しました。

写真23 コンビニエンスストアにも勧進

15時ごろ、全ての家々を回って公民館に戻ると、人形に繋がれた縄をナタで解いていきます。
地域の方々によれば、これは昔から変えてはいけないポイントとのことですが、その意味はもはやわからないとのこと。

写真24 ナタで山の神の縄を解く

そして、一日勧進で使用した人形を水に入れて汚れを洗い流します。
神様を水で洗浄するのは驚きですが、山の神と子どもたちの距離の近さが垣間見えました。

写真25 山の神を洗い清める
写真26 洗い清められる神様たち

山の神人形は、地域と山を繋ぐツールとしての役割があったと考えられます。
山の神という存在があるからこそ、山を大切にする思いも生まれてくる。この考えを、通過儀礼を通して子ども達に伝えたいと考えた先人たちの思いが、人形の素朴で美しい造形を作ったのではないでしょうか。


【参考文献】菊地和博ほか2014『最上地方の山の神の勧進』山形県教育委員会

執筆多賀糸たがいと尊(東北芸術工科大学文化財保存修復学科3年)
公開:2025年9月22日