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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(下)
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| 森田恒友 | 二六新報 | 1910(明治43)/05/22 | 4頁 | 展評 |
黒田氏(くろだし)は油絵(あぶらゑ)の小品数枚(せうひんすまい)とパステル画(ぐわ)の二三を出品(しゆつぴん)して居(ゐ)る、油絵(あぶらゑ)では「庭前(ていぜん)の雪(ゆき)」「春(はる)の草原(くさはら)」「初秋(はつあき)」等何(とういづ)れも嬉(うれ)しい情緒(じやうちよ)のある小品(せうひん)である、淡(あは)い高雅(かうが)なる色調(しきてう)の中(うち)に甞(かつ)て目賭(もくと)した自然(しぜん)をよく味(あぢは)ふことの出来(でき)るのを私(わたし)は嬉(うれ)しく思(おも)ふ。パステル画(ぐわ)では「森(もり)の中(なか)」を採(と)りたい、素朴(そぼく)な筆致(ひつち)がよいと思(おも)ふのである、岡田(をかだ)三郎助氏(ろすけし)の画稿(ぐわかう)二枚(まい)の内(うち)では「少女(せうぢよ)」がよいと思(おも)ふ、写(うつ)されたる顔(かを)の印象(いんしやう)も筆致(ひつち)も自然(しぜん)である。@旅行(りよかう)スケツチ数枚(すまい)を陳列(ちんれつ)して居(を)る中沢弘光氏(なかざはひろみつし)は外(ほか)に数枚(すまい)の油絵(あぶらゑ)もある、小品(せうひん)の中(うち)では海(うみ)を背景(はいけい)として居(ゐ)る「婦人(ふじん)」がよいと思(おも)ふ。瀟洒(せうしや)な優美(いうび)な心持(こゝろもち)が遺憾(ゐかん)なく描(ゑが)き出(だ)されて居(ゐ)る、唯海(たゞうみ)の色(いろ)が少(すこ)し強(つよ)いのが画面(ぐわめん)の統(とう)一を破(やぶつ)て居(ゐ)る感(かん)がある。「斜陽(しややう)」は氏(し)が時々選(ときどきえら)ぶ自然(しぜん)の見附(みつ)け処(ところ)の一つである。枯木(こぼく)に隠(かく)れたる太陽(たいやう)の四辺(へん)に照(て)る光(ひかり)はモツト主観的(しゆくわんてき)に写(うつ)された方(はう)が寧(むし)ろ自然(しぜん)の感興(かんきよう)に吾々(われわれ)が接(せつ)するものに近(ちか)からう「馬酔木(あしび)の花(はな)」や「柿(かき)」は私(わたし)が接(せつ)する自然(しぜん)の心持(こゝろもち)と異(ことなつ)て居(ゐ)る。長原止水氏(ながはらしすゐし)の作(さく)は「新聞(しんぶん)」がある。緑(みどり)の庭(には)を背(せ)にして新聞(しんぶん)を読(よ)みつゝある女(をんな)の顔(かほ)は甚(はなは)だ自然(しぜん)である。何処(どこ)となし大(おほ)まかな技術(ぎじゆつ)と、自然(しぜん)を自然(しぜん)として写(うつ)された感興(かんきよう)とが調和(てうわ)して居(ゐ)る、「夕凪(ゆふなぎ)」「漁火(いさりび)」等(とう)は山本森之助氏(やまもともりのすけし)の大作(たいさく)である。氏(し)の風景画(ふうけいぐわ)は近来甚(きんらいはなは)だ自然(しぜん)に遠(とほ)ざかツて居(ゐ)る。私(わたくし)は以前描(いぜんゑが)かれた氏(し)の緊張(きんちやう)した自然(しぜん)の風景画(ふうけいぐわ)に接(せつ)することの出来(でき)ないのを甚(はなは)だ遺憾(ゐかん)に思(おも)ふ。モツト率直(そつちよく)に自然(しぜん)を解釈(かいしやく)したい、モツト感興(かんきよう)に乗(じよう)じて筆(ふで)を執(と)りたい。跡見泰氏(あとみたいし)の数作(すさく)の中(うち)では「岬(みさき)」がよい。岡野栄氏(をかのえいし)の出品中(しゆつぴんちう)では「躑躅(つつじ)」を採(と)る、二三の富士(ふじ)の画(ゑ)には惰気(だき)がある。@藤島武(ふぢしまたけ)二氏(し)、湯浅(ゆあさ)一郎氏(らうし)の滞欧中(たいおうちう)の作物(さくぶつ)は甚(はなは)だ多(おほ)い。藤島氏(ふぢしまし)の二十余枚(よまい)の「紀念(きねん)スケツチ」は悉(ことごと)く風景(ふうけい)である。大(おほ)きいブラツシと渋(しぶ)い色(いろ)とで描(ゑが)かれて居(ゐ)る処(ところ)に興味(きようみ)がある。湯浅氏(ゆあさし)の数枚(すまい)の人物画(じんぶつぐわ)の肉体(にくたい)はあまりに硬(かた)い。風景(ふうけい)「公園(こうゑん)」は皆即興的(みなそくきようてき)に描(ゑが)かれて居(ゐ)るので甚(はなは)だ気持(きもち)よく思(おも)ふ、氏(し)には外(ほか)に水彩画(すゐさいぐわ)の数枚(すまい)がある「サンマルチン橋(はし)」「サンインヅロ寺(でら)」等(とう)に感興(かんきよう)がある。@ヴエラスケスの四枚(まい)の画(ゑ)は何(いづ)れも湯浅氏(ゆあさし)の模(も)したものである。今原画(いまげんぐわ)は見(み)ることが出来(でき)ぬので模写(もしや)の技術(ぎじゆつ)を云々(うんぬん)することが出来(でき)ぬと共(とも)に、此処(こゝ)に出品(しゆつぴん)されたる模写(もしや)によつてヴエラスケスを充分知(じうぶんし)ることは出来(でき)ぬ。@ピービース、ド、シヤヴアンの画(ぐわ)は藤島氏(ふぢしまし)の模(も)したものである、シヤヴアンの壁画中(へきぐわちう)の一部(ぶ)づゝを集(あつ)め模(も)したといふことである。ラフアエル、コランの数枚(すまい)の素描(そべう)、コルモンの画稿等(ぐわかうとう)は何(いづ)れも特長(とくちやう)があり我画界(わがぐわかい)には珍(めづ)らしい参考品(さんかうひん)である。

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