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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(上)
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| 森田恒友 | 二六新報 | 1910(明治43)/05/15 | 4頁 | 展評 |
今年(こんねん)は珍(めづ)らしくも白馬会(はくばくわい)と太平洋画会(たいへいやうぐわくわい)とが相前後(あひぜんご)して開会(かいくわい)さるゝ事(こと)となつたので両者対象(りやうしやたいしやう)の上(うへ)に少(すくな)からぬ便宜(べんぎ)がある。白馬会(はくばくわい)が先(ま)づ開会(かいくわい)された。未(ま)だ日(ひ)が無(な)いので、私(わたくし)は此処(こゝ)に委(くは)しい事(こと)を言(い)ふことが出来(でき)ぬ、唯概観(たゞがいくわん)した私(わたし)の考(かんがへ)を少(すこ)しく述(の)べやうと思(おも)ふ。@藤島武(ふぢしまたけ)二、湯浅(ゆあさ)一郎(らう)、柳敬助(やなぎけいすけ)、南薫造等諸氏(みなみくんざうらしよし)の外遊中(ぐわいいうちう)の作物(さくぶつ)数(す)十点(てん)とヴエラスケス、ムリロー、ピービス・ド・シヤヴアンヌ等(ら)の模写数枚(もしやすうまい)、コランの素描等(デツサンとう)は先(ま)ず今期(こんき)の白馬会(はくばくわい)を賑(にぎ)はす主(おも)なるものであるが、総体(そうたい)の出品(しゆつぴん)が例年(れいねん)に比(ひ)して多(おほ)いのである。数(すう)六百点以上(てんいじやう)と言(い)へば展覧会(てんらんくわい)として盛会(せいくわい)と言(い)へるのであるが、会(くわい)の体裁(ていさい)としてあまりに雑然(ざつぜん)として陳列(ちんれつ)さるゝのも如何(どん)なものであらうか。此会(このくわい)の入口(いりくち)と出口(でぐち)とに掲(かゝ)げられた作物(さくぶつ)には随分無(ずゐぶんな)くもがなと思(おも)はるゝのが少(すくな)くない。又(また)あまりにギシギシ詰(つ)め込(こ)んだ爲(た)めに額縁(がくぶち)は皆(みな)めじろ押(お)しをして居(ゐ)るので恰(あたか)も勧工場然たる観(くわん)があるのも不体裁(ふていさい)である。私(わたし)はモ少(すこ)し精選(せいせん)して貰(もら)ひたいと思(おも)ふ、数(かず)が多(おほ)いにも関(かゝ)はらず、全体(ぜんたい)に少(すこ)しく惰気(だき)があるのも精撰(せいせん)の足(た)りない結果(けつくわ)だと私(わたし)は思(おも)ふ。@私(わたし)は此処(こゝ)に作物(さしぶつ)の凡(すべ)てを上(あ)ぐるの煩(はん)に堪(た)へないのと、未(いま)だ出品(しゆつぴん)の目録(もくろく)も出来(でき)ないので、画題等(ぐわだいとう)も分明(ぶんめい)でないから、僅(わづか)に会中(くわいちう)の主(おも)なるものゝみを採(とつ)て見(み)やう。@先(ま)づ青年(せいねん)の作(さく)を上(あ)ぐれば、青山熊次氏(あをやまくまじし)の「アイヌ熊祭(くままつ)り」熊谷守(くまがいもり)一氏(し)の「轢死人(れきしにん)」等(とう)が中(なか)に幾分大作(いくぶんたいさく)でもあり主観的情熱(しゆくわんてきじやうねつ)のある方(はう)であらう。小品(せうひん)には正宗得(まさむねとく)三郎氏(らうし)の「椿(つばき)」南薫造氏(みなみくんざうし)の「外遊(ぐわいいう)スケツチ」の数枚(すまい)田中良(たなかりやう)、斎藤五百枝氏等(さいとういをえしら)の二三が主(おも)なるものゝ外多(ほかおほ)く見(み)るべきものは無(な)い。「熊祭(くままつ)り」は芝居気(しばゐけ)のあるのと陰影(かげ)の色(いろ)がごまかしてあるのが私(わたし)は和田(わだ)三造君(ざうくん)の作(さく)に対(たい)する如(ごと)く嫌(きら)ひであるが、画品(ぐわひん)に於(おい)ては彼(かれ)の「▲燻(ゐくん)」より勝(まさつ)て居(ゐ)ると思(おも)ふ。「轢死人(れきしにん)」は甞(かつ)て作者(さくしや)の室内(しつない)で見(み)た時(とき)よりは今会場(いまくわいぢやう)に於(おい)て見(み)た方(はう)が遥(はるか)に劣(おとつ)て見(み)ゆる、それは余(あま)りに光線(くわうせん)に不注意(ふちうい)なる陳列法(ちんれつはふ)であるからである。私(わたし)は開会毎(かいくわいごと)に思(おも)ふことであるが、コー云(い)ふ暗(くら)い画(ゑ)は殊(こと)に陳列(ちんれつ)に注意(ちうい)を払(はら)はなければ、作者(さくしや)の爲(た)めに不利益(ふりえき)なること甚(はなは)だしいのである。此(こ)の画(ゑ)は轢死人(れきしにん)といふ感(かん)じよりは、唯暗(たゞくら)い光(ひかり)の中(うち)に女(をんな)の肉体(にくたい)が横(よこた)はつて居(ゐ)るといふことに観者(くわんじや)の眼(め)を呼(よ)ぶのが私(わたし)は却(かへつ)てよいと思(おも)ふ。唯(たゞ)あまりに暗(くら)い。夜(よる)の光(ひかり)であつても私(わたし)はモ少(すこ)し明(あか)るく描(えが)きたい。そして肉体(にくたい)と四辺(あたり)とに浮(う)く光(ひかり)を積極的(せききよくてき)に説明(せつめい)したいのである南薫造氏(みなみくんざうし)の水彩画数枚(すゐさいぐわすまい)は何(いづれ)も外遊中(ぐわいいうちう)のスケツチである、唯淡(たゞあは)い、軽(かる)い、唯美(ゆゐび)な小品(スケツチ)である。斎藤五百枝氏(さいとういほえし)の二三の小作(せうさく)が同(おな)じく趣味(しゆみ)の似(に)たものである。私(わたし)はモ少(すこ)し大膽(だいたん)に自然(しぜん)を直写(ちよくしや)して貰(もら)ひたかつた「椿(つばき)」は此点(このてん)に於(おい)て大膽(だいたん)の描写(べうしや)であるが彩(いろ)と彩(いろ)との重(かさ)なりし処(ところ)に少(すこ)しく不快(ふくわい)の技巧(ぎかう)がある。平岡権(ひらをかごん)八氏(し)は青年中(せいねんちう)の大作家(たいさくか)である。そして毎(つね)に無趣味(むしゆみ)な悪画(あくぐわ)を陳列(ちんれつ)する。私(わたし)は甚(はなは)だ不快(ふくわい)に思(おも)ふ。@此処(ここ)に一寸言(ちよつといふ)て置(お)きたいのは、今展覧会画(いまてんらんくわいぐわ)を批評(ひひやう)するのに、全然自己(ぜんぜんじこ)の好(す)き嫌(きら)ひから取捨(しゆしや)するといふことは今(いま)の日本(にほん)には到底不可能事(たうていふかのうじ)である。今展覧会(いまてんらんくわい)を云々(うんぬん)するには、私(わたし)は勢絵画(いきほひくわいぐわ)の常識(じやうしき)の上(うへ)から、一つの水平線(すゐへいせん)を仮定(かてい)して一言(げん)するより外策(ほかさく)は無(な)いと思(おも)ふのである。そして其水平線(そのすゐへいせん)より余(あま)りに没趣味(ぼつしゆみ)なる絵画(くわいぐわ)を私(わたし)は嫌(きら)ふ。余(あま)りに情熱(じやうねつ)の無(な)い惰気漫々(だきまんまん)たる作(さく)を私(わたし)は嫌(きら)ふ。情熱(じやうねつ)も感興(かんきよう)も無(な)くて唯(たゞ)コツコツと仕上(しあ)げるといふことは芸術家(げいじゆつか)たる資格(しかく)として水平線(すゐへいせん)の下(した)に在(あ)るものと言(い)ひ得(う)るのである。私(わたし)は白馬会(はくばくわい)の青年諸氏(せいねんしよし)に情熱(じやうねつ)の迸(ほとばし)る作(さく)が少(すくな)く、感興(かんきよう)の充溢(じういつ)したる作(さく)が少(すくな)いのを遺憾(ゐかん)に思(おも)ふ。私(わたし)は中野営(なかのえい)三氏(し)の二三の作(さく)が如何(いか)にも器用(きよう)に取材(しゆざい)し、描写(べうしや)されて居(ゐ)るにも拘(かゝ)はらず毫(すこし)も自然(しぜん)の感情(かんじやう)を呼(よ)び起(おこ)すことが出来(でき)ないのは情熱(じやうねつ)と憧憬(どうけい)との不足(ふそく)に帰(き)せざるを得(え)ないのである。@私(わたし)は今年(こんねん)の白馬会(はくばくわい)には矢張(やは)り青年以外(せいねんいぐわい)の諸氏(しよし)を採(と)りたい。次(つぎ)には黒田氏(くろだし)、岡田氏(をかだし)、中沢氏(なかざはし)、長原氏(ながはらし)の外藤島湯浅諸氏(ほかふぢしまゆあさしよし)の諸作(しよさく)と参考品(さんかうひん)とを比較(ひかく)して見(み)ようと思(おも)ふ。

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