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白馬会関係新聞記事 第12回白馬会展

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白馬会展覧会(上)
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| 吾妹子 | 萬朝報 | 1909(明治42)/05/06 | 1頁 | 展評 |
△会場(くわいぢやう)は赤坂溜池(あかさかためいけ)三会堂(くわいだう)、今度(こんど)は第(だい)十二回目(かいめ)だ、出品総数(しゆつぴんそうすう)二百四十五点(てん)、階上階下(かいじやうかいか)を通(つう)じて五室(しつ)に陳列(ちんれつ)せられる、評者(ひやうしや)は名(な)にし負(お)ふコランの「弾手(だんしゆ)」の早(はや)く見(み)たきと、逆行法(ぎやくかうほふ)の興味(きようみ)を否定(ひてい)せぬものから、まづ階上(かいじやう)の一番奥(ばんおく)の第(だい)五室(しつ)に直行(ちよくかふ)した@△げに崇高壮美(すうかうさふび)なるかなコランの画(ぐわ)、萬感胸(ばんかんむね)に湧(わ)いて暫(しばら)くは立(た)ち去(さ)りも得(え)ない、黒田氏(くろだし)の画(ぐわ)は小品(せうひん)ながら十一点(てん)ある、即(すなは)ち出品点数(しゆつぴんてんすう)に於(おい)て場中(ぢやうちう)の上位(じやうゐ)にあるが、成績(せいせき)も甚(はなは)だ佳(か)、始(はじ)めて黒田氏(くろだし)の黒田氏(くろだし)たる所(ところ)を知(し)り得(え)た感(かん)がある、「山(やま)かげの雪(ゆき)」に■■■■した一幅(ぷく)は何(なん)たる好画(かうぐわ)ぞ、「小雨(こさめ)ふる日(ひ)」「炎天(えんてん)の山辺(やまべ)」以下或(いかあるひ)は強烈(きようれつ)に或(あるひ)は軽快(けいくわい)に、二三を除(のぞ)いて盡(ことごと)くうれしい、但(たゞ)しこゝでもしコランの隣(となり)に「白芙蓉(はくふやう)」や「木(こ)かげ」が出(で)てゐたら対照果(たいせうはた)して如何(いかん)と想像(さうぜう)することなどは■■無論(げん■■むろん)のこと@△山本森之助氏(やまもともりのすけし)のは世間(せけん)でいふ程難有(ほどありがた)くない、相変(あひかは)らず陰鬱(いんうつ)な一本調子(ぽんてうし)で「多摩川(たまがは)の上流(じやうりう)」も氏(し)の作(さく)として佳(よ)い方(はう)とはいへぬ、この陰鬱(いんうつ)と正反対(せいはんたい)に明(あか)るい画(ゑ)は中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の印象派的作品(いんしやうはてきさくひん)だ「日(ひ)ざかり」といつたか、婦人(ふじん)を描(ゑが)き、「大洗(おほあらひ)の海岸(かいがん)」といつたか、碧瑠璃(へきるり)の如(ごと)き空(そら)を描(ゑが)いた、この二図(づ)は、兎(と)に角或(かくあ)る意味(いみ)に於(おい)て場中(ぢやうちう)の異彩(いさい)たるを失(うしな)はぬ、「浪(なみ)の池(いけ)」などは例(れい)によつて例(れい)の如(ごと)きもの、郡司卯之助氏(ぐんじうのすけし)、矢崎千代(やざきちよ)二氏(し)、北蓮蔵氏(きたれんざうし)の作(さく)また茲(こゝ)にあるも評(ひやう)せずして可(か)、見(み)ざるもまた可(か)、無名(むめい)の作者(さくしや)のにも注意(ちうい)すべきものはな可(か)つたやうだ@△第(だい)四室(しつ)では九里(り)四郎氏(らうし)の「跪(ひざまづ)ける女(をんな)」が、何(なに)にしても目(め)に立(た)つ、衣服(いふく)と壁張(かべばり)と絨毯(じうたん)との各異(かくことな)れる様式(やうしき)の図案(づあん)を調和(てうわ)せしめんとした所(ところ)に苦心(くしん)を見(み)る、たゞ鏡(かゞみ)に向(むか)ふ女(をんな)の表情余(へうじやうあま)りに平凡(へいぼん)、腰(こし)の周囲(まはり)のデツサンもやゝ狂(くる)つてゐるらしく、要(えう)するに意余(いあま)りて筆足(ふでた)らぬ恨(うらみ)を残(のこ)した、矢田部俊(やたべしゆん)二氏(し)、故矢田部博士(こやたべはかせ)の令息(れいそく)の習作裸体(しふさくらたい)はこれに比(ひ)して数等(すとう)を下(くだ)り一体(たい)で他(た)の数葉(すうえふ)の出品(しゆつぴん)と共(とも)に立場(たちば)が怪(あやふ)い、更(さら)に中村勝治郎氏(なかむらかつぢらうし)の「菊(きく)」色調(しきてう)に於(おい)て少(すこ)しく慊為(あきた)らぬ所(ところ)あるも■無下(■■むげ)に棄(す)てがたく、小林鐘吉氏(こばやしゝやうきちし)の「雨後(うご)の芦(あし)の湖(こ)」は或(あ)る点(てん)までよく雲烟(うんえん)の過(す)ぐる様(さま)を描写(べうしや)し得(え)たが、未(いま)だ色彩奇(しきさいき)ありて巧(かう)なく何(なん)となく落付(おちつ)かずして卑(いや)しくはないか、跡見泰氏(あとみたいし)の「稲村(いなむら)」は構図(かうづ)も手法(しゆはふ)も確(たし)かに面白(おもしろ)い所(ところ)があるが、岡野栄氏(をかのえいし)の「寄(よ)する波(なみ)」「曇(くもり)の波(なみ)」「暴(あ)れる波(なみ)」また不感服(ふかんぷく)、出口清(でぐちせい)三郎氏(らうし)も本場(ほんば)へ出(で)かけて修行(しゆぎやう)した程(ほど)の人(ひと)とも受取(うけと)れぬ@△こゝで橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の「朝(あさ)の山(やま)」は頗(すこぶ)る大膽(だいたん)なものだ、が終(つい)に可(か)なる所以(ゆゑん)を見(み)ない、よりて此室(このしつ)では欠伸一(あくびひと)つして次(つぎ)の第(だい)三室(しつ)に移(うつ)る、第(だい)三室(しつ)には見(み)るべきものがある

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