| 今（いま）にも雨（あめ）の降（ふ）り出（だ）しさうな、どんよりと曇（くも）つた日（ひ）の午後（ごゝ）であつた。自分（じぶん）は一日千秋（しう）の思（おもひ）をして待（ま）つて居（ゐ）た白馬会（はくばくわい）の絵画展覧会（くわいぐわてんらんくわい）が愈々赤坂（いよいよあかさか）の三会堂（くわいだう）で開（ひら）かれたと聞（き）いたので、電車（でんしや）を外濠線（そとぼりせん）の葵橋（あふひばし）で降（お）りて会場（くわいぢやう）に向（むか）つた。全体白馬会展覧会（ぜんたいはくばくわいてんらんくわい）は昨年（さくねん）の秋（あき）、上野（うへの）で開（ひら）かれる筈（はず）であつたが、会場（くわいぢやう）の都合（つがふ）で今年（ことし）の春（はる）まで延（の）ばしたのだ、昨年（さくねん）は休会（きうくわい）した事（こと）であるし、今度（こんど）は会場（くわいぢやう）が狭隘（けうあい）である爲（た）めに、鑑査（かんさ）も厳重（げんぢう）にしたと云（い）ふ噂（うはさ）を聞（き）いて居（ゐ）たので、目覚（めざま）しい展覧会（てんらんくわい）だろうと予期（よき）して居（ゐ）た、が行（い）つて見（み）ると夫（そ）れ程（それ）でもなかつた、何（なん）となく一昨年（さくねん）の展覧会（てんらんくわい）などに比（くら）べて劣（おと）つて居（ゐ）る様（やう）な気（き）がされた。元来公設展覧会（ぐわんらいこうせつてんらんくわい）が毎年秋開（まいねんあきひら）かれる様（やう）になつてから美術家（びじゆつか）は其（そ）の方（はう）に出品（しゆつぴん）する事（こと）を心懸（こゝろが）けて居（ゐ）る爲（た）めに、私設（しせつ）の展覧会（てんらんくわい）では苦心惨憺（くしんさんたん）して描（か）き上（あ）げたと云（い）ふ風（ふう）の作品（さくひん）を見（み）る事（こと）が少（すくな）くなつた。公設展覧会（こうせつてんらんくわい）は云（い）はゞ裃（かみしも）を着（つ）けて座敷（ざしき）へ行（ゆ）くと云（い）ふ風（ふう）のもので、未成品（みせいひん）とかほんの感興的製作（かんきようてきせいさく）と云（い）ふが如（ごと）きものは陳列（ちんれつ）されない性質（せいしつ）を持（も）つて居（ゐ）る、だから思（おも）ふ侭（まゝ）の、自然（しぜん）に対（たい）して抱（いだ）く感興（かんきよう）を直（たゞ）ちにカンパスに上（のぼ）して完成（くわんせい）したもの、未成品（みせいひん）に拘（かゝは）らず陳列（ちんれつ）する事（こと）を得（う）るのが私設展覧会（しせつてんらんくわい）の特徴（とくちやう）であると思（おも）ふ。自分（じぶん）は此（こ）の意味（いみ）で裃（かみしも）を着（つ）けた四角（かく）ばつたものより、寧（むし）ろ自由（じゆう）な感興的製作（かんきようてきせいさく）を却（かへ）つて面白（おもしろ）く思（おも）ふ。今度（こんど）の白馬会展覧会（はくばくわいてんらんくわい）でも所謂完成（いはゆるくわんせい）した大作（たいさく）は殆（ほと）んど見（み）られぬが、前（まへ）に云（い）つた感興的製作（かんきようてきせいさく）は随分（ずゐぶん）に沢山（たくさん）ある。黒田清輝氏（くろだきよてるし）の作品（さくひん）の如（ごと）きは此（こ）の点（てん）に於（おい）て最（もつと）も優（すぐ）れたものである、何（いづ）れも一尺（しやく）二三寸（すん）のものであるが、自然（しぜん）の妙趣（めうしゆ）が如何（いか）にも能（よ）く発揮（はつき）されてゐる、殊（こと）に此（こ）の中（うち）で佳（よ）いと思（おも）つたのは秋（あき）の洩（も）れ火（び）を描（えが）いたもので只見（たゞみ）ると何（なん）でもない様（やう）に思（おも）はれるが、能（よ）く注意（ちうい）して見（み）て居（ゐ）ると、物淋（ものさび）しい秋（あき）の光（ひかり）が赤（あか）い木（き）の葉（は）や枯草（かれくさ）を照（てら）して居（ゐ）る自然（しぜん）の感（かん）じがすらすらと描（えが）き出（だ）されて居（ゐ）て、云（い）ひ知（し）らぬ情趣（じやうしゆ）を感（かん）ずるのである。＠山本森之助氏（やまもともりのすけし）のは何時（いつ）もの作品（さくひん）に比（くら）べて見（み）ると、今度（こんど）のは非常（ひじやう）にあつけなく思（おも）ふ、何（なん）となく展覧会（てんらんくわい）に出（だ）す爲（た）めに殊更（ことさら）に描（えが）いた様（やう）に受取（うけとら）れる、此（こ）の秋（あき）の展覧会（てんらんくわい）には努力（どりよく）した真面目（まじめ）な製作（せいさく）を見（み）せて欲（ほ）しい、中沢弘光氏（なかざわひろみつし）の作品（さくひん）の中（うち）に印象派的（いんしやうはてき）の風景画（ふうけいぐわ）があるけれど、只表面（ただうはつゝら）の印象派的（いんしやうはてき）で、もつと深（ふか）みや強（つよ）い処（ところ）の無（な）いのが物足（ものた）らない感（かん）じがする、あの深（ふか）い深（ふか）い蒼空（あをぞら）の感（かん）じなども只平（たゞひら）たく見（み）える、其（そ）の筆遣（ふでづか）ひや色彩（しきさい）の配合（はいがふ）の具合（ぐはひ）などは流石（さすが）に同氏（どうし）でなくては得難（えがた）い処（ところ）もある、他（た）に四五枚（まい）のスケツチがあるが、山本氏（やまもとし）と同様展覧会（どうやうてんらんくわい）に出（だ）す爲（た）めに殊更（ことさら）に描（えが）いたものらしい。矢崎（やさき）千代（よ）二氏（し）の三枚（まい）の作品（さくひん）は、何（いづ）れも達筆（たつぴつ）には描（えが）かれてはゐるが、自然（しぜん）に対（たい）する態度（たいど）に真摯（しんし）と云（い）ふ点（てん）が欠（か）けて居（ゐ）る様（やう）思（おも）はれる。岡田（をかだ）三郎助氏（らうすけし）の製作（せいさく）は相変（あいかは）らず色彩豊麗（しきさいほうれい）を極（きは）めて居（ゐ）る。けれど強（つよ）い処（ところ）がない爲（た）めに人（ひと）を惹（ひ）きつける力（ちから）は割合（わりあひ）に薄（うす）い。和田英作氏（わだえいさくし）は肖像画（しやうぞうぐわ）を一点（てん）しか出品（しゆつぴん）してない、だが矢張（やは）り衆（しう）に擢（ぬき）んでゝ何処（どこ）か佳（よ）い処（ところ）がある、只背景（たゞはいけい）の緑色（りよくしよく）が頭髪（かみ）の毛（け）に対（たい）して少（すこ）しあくどくはないかしらと思（おも）はれる、画面（ぐわめん）にニスを塗（ぬ）つたのは嫌味（いやみ）がある。跡見泰氏（あとみたいし）のでは稲叢（いなむら）の図（づ）が面白（おもしろ）い、稲叢（いなむら）の陰影（かげ）を明瞭（はつきり）と描（ゑが）いたのは白（しろ）い雲（くも）との対照（たいせう）が非常（ひじやう）に佳（よ）い、只山（たゞやま）と地平線（ちへいせん）との界（さかい）がぼんやりして居（ゐ）て何（なん）となく要領（えうりやう）を得（え）ない気（き）がする。小林鐘吉氏（こばやしゝようきちし）の作品（さくひん）は自然（しぜん）に対（たい）しての愛慕（あいぼ）の情（じやう）が熱烈（ねつれつ）でない様（やう）に思（おも）はれる、従（したが）つて其（そ）の作品（さくひん）は人（ひと）を魅（み）するだけの力（ちから）に乏（とぼ）しい。三宅克己氏（みやけかつみし）の水彩画（すゐさいぐわ）は相変（あひかは）らず例（れい）によつて例（れい）の如（ごと）しとでも評（ひやう）して置（お）かうか、人（ひと）は三宅氏（みやけし）の作品（さくひん）が大変（たいへん）に変（かは）つた様（やう）うに云（い）ふけれど、其（そ）れは只筆（たゞふで）の先（さ）きだけの事（こと）で、根本（こんぽん）の自然（しぜん）に対（たい）しての態度（たいど）、心持（こゝろも）ちは前（まへ）と少（すこ）しも変（かは）つて居（ゐ）ない、描（か）き方（かた）の変（かは）る、変（かは）らぬと云（い）ふ事（こと）よりも、自然（しぜん）に対（たい）する根本（こんぽん）の思想（しさう）が変（かは）らなくては駄目（だめ）である、けれど自己（じこ）の職分（しよくぶん）に対（たい）して何処（どこ）までも忠実熱誠（ちうじつねつせい）な事（こと）は當今多（たうこんおほ）く其（そ）の比（ひ）を見（み）ない、此（こ）れは三宅克己氏（みやけかつみし）の美質（びしつ）であると思（おも）ふ。＠小林萬吾氏（こばやしまんごし）の四五枚（まい）の作（さく）、長原孝太郎氏（ながはらかうたらうし）の数枚（すうまい）の作（さく）は似（に）たり寄（よ）つたりで、感興的製作（かんきようてきせいさく）には違（ちが）ひなからうが、もつと努力（どりよく）して貰（もら）ひたい。太田（おほた）三郎氏（らうし）の避暑（ひしよ）に行（い）つてる若（わか）い女（をんな）が海（うみ）を見晴（みは）らす座敷（ざしき）の中（なか）で都（みやこ）の友（とも）からでも来（き）た手紙（てがみ）を見（み）て居（ゐ）る図（づ）は、道具立（だうぐだ）ては細（こま）かく描（か）いてあるが、其方（そのはう）にばかり気（き）をとられて情景（じやうけい）が余（あま）りうつらない。其（そ）れよりは却（かへ）つて小品（せうひん）ではあるが、芭蕉（ばせを）の雨（あめ）に濡（ぬ）れている図（づ）の方（はう）が佳（い）い。九里（り）四郎氏（らうし）の鏡（かゞみ）に向（むか）つて居（ゐ）る婦人（ふじん）は少（すこ）し描（か）き過（す）ぎて居（ゐ）る、純日本（じゆんにほん）の模様（もやう）の長襦袢（ながじゆばん）に、ヌーボー式（しき）の模様（もやう）、洋風（やうふう）の部屋（へや）は余（あま）りにかけ離（はな）れて居（ゐ）て不調和（ふてうわ）の様（やう）に思（おも）ふ。長襦袢（ながじゆばん）の如（ごと）きも薄（うす）い布（きれ）の様（やう）でなくて厚（あつ）い感（かん）じがする、単（たん）に色（いろ）ばかりから見（み）れば及（およ）び難（がた）い処（ところ）もある、筆（ふで）も手馴（てな）れて居（ゐ）る。橋本邦助氏（はしもとくにすけし）の大島（おほしま）の風景（ふうけい）は三原山（はらやま）を描（か）いたものだらう、山（やま）のたゞずまひ、白（しろ）い雲（くも）の具合（ぐあひ）など能（よ）く描（か）かれて居（ゐ）る。村上喜平氏（むらかみきへいし）の裸体画（らたいぐわ）は余（あま）り一生懸命（しやうけんめい）になり過（す）ぎて堅（かた）くなつたと云（い）ふ形（此（こ）の堅（かた）いと云（い）ふのは絵（ゑ）の堅（かた）いのではなくて、角力（すまふ）が土俵（どへう）に上（のぼ）つて堅（かた）くなつたと云（い）ふ意味（いみ）である）や物（もの）の説明（せつめい）と云（い）ふ事（こと）も勿論必要（もちろんひつえう）ではあるが、其（そ）の爲（た）めに感興（かんきやう）を失（うしな）つて了（しま）ふのは遺憾（ゐかん）である。郡司卯之助氏（ぐんじうのすけし）の作品（さくひん）は昨年（さくねん）の公設展覧会（こうせつてんらんくわい）に出（で）たものよりは優（すぐ）れて居（ゐ）る様（やう）な気（き）がする。真山氏（まやまし）の作品数個（さくひんすうこ）は何（いづ）れも気（き）が利（き）いて居（ゐ）て場中（ぢやうちう）では目（め）につく方（はう）である。中村勝次郎氏（なかむらかつじらうし）の菊（きく）は氏（し）としては佳作（かさく）である、中野営（なかのえい）三氏（し）の漁村（ぎよそん）の絵（ゑ）は日（ひ）の當（あた）つて居（ゐ）る家（いへ）の色（いろ）と干（ほ）してある網（あみ）の色（いろ）との配合（はいがふ）が気持（きも）ちよく出来（でき）て居（ゐ）る、只物（たゞもの）と物（もの）との界（さかひ）がぼんやりして居（ゐ）るのはどう云（い）ふ訳（わけ）か。渡辺省（わたなべしやう）三氏（し）の家鴨（あひる）の居（ゐ）る絵（ゑ）は家（いへ）の水（みづ）に映（うつ）つてる具合（ぐあひ）が如何（いか）にも実際（じつさい）らしいし、色彩（しきさい）も鮮（あざや）かである。平岡権（ひらをかごん）八郎氏（らうし）の漁夫（ぎよふ）はかざして居（ゐ）る手（て）が大（おほ）きすぎる、胸（むね）や喉（のど）の蔭影（かげ）が明瞭（はつきり）と描（か）かれて居（ゐ）る割合（わりあひ）に着物（きもの）の描（か）き方（かた）がぼんやりして居（ゐ）る、船（ふね）の燈火（あかり）もぼんやりして居（ゐ）る、要（えう）するに強（つよ）い燈火（あかり）がかつと當（あた）つて居（ゐ）る感（かん）じに乏（とぼ）しい。評（ひやう）しやうと思（おも）つたものはまだ沢山（たくさん）あるけれど、何（いづ）れ亦機会（またきかい）を見（み）ての事（こと）にしやう、参考品（さんかうひん）として仏国（ふつこく）のコラン氏（し）の婦人（ふじん）の絵（ゑ）が出（で）て居（ゐ）る、色彩（しきさい）も調子（てうし）も描（か）き方（かた）も日本（にほん）の油絵（あぶらゑ）とは似（に）ても似（に）つかぬ程（ほど）かけ離（はな）れて居（ゐ）る、此（こ）れ位（くらゐ）の作品（さくひん）が日本人（にほんじん）の手（て）によつて製作（せいさく）さるゝの時代（じだい）は何年後（なんねんご）の事（こと）であらうか、今（いま）の状態（じやうたい）では甚（はなは）だ心細（こゝろぼそ）い次第（しだい）である。 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