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白馬会関係新聞記事 第12回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)
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| 寸木 | 日本 | 1909(明治42)/04/25 | 5頁 | 展評 |
目下赤坂(もくかあかさか)三会堂(くわいだう)に開催中(かいさいちう)の第(だい)十二回白馬会展覧会(くわいはくばくわいてんらんくわい)は今度(こんど)は特(とく)に鑑査(かんさ)を厳(げん)にしたといふだけありて出品(しゆつぴん)二百四十五点中大作(てんちうたいさく)も無(な)い代(かは)り余(あま)り駄作(ださく)も少(すくな)いやうだ、今主(いまおも)なるものに就(つい)て短評(たんぴやう)を試(こゝろ)みやう△階下(かいか)は第(だい)一室(しつ)だけで水彩画(すゐさいぐわ)が多(おほ)く其中(そのうち)では三宅克巳氏(みやけかつみし)の作(さく)が佳(よ)い事(こと)は云(い)ふまでも無(な)く「秋川(あきかは)の夏(なつ)」は大作(たいさく)だが岩(いは)が余(あま)り柔過(やわらかす)ぎる水(みづ)は佳(よ)い森(もり)は殊(こと)に佳(よ)い一体三宅氏(たいみやけし)の作(さく)は森(もり)が一番善(ばんよ)くて遠近(ゑんきん)が悪(わる)い「秋(あき)の山(やま)」「夏景色(なつげしき)」でもヤツパリ左様(さう)だが此(この)二点(てん)は氏(し)の従来(じうらい)の作(さく)に較(くらべ)ると傑(すぐ)れて居(ゐ)る△中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の「温泉(をんせん)スケツチ」は凡(すべ)て評無(ひやうな)し、戸張孤雁氏(とばりこがんし)の水彩画(すゐさいぐわ)は氏(し)が挿絵画家(さしゑぐわか)だけあつて何(ど)れも此(こ)れも挿絵式(さしゑしき)だ、野村重次郎氏(のむらぢうじらうし)の油絵(あぶらゑ)「肖像(せうぞう)」は相応見(かなりみ)られる△階上(かいじやう)は全部油絵(ぜんぶあぶらゑ)で第(だい)二室(しつ)では船岡氏廣炊氏(ふなをかしひろえし)の「瓢(ひさご)」は一寸面白(ちよつとおもしろ)い、油井忠助氏(ゆゐちうすけし)の「雛妓(すうぎ)」は背景(はいけい)の取(と)り方(かた)が和田(わだ)三造氏(ざうし)の時事新報(じゞしんぱう)の新年附録(しんねんふろく)を模(も)したものでツマラヌ、八條弥吉氏(ぜうやきちし)の「夏(なつ)の大洗(おほあらひ)」真山孝治氏(まやまかうぢし)の「夕月(いうづき)」は共(とも)に構図(こんぽじしよん)に於(おい)て優(まさ)つて居(ゐ)る真山孝治氏(まやまかうぢし)の「男鹿半島(をじかはんたう)の一部(ぶ)」は前景(ぜんけい)の水(みづ)に岩(いは)の写(うつ)つて居(ゐ)る所(ところ)が巧(うま)い△太田(おほた)三郎氏(らうし)の「都(みやこ)の友(とも)より」以下凡(いかすべ)て挿絵式(さしゑしき)で人物(じんぶつ)の手足(てあし)も固(かた)く又欄干(またてすり)の陰影(ゐんえい)の調子(てうし)で縁側(ゑんがは)とは見(み)られぬ、氏(し)としては「雨降(あめふ)る日(ひ)」の芭蕉(ばせふ)に破傘(やぶれがさ)を見(み)せた処(ところ)が手際(てぎは)であらう△第(だい)三室(しつ)は先生(せんせい)の株(かぶ)のが大部(だいぶ)あるが和田英作氏(わだえいさくし)の「肖像(せうぞう)」は御免(ごめん)を蒙(かふむ)る、小林萬吾氏(こばやしまんごし)の作(さく)四点(てん)は凡(すべ)て採(と)らぬ「吹雪(ふゞき)」は吹雪(ふゞき)らしく無(な)く「乞食(こじき)」は特(こと)に酷(ひど)い、長原止水氏(ながはらしすゐし)のも亦同類(またどうるゐ)である、岡田(をかだ)三郎助氏(らうすけし)の「肖像(せうぞう)」三点(てん)は和田氏(わだし)に較(くら)べると余程佳(よほどい)い中(なか)でも百十九番(ばん)の習作(しふさく)を採(と)る△柳敬助氏(やなぎけいすけし)の「労働者(らうどうしや)」は巧(うま)い、平岡権(ひらをかごん)八郎氏(らうし)のは四点(てん)とも佳(い)い「日和(ひより)」は氏(し)の卒業製作(そつげふせいさく)と同(おな)じく漁夫(ぎよふ)を描(ゑが)いたもので、人物(じんぶつ)は流石(さすが)だ△第(だい)四室(しつ)では九里(さと)四郎氏(らうし)の「跪(ひざまづ)ける女(をんな)」は頗(すこぶ)る毒々(どくどく)しいもので女郎(ぢよらう)を描(ゑが)いたものかと思(おも)つたら令嬢(れいぢやう)らしい女(をんな)の裾(すそ)が堅(かた)い「肖像(せうざう)」は此人(このひと)が昨年文部省展覧会(さくねんもんぶしやうてんらんくわい)で入賞(にふしやう)した「蔵(くら)」と同型(どうけい)だが背景(ばつく)を改(あらた)めて欲(ほ)しい然(しか)し此人(このひと)のは兎(と)に角変(かくかは)つた処(ところ)がある出口清(でぐちせい)三郎氏(らうし)の作(さく)は四点共西洋風景(てんともせいやうふうけい)だが何(ど)れも是(こ)れも総(すべ)て佳作(かさく)だ中(なか)でも「夕雲(ゆふぐも)」は傑出(けつしゆつ)して居(ゐ)る「習作(しふさく)」の肖像(せうざう)も巧(うま)い処(ところ)がある、会員中(くわいゐんちう)でも是(こ)れ位描(くらひゑが)ける人(ひと)は沢山(たくさん)は無(な)からう△岡野栄氏(をかのさかえし)も矢張挿絵式(やはりさしゑしき)で「納涼(なふりやう)」は太田氏(おほたし)の「都(みやこ)の友(とも)より」と同(おな)じやうなもの「冬(ふゆ)の山村(やまむら)」は感(かん)が出(で)て居(ゐ)る、小林鐘吉氏(こばやしゝようきちし)の「多摩川(たまがは)の月(つき)」は駄作(ださく)だ未(ま)だしも「雨後(うご)の蘆(あし)の湖(こ)」を採(と)る、跡見泰氏(あとみたいし)の「稲村(いなむら」は巧(うま)い、手塚瓊(てづかけい)三氏(し)の「夏(なつ)」森川松之助氏(もりかはまつのすけし)の「駅路(うまやぢ)の夕(ゆふべ)」橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の「朝(あさ)の山(やま)」は一寸見(ちよつとみ)られる△山本森之助氏(やまもともりのすけし)は七点出(てんだ)して居(ゐ)るが氏(し)の平常(へいじやう)に似(に)ず余(あま)り奮(ふる)つて居無(ゐな)い只地下線(たゞちかせん)を極端(きよくたん)に上下(じやうげ)した処(ところ)が手際(てぎは)だ「多摩川(たまがは)の上流(じやうりう)」は佳(い)い北蓮蔵氏(きたはすざうし)の老人(らうじん)は余(あま)り感心(かんしん)せぬ一体幹部連(たいかんぶれん)は大分停滞(だいぶていたい)して居(ゐ)る村上喜平氏(むらかみきへいし)の「裸(はだか)の女(をんな)」は会場中唯(くわいぢやうちうゆゐ)一の裸体画(らたいぐわ)だが橋本氏(はしもとし)の作(さく)に似(に)て未(ま)だ未(ま)だ遠(とほ)い△中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の「日(ひ)ざかり」の人物(じんぶつ)は例(れい)によつてガサガサして居(ゐ)る「首夏(しゆか)」の方(はう)がよい「谿(たに)に残(のこ)れる紅葉(もみぢ)」は佳作(かさく)、参考品(さんかうひん)としてラフアエル・コランの「弾手(だんしゆ)」が出(で)てる居(ゐ)る二十年(ねん)も昔(むかし)のものださうで衣類(いるゐ)や背景(はいけい)のブラツクの多(おほ)いに見(み)ても今日(こんにち)と余程変(よほどかは)つて居(ゐ)るが流石身体(さすがからだ)は巧(うま)いものだ、黒田清輝氏(くろだせいきし)のは皆小品(みなせうひん)で中(なか)でも「冬(ふゆ)の谷川(たにかは)」「南海岸(なんかいがん)の冬(ふゆ)」は小(ちい)さなものだが此(この)二点(てん)を採(と)る△要(えう)するに駄作(ださく)も無(な)い変(かは)りに特(こと)に傑(すぐ)れたといふものも無(な)い、それから大体(だいたい)の傾向(けいかう)を云(い)ふと黒田(くろだ)、山本両氏(やまもとりやうし)の後(あと)を追(お)ふ者(もの)が一番多(ばんおほ)いやうだ(寸木)

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