黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第12回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第12回白馬会展

戻る
白馬会(はくばくわい)を評(ひやう)す(五)
目次 |  戻る     進む 
| 木下杢太郎 | 東京二六新聞 | 1909(明治42)/05/15 | 6頁 | 展評 |
第(だい)五室(しつ)@○山本森之助氏の諸作。山本氏(やまもとし)に就(つい)ては甞(かつ)て言(い)つた事(こと)がある。唯尚附(たゞなほつ)け加(くは)へて置(お)きたい事(こと)は、氏(し)は自然(しぜん)を図案化(づあんか)すると同時(どうじ)に、著(いちじる)しく簡単化(かんたんくわ)する。山(やま)の一端(たん)に対(たい)しても、雲(くも)に対(たい)しても、海(うみ)の波(なみ)に対(たい)しても、氏(し)は殆(ほと)んど同様(どうやう)の情緒(じやうしよ)しか抱(いだ)かぬやうである。四五の何(いづ)れの絵(ゑ)を見(み)るも、観客(くわんかく)は唯同(たゞどう)一手法(しゆはふ)と較々似(やゝに)よつた情調(じやうてう)しか味(あぢ)はうことが出来(でき)ぬ。是等(これら)の小品(せうひん)は油絵(あぶらゑ)としてよりも版下(はんした)としての方(はう)が面白(おもしろ)く見(み)える。感興(かんきやう)のモオチイヴは殆(ほと)んど同様(どうやう)である。@○矢崎氏の画は何(いづ)れも余(あま)り感心(かんしん)しない。@○中沢氏のは(二三)日ざかりのやうなものは何(ど)うも感服(かんぷく)が出来(でき)ぬ。氏(し)の気禀(きりん)の制限(せいげん)から外(はづ)れてゐる仕事(しごと)のやうに見(み)える。要(えう)するに矢張試作(やはりしさく)に過(す)ぎぬといふやうにしか思(おも)はれない。(二二七)さし来る潮(二二五)うす日などの方(はう)が面白(おもしろ)い。@○黒田氏の諸作。氏(し)は恐(おそ)らく自然(しぜん)を愛(あい)するよりも絵画(くわいぐわ)を愛(あい)する人(ひと)であらう。絵画(くわいぐわ)に化(な)す爲(た)めには、氏(し)はひどく自然(しぜん)を撓(た)める事(こと)をも辞(じ)さないである。氏(し)の芸術(げいじゆつ)は、かるが故(ゆゑ)に自然(しぜん)の再現(さいげん)では無(な)い。顔料(がんれう)のアニメエシヨンである(二三八)雨中の薔薇(二四二)冬樹の夕日(二三六)炎天の山辺。@附言(ふげん)。吾人(ごじん)の洋画批評(やうぐわひひやう)の態度(たいど)については、雑誌(ざつし)『昴』第(だい)五号(がう)の雑録(ざつろく)に告白(こくはく)して置(お)いた。(五月二日夜)

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所