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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(上)
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| 都新聞 | 1907(明治40)/10/20 | 1頁 | 展評 |
美術(びじゆつ)の季節(シイズン)となった。上野公園(うへのこうゑん)には、ハヤ既(すで)に展覧会(てんらんくわい)が開(ひら)かれて居(を)る。白馬会(はくばくわい)を第(だい)一として博覧会跡(はくらんくわいあと)の二号館(がうくわん)には同会(どうくわい)の外(ほか)に国香会(こくかうくわい)の女子絵画展覧会(じよしくわいぐわてんらんくわい)、桜(さくら)が岡(をか)には、文部省(もんぶしやう)に反対(はんたい)の正派同志会(せいはどうしくわい)を合併(がつぺい)した美術協会(びじゆつけふくわい)が開(ひら)かれ、それにつゞいては来(きた)る廿五日からの文部省展覧会(もんぶしやうてんらんくわい)、読画塾(どくゞわじゆく)、無声会(むせいくわい)、写真会(しやしんくわい)などが開(ひら)かれんとして居(を)る。博覧会(はくらんくわい)の開設(かいせつ)に依(よ)つて日本文明(にほんぶんめい)の散文的(さんぶんてき)な一面(めん)を見(み)た人々(ひとびと)は、こゝに展覧会(てんらんくわい)に於(おい)て其詩的(そのしてき)な方面(はうめん)を味(あぢは)ひ得(う)ることゝなつた。いざ、これから開設(かいせつ)の順(じゆん)に従(したが)つて、それを紹介(せうかい)しやう。@先(ま)づ白馬会(はくばくわい)から取(とり)かゝる。同会(どうくわい)は現在(げんざい)の絵画界中(くわいぐわかいちう)、最(もつと)も進(すゝ)み最(もつと)も盛(さか)んな団体(だんたい)で、其展覧会(そのてんらんくわい)は開会前(かいくわいぜん)から待(ま)ち設(まう)けさせたものであつたが、今回(こんくわい)は露骨(ろこつ)に云(い)ふと平生程(いつもほど)の盛観(せいくわん)がない。これは文部省(もんぶしやう)の出品(しゆつぴん)に忙(いそが)しいので、会員(くわいゐん)が全力(ぜんりよく)を此会(こゝ)に盡(つく)すことが出来(でき)なかつた為(た)めであらうが、其(そ)れにしては振(ふる)つて居(を)ると云(い)つて可(よ)い。殊(こと)に少壮画家(せうさうぐわか)の奮起(ふんき)して居(を)ること、出品(しゆつぴん)の多(おほ)いこと、新進作家(しんしんさくか)の紹介(せうかい)されて居(を)ることなどは確(たし)かに今回(こんど)の特色(とくしよく)で、有繁(さすが)は白馬会(はくばくわい)の展覧会(てんらんくわい)だけあると首宵(しゆかう)されるのである。@入場第(にふぢやうだい)一に目(め)を惹(ひ)くのは、山中(さんちう)の夕陽(せきやう)を描(か)いた大幅(だいふく)であるが、苦心(くしん)の割合(わりあひ)に出来栄(できばえ)は好(よ)いものでない。この画(ゑ)よりも其附近(そのふきん)にある小幀(スケツチ)の中(うち)に甚(はなは)だ優(すぐ)れたものがある、斎藤氏の海辺(うみべ)の図外(づほか)一点(てん)はモザイク風(ふう)の画(ゑ)で、出品中(しゆつぴんちう)では一種変(しゆかは)つたものである。併(しか)し、全体(ぜんたい)に落着(おちつ)きがなく、色(いろ)も亦充分(またじうぶん)こなれて居(ゐ)ないので、何(なん)となく技術(ぎじゆつ)が熟(じゆく)して居(ゐ)ないやうに見受(みう)けられる。たゞ珍(めづ)らしいと云(い)ふだけのものであらう。

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