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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会の評判(二)
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| 白衣子 | 国民新聞 | 1907(明治40)/10/23 | 6頁 | 展評 |
「庭の隅」(斎藤五百枝)は近景(きんけい)から中景(ちうけい)には充分(じうぶん)に日(ひ)の光(ひかり)が射(さ)してゐるのに遠景(ゑんけい)が晩秋(ばんしう)の様(やう)で寂(さび)しい感(かん)じがする少(すこ)しも日(ひ)の當(あた)らぬのが不注意又(ふちういま)た人物(じんぶつ)が明(あき)らか過(す)ぎて芙蓉(ふよう)よりも近(ちか)く飛出(とびだ)してるのと緑(みどり)の陰影(いんえい)の色(いろ)の厭(いや)なのも欠点(けつてん)だ@「草苅乙女」(近藤浩)は主(おも)な人物(じんぶつ)が目立(めだ)たずに景色(けしき)に圧(お)されてゐる其(それ)に腰(こし)から膝迄(ひざまで)が長過(ながす)ぎて膝(ひざ)から下(した)が短(みじ)か過(す)ぎる「日向」四題(だい)は傑作(けつさく)だ色(いろ)の見方(みかた)と筆使(ふでつか)ひに一種(しゆ)の特色(とくしよく)が有(あ)つて面白(おもしろ)い@「波」(山本森之助)曇(くも)り日(ひ)にしては中景(ちうけい)で崩(くず)れやうとする波(なみ)の透(す)き通(とは)つた緑(みどり)の色(いろ)が余(あま)り美(うつ)くし過(す)ぎて曇(くも)り日(ひ)とは受取(うけと)れぬ@「画室」(長原孝太郎)右(みぎ)の手首(てくび)などの描法(べうほふ)は簡単(かんたん)で柔(やわ)らかに好(よ)く描(や)つてあるが肩(かた)の所(ところ)から左(ひだり)の手(て)にかけて少(すこ)し説明(せつめい)が欲(ほし)い渋(しぶ)い画(ゑ)だ@「山腹より見たる湖」(山本森之助)は小品(せうひん)ではあるが場中(じやうちう)の佳作(かさく)だ水色(みづいろ)と岸(きし)の砂(すな)と寄(よ)する波(なみ)とに冬(ふゆ)の寂(さび)しい感(かん)じが充分(じうぶん)ある@「小笠原島風景」(久米福衛)は色(いろ)に一種(しゆ)の暖(あたゝか)みが有(あ)つて如何(いか)にも熱帯(ねつたい)に近(ちか)い空気(くうき)が有(あ)る様(やう)だが波(なみ)の遠近少(ゑんきんすこ)し不明(ふめい)なのが欠点(けつてん)だらう@「朝霧」(黒田清輝)「日向の庭園」「荒れたる花壇」「百合」「薔薇」「五月雨頃」「海辺の夏の夕暮」の小品(せうひん)いづれも高雅(かうが)な色彩(しきさい)で殊(こと)に薔薇(ばら)は其(そ)の中(なか)でも秀(ひい)でたものであらう背景(はいけい)の桜(さくら)と草(くさ)と湿(しめ)つた土(つち)とに云(い)はれぬ渋(しぶ)い所(ところ)が有(あ)つて薔薇(ばら)が其(そ)の前(まへ)に咲(さ)きこぼれてゐるのが如何(いか)にも好(よ)く花弁(くわべん)の色(いろ)と其(そ)の描法(べうほふ)の軽(かる)いのが殊(こと)に好(よ)い「荒(あ)れたる花壇(かだん)」と「五月雨頃」といひ庭園(ていえん)の一部(ぶ)らしい画(ゑ)で緑(みどり)の色(いろ)が如何(いか)にも落付(おちつ)いてゐる其他未成品(そのたみせいひん)らしい「肖像」は描法(べうほふ)の闊達(くわつたつ)なのが気持(きもち)が好(よ)く「画室の窓」は戸外(こぐわい)の光線(くわうせん)が室内(しつない)に流(なが)れ入(い)つて胸(むね)に射(あた)つたのが巧(たくみ)に顕(あら)はれてゐる「野辺」は場中(じやうちう)の呼物(よびもの)で戸外(こぐわい)の光(ひか)りが遍(あまね)く射(あた)つて臥(ね)て居(を)る少女(せうぢよ)の乳(ちゝ)から掛(か)けて柔(やわらか)いが肌(はだ)を包(つゝ)む骨格(こつかく)の説明(せつめい)が行(ゆ)きとゞいてゐる@「浜辺」(中村勝治郎)の納屋(なや)は気持(きもち)が好(よ)い室内(しつない)の人物(じんぶつ)の後方(こうほう)に僅(わづか)ばかり見(み)える窓外(そうぐわい)の緑(みどり)が画(ゑ)の全体(ぜんたい)を活(い)かしてゐる@「鴨川」(小林萬吾)は調子(てうし)の沈(しづ)んだ樹(き)の枝(えだ)の描法(べうはふ)などは巧(うま)いものだ京(きやう)の山水(さんすゐ)を忍(しの)ばせる「肖像」(和田英作)は女(をんな)の半面(はんめん)を描(えが)いたのだが眉毛(まゆげ)の逆立(さかだ)つてゐるのが如何(いか)にも気(き)になる一体(たい)に例(れい)の大作(たいさく)を見(み)ぬは口惜(くちおしい)が岩崎家(いはさきけ)の壁画(へきぐわ)に全力(ぜんりよく)を盡(つく)し居(ゐ)ると云(い)へば無理(むり)もない第(だい)三室(しつ)からは水彩(すゐさい)が重(おも)で這入(はい)ると直(す)ぐ米人(べいじん)ラーヨルのエツチングが有(あ)る之(これ)は如何(いか)にも手際(てぎは)なものだ「海景と花」は米人(べいじん)リチヤードで舟(ふね)の画室(ぐわしつ)を持(も)つてゐた有名(いうめい)の人(ひと)で流石(さすが)に水彩(すゐさい)の波(なみ)は軽(かる)い所(ところ)が有(あ)るが傑作(けつさく)と云(い)ふ程(ほど)のものでも無(な)い。戸張孤雁(とばりこうがん)のクレオン画(ぐわ)は米国流(べいこくりう)の挿画(さしえ)で版(はん)にしたらば左程目立(さほどめだた)ぬだらうが原画丈(げんぐわだ)けに瑕(きづ)が悉(ことごと)く出(で)てゐて目(め)に付(つ)いて困(こま)る画(ぐわ)としての面白味(おもしろみ)も無(な)く石版(せきはん)の錦絵(にしきゑ)にでも有(あ)り相(さう)な筆法(ひつぱふ)は如何(いか)にも厭(いや)だ。@山本森之助(やまもともりのすけ)の水彩(すゐさい)は「長野の夜景」が殊(こと)に気持(きもち)が好(よ)い一六十三号(がう)からは殆(ほとん)ど三宅克巳(やけかつみ)の画(ぐわ)で合計(がうけい)二十七点(てん)あるが其(そ)の中大幅(うちおほふく)の「夕雲」や「雨後の山中」と「林」の三つは他(た)の小品(せうひん)に比(ひ)して余(あま)り骨(ほね)を折(を)り過(す)ぎてゐる「夕暮の森」と「雪の日」は他(た)に比(くら)べると非常(ひじやう)な違(ちが)ひで雪(ゆき)の描法(べうはふ)は氏特有(しとくいう)の点(てん)が全(まつた)く無(な)い「夕暮の森」は木(こ)の葉(は)の緑(りよく)が少(すこ)し他(た)の色(いと)とかけ放(はな)れてゐる「雨後の描法」は大膽(だいたん)で水彩絵(すゐさいゑ)らしい所(ところ)が感(かん)じがない

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