黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第10回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第10回白馬会展

戻る
白馬会(はくばくわい)の回顧(くわいこ)(二)
目次 |  戻る     進む 
| 黒田清輝(談)| 都新聞 | 1905(明治38)/10/31 | 1頁 | 雑 |
△交際(かうさい)に益(えき)した旅行(りよかう)@其外臨時(そのほかりんじ)に少(すくな)くて四五人集(にんあつま)つて一所(しよ)に旅行(りよかう)する事(こと)があるんです、是(これ)は決(きま)つた事(こと)でなし真(ほん)の思(おも)ひ附(つき)で行(い)かないかと云(い)ふ事(こと)で出掛(でか)けて行(ゆ)くのです此又旅行(このまたりよかう)が余程友達(よほどゝもだち)の交際(つきあひ)に益(えき)してる事(こと)が多(おほ)いだらうと思(おも)ふのは言(い)はゞ師匠株(しゝやうかぶ)の人(ひと)も弟子株(でしかぶ)の人(ひと)も居(ゐ)ますけれども其隔(そのへだて)もなく汚(きたな)い宿屋(やどや)などに夜具(やぐ)を引張(ひつぱ)りあつたり共寝(ごろね)したりしてやるのです、其旅行(そのりよかう)ハ度々(たびたび)やりましたけれど一番重(ばんおも)なる事(こと)を挙(あ)げて見(み)ると上総(かづさ)の大原(おほはら)といふ所(ところ)へエート二度許(どばか)り行(ゆ)きました、其(そ)れから私(わたくし)ハ大原(おほはら)の方(はう)に加(くはゝ)つたけれども二組(くみ)に分(わか)れ一組(くみ)の方(はう)ハ矢口(やぐち)の渡(わた)しの田舎家(ゐなかや)を借(か)りて其処(そこ)に暫(しばら)く陣取(じんど)つて居(ゐ)た事(こと)もあるんです、それから大磯(おほいそ)にも行(ゆ)きました、大磯(おほいそ)でハ松林館(しようりんくわん)といふ所(ところ)に、箱根(はこね)にも行(ゆ)きました、前後箱根(ぜんごはこね)にハ三度許(どばか)り五六年(ねん)の間(あひだ)に……、それから江(え)の浦(うら)に一回(くわい)と静浦(しづうら)に一回(くわい)、筑波山(つくばさん)にも一回(くわい)、それから軽井沢(かるゐざは)の方(はう)から霧積(きりずみ)の方(はう)へ廻(まは)つた事(こと)がある、其外(そのほか)二三人宛(にんづゝ)の群(かたま)りでハ方々(はうばう)へ行(い)つた時(とき)もある、房州(ぼうしう)の白浜辺(しらはまへん)へ行(い)つた事(こと)もあります、それから彼(あ)の百草園(もぐさゑん)から府中(ふちう)に一晩泊(ばんとま)つて鞠子(まりこ)の方(はう)から歩(ある)いて帰(かへ)つた事(こと)があつた、それから潮来出島(いたこでじま)へ行(い)つた事(こと)もある、如其(さう)いふやうな旅行(りよかう)ハ中(なか)にハ会員許(くわいゐんばか)りでなく気(き)の合(あ)つた親友(しんいう)の仲間(なかま)ハ二三人位(にんぐらゐ)ハ余(あま)り関係(くわんけい)ない人(ひと)も交(まざ)つてるのですけれども暢気(のんき)な連中(れんぢう)で貧乏(びんばう)たらしいやうな如其(さう)かと思(おも)ふと酒(さけ)など飲(の)んだりするやうな事(こと)もやるのです、其時(そのとき)に未(いま)だ何(なに)から東京(とうきやう)から杉田(すぎた)の梅(うめ)を見(み)て金沢(かなざは)に泊(とま)つて帰(かへ)りに鎌倉(かまくら)の方(はう)を廻(まは)つて帰(かへ)つた事(こと)があります、重(おも)な事(こと)ハ斯(こ)んな位(くらゐ)で外(ほか)のチヨイチヨイしたのハ思(おも)い出(だ)せん位(くらゐ)です@△不思議(ふしぎ)な日本(にほん)の油画(あぶらゑ)@私共帰(わたくしどもかへ)りたてに日本(にほん)でやつてる油画(あぶらゑ)といふのハ一二の外国(ぐわいこく)などで学(まな)んで来(き)た人(ひと)の巧(うま)い画(ゑ)もありましたけれども其外(そのほか)の画(ゑ)ハ大抵何(たいていなん)です非常(ひじやう)に何(ど)うも古(ふる)い時代(じだい)の油画(あぶらゑ)を真似(まね)てやつて居(ゐ)るやうに感(かん)じたんです、それで実(じつ)に不思議(ふしぎ)な感(かん)が起(おこ)つたのは日本(にほん)の空気(くうき)の総(すべ)て鮮(あざ)やかな明(あきら)かに物(もの)が見(み)えるやうな所(ところ)であつて其出来(そのでき)たものハ是(これ)の反対(はんたい)の如何(いか)にも欧羅巴(ようろつぱ)の北(きた)の方(はう)の暗(くら)い光線(くわうせん)の所(ところ)で画(か)いたやうな感(かん)じがあります、欧羅巴(ようろつぱ)の北(きた)の方(はう)の空気(くうき)の暗(くら)いといふのハ幾(いく)らか奥深(おくふか)い感(かん)じがあります、靄(もや)のかゝつた空気(くうき)に富(と)んで居(ゐ)るんですね、それで何(ど)うも先(ま)づ画(ゑ)の巧拙(こうせつ)は別(べつ)として欧羅巴(ようろつぱ)の如其(さう)いふ所(ところ)で出来(でき)た画(ゑ)を見(み)て而(さう)して其彼地(そのむかう)で出来(でき)たのハ佳(い)いものハ自然(しぜん)の土地柄(とちがら)に依(よ)つて中々能(なかなかよ)く自然(しぜん)を写(うつ)してあるのですけれども是(これ)は自然(しぜん)を知(し)らずして上部丈(うはべだけ)を拙(まづ)く真似(まね)たのではないかといふ気持(きもち)がしたのです

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所