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白馬会関係新聞記事 第10回白馬会展

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白馬会管見(はくばくわいくわんけん)(一)
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| △×生 | 時事新報 | 1905(明治38)/10/20 | 11頁 | 展評 |
我国洋画界(わがくにようぐわかい)の羅針盤(らしんばん)を以(もつ)て自(みづ)から任(にん)ずる同会(どうくわい)が毎年暑(まいねんあつ)からず寒(さむ)からぬ秋(あき)の上野(うえの)に展覧会(てんらんくわい)を開(ひら)きて丹青(たんせい)を公(おゝやけ)にしつゝある事(こと)は雅俗共(がぞくとも)に知(し)るところであるが今年(こんねん)は別(わ)けて創立(そうりつ)十年(ねん)に當(あた)るといふので之(これ)が紀念大展覧会(きねんだいてんらんくわい)を催(もよお)したのは洵(まこと)に此秋(このあき)の一美観(びくわん)として会(くわい)の壮挙(そうきよ)を多(た)とせねばならぬ取敢(とりあ)へず会場(くわいじよう)へ馳(は)せつけ無限(むげん)の興味(きようみ)を与(あた)へられつゝ一見(けん)はしたものゝ素(もと)より斯道(このみち)には門外漢(もんぐわいかん)の吾等批評(われらひゝよう)などゝは思(おも)ひも寄(よ)らぬ所(ところ)で盲蛇(めくらへび)の臆面(おくめん)なく唯(た)だ見(み)たまゝ感(かん)じたまゝを一二記(しる)して見(み)やうと思(おも)ふ@△概(がい)して今度(こんど)の出品中(しゆつぴんちう)の新作品(しんさくひん)にはこれと云(い)ふ佳作(くわさく)は鮮(すく)なく却(かえ)つて旧作(きうさく)の方(はう)が著(いちじ)るしく光彩(くわうさい)を放(はな)つて居(お)る様(よう)に見(み)たは僻目(ひがめ)か紀念展覧会(きねんてんらんくわい)だけあつて諸家(しよか)に散在(さんざい)する作品(さくひん)をもあつめたらしく黒田氏(くろだし)の『昔語(むかしかた)り』の草稿(そうこう)が大小(だいしよう)十幾枚及(いくまいおよ)び在仏中(ざいふつちう)の稽古描(けいこが)きなども見受(みう)けられ又藤嶋氏(またふじしまし)の『天平時代(てんぺいじだい)のおもかげ』和田氏(わだし)の『巴里(パリ)の近郊(きんこう)』『思郷(しきよう)』岡田(おかだ)氏の風景人物等(ふうけいじんぶつとう)十幾点久米氏(いくてんくめし)の風景画安藤氏(ふうけいぐわあんどうし)の静物写生山本森之助氏(せいぶつしやせいやまもともりのすけし)の風景画(ふうけいぐわ)二十余点等(よてんとう)も陳列(ちんれつ)されてあるが其中(そのなか)にも山本氏(やまもとし)の風景画(ふうけいぐわ)などは何時(いつ)どこで見(み)ても実(じつ)に感服(かんぷく)の外(ほか)は無(な)い之(こ)れで見(み)ても手(て)のかゝつた忠実(ちうじつ)にして親切(しんせつ)な作品(さくひん)が必(かなら)ず最後(さいご)の勝利(しようり)を占(し)めると云(い)ふ事(こと)が今更(いまさら)ながら深(ふか)く深(ふか)く深く感(かん)じられるのであるさて是(こ)れから新作(しんさく)を拝見(はいけん)しやう@△南薫造氏(みなみくんぞうし)の『老人(ろうじん)』可(か)なりに大(おゝ)いな画(ゑ)で作者苦心(さくしやくしん)の程(ほど)も見(み)ゆるが何方(どちら)かといへば當(あ)て気(き)が多(おゝ)くて真面目(まじめ)を欠(か)いて居(い)はすまいか裸体陰影(らたいゝんえい)の部分(ぶゞん)なども色(いろ)が余(あま)りに混乱(こんらん)して居(お)る為(た)め人間(にんげん)の皮膚(ひふ)とは思(おも)はれぬとの評(ひよう)もある所詮(しよせん)は氏(し)の海岸(かいがん)の風景画(ふうけいぐわ)などの方(はう)が遥(はる)か勝(まさ)つて居(お)るやうに見(み)えた@△薄拙太郎氏(すゞきせつたろうし)の『台所(だいどころ)』人物形(じんぶつかた)に怪(あや)しき処多(ところおゝ)く色(いろ)もこなれず台所(だいどころ)の絵(え)を描(か)く為(た)めに殊更(ことさら)こゝに種々(しゆじゆ)の道具類(どうぐるい)をかきあつめたとしか思(おも)はれない西洋人(せいようじん)が描(か)いた日本婦人(にほんふじん)の画(え)を見(み)ると得(え)て斯様心持(こんなこゝろも)ちがするものだ@△マリー嬢(じよう)の『ゆりの花(はな)』色(いろ)もおとなしく丸(まる)みも可(か)なりに有(あ)り少女(しようじよ)の肖像(しようぞう)は形(かた)ち怪(あや)しく色(いろ)も落(お)ちつかず何処(どこ)となし粉(こな)つぽい様(やう)な心地(こゝち)がしたが併(しか)し通(つう)じて親切(しんせつ)なのはうれしい。@赤松麟作氏(あかまつりんさくし)の『帰牧(きぼく)』単(たん)に大(おゝ)きさから云(い)ふと先(ま)づ場内屈指(じようないくつし)の方(ほう)であらうが全体(ぜんたい)に漠(ばく)として一向(かう)に纏(まとま)つた所(ところ)がないコンポジシヨンの如(ごと)きも尚(な)ほ一考(こう)を要(よう)するであらう牛(うし)の形(かたち)、人(ひと)の形(かたち)、何(いづ)れも不親切極(ふしんせつきわ)まつて居(お)る総(すべ)て未(いま)だ一局部(きよくぶ)の研究(けんきう)すら充分(じうぶん)でないのに早(はや)くも大(おゝ)きなカンバスを捏(こ)ねまはすと夫(そ)れこそ飛(と)んでもないものが出来上(できあが)るものだ一寸考(ちよつとかんが)へると田甫(たんぼ)やら榛(はり)の木(き)やらを一生懸命(しようけんめい)に描(か)くのは如何(いか)にも書生臭(しよせいくさ)く又(また)それ等(ら)を展覧会(てんらんくわい)に出陳(しゆつちん)する事(こと)も何(なん)となく気恥(きはづ)かしい様(よう)な気(き)もしやうけれど尚(な)ほ不相応(ふそうおう)な大作(だいさく)を思立(おもいた)つて徒(いたづ)らに苦悶(くもん)するに優(まさ)る事萬々(ことばんばん)であらうと思(おも)ふ@△和田(わだ)三造氏(ぞうし)の『牧場之図(ぼくじようのづ)』これも中々(なかなか)の大作(たいさく)であるが作品(さくひん)を見(み)て察(さつ)するのに最初氏(さいしよし)が白(しろ)きカンバスに対(むか)つた時(とき)の希望抱負(きぼうほうふ)からは大分遠(だいぶとお)いものが出来(でき)たのではあるまいか然(しか)し赤松氏(あかまつし)の失敗(しつぱい)に比(ひ)しては稍(や)や纏(まとま)つて居(い)る丈(だ)けが成功(せいこう)であらう@此画(このえ)を見(み)て直(たゞ)ちに起(おこ)り来(きた)る感想(かんそう)は大(おゝ)きな絵(え)と云(い)ふ事(こと)、次(つぎ)には色(いろ)が何(なん)となく卑(いや)しく穢(きた)ないと云(い)ふ感(かん)じだ空(そら)を塗(ぬ)るに幾(いく)百千の点(てん)を以(もつ)てしたのは作者(さくしや)が気取(きど)つた処(ところ)であらう心算(つもり)かも知(し)らぬが之(こ)れが為(た)めにやわらかく無難(ぶなん)の作(さく)となつたのは儲(もう)けものといはねばならぬ田舎馬(いなかうま)の如何(いか)にも田舎馬(いなかうま)らしいところは写(うつ)し得(え)たりとするも其周囲(そのしうい)の人物(じんぶつ)との関係(くわんけい)は何(ど)うであらうかこれ等動物(らどうぶつ)と野原(のはら)との描(か)きこなしに至(いた)つては如何(いか)にも不満足(ふまんぞく)なる様(よう)に思(おも)はれる遠景(えんけい)は左程(さほど)ではないが最(もつと)も手前(てまえ)の雑草(ざつそう)や小高(こだか)き地面(ぢめん)など今(いま)一層(そう)の注意(ちうい)を払(はら)つて親切(しんせつ)に描写(びようしゃ)されん事(こと)を望(のぞ)むのである要(よう)するにこれ程(ほど)の大作(たいさく)を兎(と)に角(かく)これ丈(だけ)までに仕上(しあ)げられたる作者(さくしや)の苦心(くしん)と手腕(しゆわん)とは大(おゝい)に称(しよう)す可(べ)きものであらうと信(しん)ずる

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