黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第8回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第8回白馬会展

戻る
油絵(あぶらゑ)と見物人(けんぶつにん)(きのふのつぎ)
目次 |  戻る     進む 
| 萬朝報 | 1903(明治36)/10/02 | 3頁 | 展評 |
白馬会(はくばくわい) で云(い)へバ北連蔵(きたれんぞう)の「添乳(そへち)」「吹笛(すゐてき)」和田英作(わだえいさく)の「夕暮富士(ゆふぐれふじ)」等(とう)の前(まへ)に人(ひと)が多(おほ)く立(た)つ、前(まへ)の二つハ頗(すこぶ)る面積(めんせき)の広(ひろ)い画即(ぐわすなは)ち大(おほ)きい画(ゑ)で、珍世界的見物人(ちんせかいてきけんぶつにん)ハ先(ま)づ其大(そのおほ)きい所(ところ)に目(め)を牽(ひ)かれるのだ、それから此(この)二つハ多(おほ)くの見物人(けんぶつにん)の見馴(みな)れた線(せん)で画(か)く旧式(きふしき)の日本画(にほんぐわ)とハ違(ちが)ひ、何(なん)の事(こと)ハ無(な)い矢鱈(やたら)に彩色(いろ)を塗(ぬ)り立(た)てゝ△彩色(いろ)の底(そこ)に絵(ゑ)が隠(かく)れ て居(ゐ)るやうに見(み)える、詰(つ)まり是(これ)ハ変(かは)つて居(ゐ)ると云(い)ふので人(ひと)が集(あつ)まる、何(なん)だか薄黒(うすぐろ)いものだと思(おも)つて附(つ)いて見(み)ると彩色(いろ)の上(うへ)に彩色(いろ)が浮(うか)び彩色(いろ)の中(なか)にも彩色(いろ)を包(つゝ)み幾重(いくへ)にも奥(おく)の奥(おく)を彩色(いろ)の使(つか)ひやうで見(み)せるのが如何(いか)にも奇妙奇天烈(きめうきてれつ)だ、「添乳(そへち)」ハ朦朧(もうろう)たる細君(さいくん)が朦朧(もうろう)たる赤裸(はだか)の児(こ)を寝(ね)かして乳(ちゝ)を啣(ふく)まして居(ゐ)る傍(そば)に、諸肌脱(もろはだぬぎ)の御亭主(ごていしゆ)が此方(こちら)へ背(せな)を向(む)けて涼(すゞ)んで居(ゐ)る、「吹笛(すゐてき)」ハ海浜(かいひん)の石(いし)に朦朧(もうろう)たる若(わか)い男(をとこ)が腰(こし)を掛(か)けて笛(ふゑ)を吹(ふ)く、上(うへ)に三日月(みかづき)が出(で)て居(ゐ)る、すると向(むか)ふから一層朦朧(そうもうろう)たる二個(ふたり)の若(わか)い女(をんな)が団扇(うちわ)を手(て)にして歩(ある)いて来(く)る、何(いづ)れも夕暮(ゆうぐれ)の景色(けしき)で彩色(いろ)が双方(さうはう)の時間(じかん)を告(つ)げて居(ゐ)る、 彩色(いろ)の底(そこ)に絵(ゑ)を隠(かく)してある△魔術(まじゆつ) ハ最(もつと)も此夕暮(このゆふぐれ)の景色(けしき)を画(か)くことに於(おい)て多(おほ)くの人(ひと)に奇妙奇天烈感(きめうきてれつかん)を与(あた)へ得(う)るのだ、故(ゆゑ)に何(なん)でも構(かま)はず自分(じぶん)の絵(ゑ)の前(まへ)に立(た)つ頭数(あたまかづ)を多(おほ)くしやうとせバ、面積(めんせき)を広(ひろ)くして夕暮(ゆふぐれ)を画(かく)に限(かぎ)る、「夕暮富士(ゆふぐれふじ)」ハまた朦朧(もうろう)たる薄黒(うすぐろ)い画面(ぐわめん)に鮮(あざや)かな色(いろ)の雲(くも)を浮出(うきだ)さしてあるので、面積(めんせき)ハ前(まへ)の二つ程広(ほどひろ)く無(な)いが人(ひと)の目(め)を牽(ひ)く力(ちから)ハ前(まへ)のにも劣(をと)らぬ、女(をんな)の子(こ)などハ「奇麗(きれい)なこと」と云(い)つて指(ゆびさ)すのだ、前(まへ)の二つにハ若(わか)い男女(だんぢよ)が多(おほ)く集(あつ)まつて後(のち)の一つに目(め)の悪(わる)さうな老人(としより)と子供(こども)が多(おほ)く寄(よ)るを見(み)た、無論諸先生達(むろんしよせんせいたち)ハ珍世界的見物人(ちんせかいてきけんぶつにん)を眼中(がんちう)に置(お)かず極(きは)めて少数(せうすう)の人(ひと)に見(み)て貰(もら)ふ積(つも)りであらうが、兎(と)に角之(かくこれ)に依(よ)つて現在(げんざい)の日本(にほん)と油絵(あぶらゑ)との関係(くわんけい)が窺い(うかゞ)ひ得(え)られるでハないか(またあす)

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所