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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野谷中の展覧会(七)
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| 仏 | 読売新聞 | 1902(明治35)/10/16 | 2頁 | 展評 |
◎白馬会(はくばくわい)(つゞき)@△冬の池畔、冬の日 共(とも)に和田英作氏(わだえいさくし)の作(さく)なり。在巴里(ざいぱりー)と銘打(めいう)ちて留学中(りうがくちう)の製作(せいさく)を遥々故国(はるばるこゝく)の天(てん)に寄(よ)す。其励精(そのれいせい)や感(かん)ずべく、作品(さくひん)も亦実(またじつ)に岡田(をかだ)三郎助氏(らうすけし)のに次(つい)で、場中嶄然(ぢやうちうざんぜん)として傑出(けつしゆつ)せるを見(み)る。上掲冬(じやうけいふゆ)の池畔(ちはん)の如(ごと)き朝霧(あさぎり)の濛々(もうもう)たる、枯柳(かれやなぎ)の蕭々(しやうしやう)たる、池(いけ)の水(みづ)の凍(こほ)れるまで明(あきら)かに其気節(そのきせつ)を表現(へうげん)して見(み)るからに寒威凛冽肌(かんゐりんれつはだ)を劈(つんざ)くの想(おも)ひあり。冬(ふゆ)の日(ひ)も亦能(またよ)く其個景(そのこけい)を写(うつ)して余薀(ようん)なし、此他氏(このたし)の作(さく)として感(かん)ずべきハ婦人編物の一幅(ぷく)にして、窓外(そと)より射(い)る陽光(やうくわう)を受(う)けて一婦人(ふじん)の余念(よねん)なく編物(あみもの)せる指頭(ゆびさき)の働(はたら)きハ云(い)はずもあれ、全幅活(ぜんぷくい)き活(い)きとして今(いま)にも動(うご)き出(いだ)さむかと思(おも)はるゝばかり、尚(なほ)少年の顔、水車など何(いづ)れも手際(てぎは)よく描(か)き成(な)されたり。聞(き)く氏(し)ハ目下黒田(もくかくろだ)、岡田両氏(をかだりやうし)の師(し)なりしラフアエル、コラン氏(し)の許(もと)に在(あ)りて専念研習(せんねんけんしふ)、師(し)の愛撫(あいぶ)も深(ふか)く、いよいよ向上(かうじやう)の道途(だうと)に進(すゝ)みつゝありと。画界多事(ぐわかいたじ)の今日余輩(こんにちわれ)ハ其能(そのよ)く定期(ていき)の業(げふ)を終(を)へて、一日(にち)も早(はや)く帰朝(きてう)されんことを俟(ま)つ。@△晩秋 在米国(ざいべいこく)なる戸田謙(とだけん)二氏(し)の作(さく)なり。籬辺黄葉地(りへんくわうえうち)に満(み)ち、晩秋蕭索(ばんしうしやうさく)の景致(けいち)ハ巧(たく)みに描写(べうしや)せられ、遠景近景共(ゑんけいきんけいとも)に無難(ぶなん)と云(い)ふべし。(仏)

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