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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野谷中の展覧会(六)
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| 仏 | 読売新聞 | 1902(明治35)/10/15 | 2頁 | 展評 |
◎白馬会(はくばくわい)(つゞき)@△船頭の妻 長原孝太郎氏(ながはらかうたらうし)が天賚(てんらい)の想(さう)、奇警(きけい)の筆(ふで)、能(よ)く図案意匠(づあんいしやう)に世間(せけん)を聳動(しようどう)するハ既(すで)に叢(すで)に人(ひと)の知(し)る所(ところ)、此(こ)の画(ぐわ)ハ実(じつ)に氏(し)の作(さく)に係(かゝ)る。船頭(せんどう)の妻(つま)が我児(わがこ)を傍(そば)に櫓(ろ)を操(あやつ)るの姿(すがた)、人(ひと)ハ其構図(そのこうづ)に於(おい)て早(はや)くも非難(ひなん)するが如(ごと)し。余輩(われ)ハ図案家(づあんか)としての長原氏(ながはらし)ハ能(よ)く之(これ)を知(し)る。然(しか)れども画家(ぐわか)としての氏(し)ハ余(あま)り多(おほ)くを知(し)らず。希(こひねがは)くハ其図案(そのづあん)に於(お)ける天来(てんらい)の妙想(めうさう)をして更(さら)に之(これ)を絵画(くわいぐわ)の上(うへ)に発揮(はつき)せしめよ。今(いま)ハまだデツサンなり。其奇警(そのきけい)の筆(ふで)ハそれ是(こ)れより後(のち)に俟(ま)たんかな。@△盛夏 今回(こんくわい)の白馬会列品中(はくばくわいれつぴんちう)、最(もつと)も出色(しゆつしよく)なるハ岡田(おかだ)三郎助氏(ろすけし)の出品(しゆつぴん)となす。而(しかう)してこの盛夏ハ氏(し)が留学中(りうがくちう)の作品(さくひん)に係(かゝ)り、実(じつ)に氏(し)が出品中(しゆつぴんちう)の傑作(けつさく)といふべき也(なり)。故(ゆゑ)ある哉氏(かなし)の帰来(きらい)するや否(いな)や直(たゞち)に左(さ)るやんごとなき方(かた)の購(あがな)ふ所(ところ)となり、玉楼瑶台(ぎよくろうえうだい)の奥深(おくふか)く掲(かゝ)げられて日常愛玩措(にちじやうあいぐわんお)かざりしを今回特(こんくわいとく)に借受(かりう)けて出陳(しゆつちん)せしものとかや。夏草(なつぐさ)のいやが上(うへ)に繁茂(おひしげ)れる中(なか)を一婦人(ふじん)の歩(あゆ)みも軽(かる)くわけ入(い)る姿(すがた)、其筆致(そのひつち)といひ技巧(ぎこう)といひ、傍(かたはら)に掲(かゝ)げられたる其師(そのし)ラフアエル、コラン氏(し)の筆(ふで)に髣髴(はうふつ)して精妙(せいめう)いふべからず。照(て)り渡(わた)る盛夏(せいか)の陽光(やうくわう)の眩(まば)ゆきばかり、見(み)るからに冬尚暑(ふゆなほあつ)き心地(こゝち)のして我(われ)も亦彼(またか)の婦人(ふじん)と同(おな)じく画中点景(ぐわちうてんけい)の人(ひと)たるやの想(おもひ)あり。たゞ余(あま)りに色彩(いろどり)の澹淡(たんたん)たる、師風(しふう)を継紹(けいせう)せるにも依(よ)るべけれど、其画(そのぐわ)の能(よ)く此時代(このじだい)の作品(さくひん)として百年(ねん)の後(のち)、人(ひと)をして之(これ)を判別(はんべつ)せしむべき影象(えいしやう)を保(たも)たしむるや否(いな)や、こハ氏(し)を責(せ)むるにあらず、敢(あへ)て其師(そのし)に問(と)はんとする所(ところ)なり。@△旅の紀念 として岡田氏(おかだし)が描(ゑが)きたる小品(せうひん)六七点(てん)、何(いづ)れも繊巧称(せんこうしよう)すべく、尚氏(なおし)の作品(さくひん)として見(み)るべきハ、雨後の夜色の沈々(ちんちん)として街燈(がいとう)の光朧(ひかりおぼ)ろに、とある家(いへ)より照(て)らす燈光(とうくわう)の道(みち)を射(ゐ)たる、四辺寂(へんせき)として声無(こゑな)きに似(に)たり。読書の婦人(ふじん)の画品高潔(ぐわひんかうけつ)なる、少婦の温柔優麗(おんじういうれい)なる、其個性(そのこせい)も表(あら)はれて床(ゆか)しく、何(いづ)れハ苦心(くしん)の余(あまり)に成(な)りしものなるべし。(仏)

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