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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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白馬会展覧会概評(はくばくわいてんらんくわいがいへう)(四)
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| 牛門生 | 毎日新聞 | 1902(明治35)/10/20 | 2頁 | 展評 |
○小林萬吾氏(し)の小品中扶桑の森は空(そら)も森(もり)も一寸(ちよつと)よく出来(でき)て居(ゐ)るが全体(ぜんたい)にパサパサして乾(かは)いたやうな画(か)き方(かた)である、前(まへ)の方(はう)の隴(つゝみ)のやうなものが高(た)か過(す)ぎて居(ゐ)て隴(つゝみ)と隴(つゝみ)との間(あひだ)が余(あま)り近過(ちかす)ぎる様(やう)に見(み)へる、波は(一0二)のが四枚(まい)の内(うち)で先(ま)づ好(い)い様(やう)に思(おも)ッた、海の夕日であッたか松(まつ)の枝(えだ)のある画(ぐわ)は海同(うみど)ふやら水平(すゐへい)に徃(い)つて居(ゐ)ないやうだ、■■■■(判読不能)■■■■附いて居(ゐ)ない@三井由太郎氏(し)の夏の河畔は河(かは)と見(み)へず、岡四郎氏(し)の稲毛の海浜は其(その)四枚中(まいちう)では出来(でき)た方(はう)か、高木誠一氏(し)の蛇骨川は蛇骨(じやこつ)といふ程(ほど)ありて気味(きみ)が悪(わる)きまでに青(あを)い@○赤松麟作氏(し)は昨年(さくねん)の展覧会(てんらんくわい)に三等室(とうしつ)の夜汽車(よぎしや)を出(だ)して評判(へうばん)になつた人(ひと)だが、今度(こんど)も収獲と題(だい)する大作(たいさく)を出(だ)して居(を)る、筆(ふで)にのんびりとした思(おも)ひ切(き)ッた所(ところ)があつて前途(ぜんと)が頼(たの)もしいやうに思(おも)はれる、而(そ)して意匠(いせう)が何時(いつ)も面白(おもしろ)い、後(うし)ろに立(た)ちて苗(なへ)を蒔(ま)き居(を)る如(ごと)き女(をんな)の横姿(よこすがた)はよく働(はたら)きが見(み)へて居(を)る、其前(そのまへ)のは笠(かさ)を冠(かぶ)り居(を)る人(ひと)の積(つも)りだろうが確(しつ)かりして居(ゐ)ない、其前(そのまへ)の老夫(ろうふ)の手(て)には働(はたら)きが見(み)へて居(ゐ)ない手拭(てぬぐひ)を冠(かぶ)つた真中(まんなか)の女(をんな)の左足(さそく)は膝(ひざ)から下(した)が逆(ぎやく)に徃(い)ッて居(ゐ)る、前(まへ)の小女(こをんな)の背負(せお)ッて居(ゐ)る児(こ)は余(あま)りキマリ過(す)ぎて面白(おもしろ)くないが小女(こをんな)には、何(なん)とも云(い)へぬ趣(おもむ)きが見(み)へて居(ゐ)る手拭(てぬぐひ)の結(むす)び影(かげ)は一寸面白(ちよつとおもしろ)いが、余(あま)りキチンとして影(かげ)に縁(ふち)を取(と)ッたやうなのは感服(かんぷく)しない、横(よこ)に立(た)ッて此方(こちら)を眺(なが)め居(を)る女(をんな)も気持(きもち)が充分見(じうぶんみ)へて居(ゐ)るので彼是(かれこ)れ田園自然(でんゑんしぜん)の情趣(ぜうしゆ)があつて面白(おもしろ)い、足(あし)などに光線(くわうせん)の射(ゐ)ッて居(ゐ)る部分(ぶゝん)の色(いろ)は汚(きた)なかッた、@○山本森之助氏(し)は美術学校出身(びじゆつがくかうしゆつしん)にて先年台湾(せんねんたいわん)に赴(おもむ)きし人(ひと)なるが、今回(こんくわい)の出品(しゆつぴん)も相変(あいかは)らず同地(どうち)の風景(ふうけい)にて面白(おもしろ)く、四枚(まい)の中(うち)琉球の燈台日中など最(もつと)も好(よ)いやうだ、併(しか)し前回(ぜんくわい)よりは淋(さび)しく感(かん)じた、@○小林鐘吉氏(し)の庭の細径は庭(には)といふ情趣(ぜうしゆ)の見(み)へるやうに工夫(くふう)したかつた、木小屋の蔭は一寸大(ちよつとおほ)きいが感服(かんぷく)しない、芭蕉(ばせう)の葉(は)も少(すこ)しも空気(くうき)も光線(くわうせん)もない為(た)め青(あを)い計(ばか)りで困(こま)る上(うへ)に立掛(たてか)けてある木(き)の板(いた)は芝居(しばゐ)の舞台(ぶたい)によく斯(こ)ンなのがある、鉋屑(かんなくづ)は人力車(じんりきしや)の前(まへ)に布(し)くものに斯(こ)ンな毛(け)のがある、桃(もゝ)をむき居(を)る少年(せうねん)の顔(かほ)の色(いろ)は余(あま)り心地(こゝち)よくない、投出(なげだ)して居(ゐ)る左足(さそく)は膝(ひざ)から下(した)が抜(ぬ)けてグタリと出(で)て居(を)る、今少(いますこ)し骨格(こつかく)に注意(ちうい)して貰(もら)いたい、全体(ぜんたい)に生動(せいどう)の気(き)のないは遺憾(ゐかん)である、@○白瀧幾之助氏(し)の小品(せうひん)は二枚丈(まいだ)けだが山王台の夕陽の方(はう)がよいかと思(おも)つた、氏(し)は■■■(■■■)、化粧(けせう)、蓄音器(ちくおんき)、婚禮等(こんれいとう)にて婦人画(ふじんぐわ)は奇体(きたい)に手(て)に入(い)れられ何処(どこ)となく観客(かんかく)に同情(どうぜう)を寄(よ)せしむる妙(めう)がある、此度(このたび)の通学の女学生(ぢよがくせい)も其通(そのとほ)りで、顔其外(かほそのほか)の画(か)き方(かた)は雅俗一様(えう)に受(う)けて居(ゐ)るやうだ、衣物(きもの)の模様(もやう)なども手際(てぎは)なものだ、唯(た)だ白地(しろじ)の方(はう)の肩(かた)から肩(かた)までの間(あひ)だが稍(や)や狭(せま)く究屈(きうくつ)な感(かん)じがする、歩(ある)いて居(を)る処(ところ)から垣(かき)までの間(あひだ)は最(も)ふ少(すこ)し距離(きより)を見(み)せて貰(もら)いたかッた(牛門生)

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