黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第7回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

戻る
白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)
目次 |  戻る     進む 
| 芳陵 | 毎日新聞 | 1902(明治35)/09/25 | 2頁 | 展評 |
上野公園(うへのこうゑん)五号館(がうくわん)の中程(なかほど)に突如(とつぢよ)として白堊(はくあ)の一高塔(かうたう)が出来上(できあが)ッた、是(こ)れぞ今年(こんねん)の白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)の入口(いりぐち)で希臘式(ぎりしやしき)とも云(い)ふべき建物(たてもの)、中々拈(なかなかひね)ッたもので会員(くわいゐん)の佐野昭氏(し)の設計(せつけい)である、芸術(げいじゆつ)の会場(かいじやう)には周囲(しうゐ)のものも芸術的(げいじゆつてき)に行(ゆ)きたい、世(よ)には団子坂菊細工的(だんござかきくざいくてき)の附景気(つけけいき)が多(おほ)い中(なか)に嶄然(ざんぜん)一頭地(とうち)を抜(ぬ)け出(で)た趣向(しゆかう)と見(み)た、中(なか)に入(はい)れば今年(こんねん)は額(がく)の間(あひ)だに作家(さくか)の名前(なまへ)を掲(かゝ)げることを止(や)め見(み)る限(かぎ)り作品(さくひん)だけで此等(これら)の邪魔物(じやまもの)がなく体裁(ていさい)が非常(ひぜう)に宜(よ)い、一体日本(たいにほん)の絵画展覧会(くわいぐわてんらんくわい)は出品(しゆつぴん)の傍(かたわら)に作家(さくか)の名前(なまへ)やら画題(ぐわだい)やら直段附(ねだんづ)けやら説明(せつめい)やら色々(いろいろ)の物(もの)をぶら下(さ)げるので不体裁(ふていさい)なのを白馬会(はくばくわい)は此(こゝ)に注意(ちうい)し去年迄(きよねんまで)は名前丈(なまへだ)け掲(かゝ)げて居(ゐ)たのを今年(こんねん)は之(これ)をも止(や)めて額縁(がくぶち)に小(ちい)さく打(う)ちたる番号丈(ばんがうだ)けになし余(よ)は悉(ことごと)く目録(もくろく)で見(み)る様(やう)にした、是迄(これまで)の展覧会(てんらんくわい)は慣習(しふくわん)に葬了(さうれう)せられて居(ゐ)たのか、兎角真(とかくしん)の芸術擁護(げいじゆつえうご)の法(はふ)に心附(こゝろづ)かない、一トつは観客(くわんかく)が悪(わ)るいので、彼等(かれら)は筆者(ひつしや)の名(な)を見(み)て次(つぎ)に絵(ゑ)を評(へう)する、人而(ひとそう)して画(ぐわ)といふ情(なさ)けない頭脳(あたま)を有(も)ッて居(を)るのにも因(よ)るが自(みづ)から隙(すき)もない出品(しゆつぴん)の間(あひだ)に麗々(れいれい)と名前(なまえ)を大書(たいしよ)して作品(さくひん)の邪魔(じやま)を為(し)て居(ゐ)るのである、此外(このほか)に最(もつと)も注意(ちうい)すべきは同会(どうくわい)が出品期限(しゆつぴんきげん)を励行(れいかう)した為(た)め開場日(かいぜうび)の廿日から残(のこ)らず出揃(でそろ)ッた一事(じ)で日常(ふだん)の約束事(やくそくごと)に不規則(ふきそく)なる日本人(にほんじん)は展覧会演劇(てんらんくわいえんげき)、初(はじ)めより総幕出揃(そうまくでそろ)ひといふ例(ため)しがないのを同会(どうくわい)が之(これ)を励行(れいかう)したは芸術(げいじゆつ)に忠実(ちうじつ)な所(ところ)が見(み)へて頼(たの)もしく、見(み)た所(ところ)も例(い)つになく心地好(こゝちよ)かッた、以上(いぜう)の事(こと)が芸術界(げいじゆつかい)の為(た)めに好模範(かうもはん)を与(あた)へたといふことは何人(なにびと)も認(みと)むる所(ところ)であろう、次(つぎ)に作品(さくひん)は追(おつ)て評(へう)するとして額(がく)の大小(だいせう)の配置(はいち)も満偏(まんべん)なく附(つ)いて居(ゐ)る、大物(おほもの)で云(い)へば入口近(いりぐちゝか)くの磯野吉雄氏(し)の負傷後(ふせうご)の李鴻章(りかうせう)、中(なか)の一室(しつ)の小林萬吾氏(し)の水難救助大勢(すゐなんきうじよおほぜい)の人(ひと)の一々姿勢(しせい)の異(こと)なれるを画(えが)いたもので、形(かたち)には随分苦心(ずゐぶんくしん)した作(さく)とおもふ、某氏(ぼうし)の稲(いね)こき、奥(おく)の一室(しつ)の藤島武二氏(し)の天平(てんぺい)の面影等(おもかげとう)がある、裸体画(らたいぐわ)は此傍(このそば)に四枚出(まいで)て居(ゐ)る、何(いづ)れも岡田三郎助氏(し)が巴里留学中西洋婦人(ぱりーりうがくちうせいやうふじん)を画(えが)いたもので、今度(こんど)は被布(ひふ)の厄(やく)に遇(あ)はないのは政府対芸術観(せいふたひげいじゆつくわん)の進歩(しんぽ)か、何(なに)しろ慶(けい)すべきことである、珍(めづ)らしいことには山本芳翠氏(し)の油絵(あぶらゑ)が此正面(このせうめん)に掲(かゝ)げられた、伊藤(いとう)侯の肖像(せうざう)はレンブラン筆(ふで)の模写(うつし)で何(いづ)れも評判(へうばん)が好(よ)い、黒田清輝氏(し)のも小品数枚(せうひんすうまい)が此辺(このへん)に出(で)て居(ゐ)た、婦人画(ふじんぐわ)で當(あ)て来(きた)つた白瀧幾之助氏(し)は池畔(ちはん)の海老茶式部(えびちやしきぶ)を画(えが)き、中沢弘光氏(し)は箱根辺(はこねへん)の材料(ざいれう)で油絵水彩(あぶらゑすゐさい)の佳作(かさく)を掲(かゝ)げ巴里留学中(ぱりーりうがくちう)の和田英作氏(し)は前回(ぜんくわい)よりも数多(かづおほ)く其清新(そのせいしん)の趣味多(しゆみおほ)き作(さく)を出(だ)して居(ゐ)る、三宅克巳氏(し)の水彩画(すゐさいぐわ)は壁(かべ)の一と側(がは)を掩(お)ふ計(ばか)りに数多(かづおほ)く、此近所(このきんじよ)には会員(くわいゐん)の鉛筆画(えんぴつぐわ)パステル画(ぐわ)、中丸精十郎氏(し)のモザイク、岡田氏自作(しじさく)の銅板(どうばん)など多種多様(たしゆたやう)、仏国広告画(ふつこくくわうこくぐわ)も他(た)の一室(しつ)に数(す)十葉掲(えうかゝ)げられて居(ゐ)る、総体(そうたい)の作品(さくひん)、画題(ぐわだい)にも変化多(へんくわおほ)く、而(しか)して一般(ぱん)の進歩(しんぽ)が総(そう)じて新進家(しんしんか)の間(あひだ)に認(みと)められるのは悦(よろこ)ぶべき限(かぎり)である(芳陵)

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所