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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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白馬会展覧会素見記(はくばくわいてんらんくわいすけんき)(下)
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| 鬼 | 東京朝日新聞 | 1902(明治35)/10/14 | 2頁 | 展評 |
岡田(おかだ)三郎氏(ろすけし)の油絵(あぶらゑ)は二十七点(てん)もあるが、裸体画(らたいぐわ)は何(いづ)れも巧妙(かうめう)の出来(でき)である、中(なか)にも「少婦(せうふ)」(二六一)の如(ごと)きは顔貌体格(がんばうたいかく)から肉色(にくしよく)に至(いた)るまで実(じつ)に言(い)ふべからざる甘味(うまみ)がある、此等(これら)は到底日本画(たうていにほんぐわ)に於(おい)て見(み)ることの出来(でき)ない所(ところ)である。「初夏(しよか)」(二四二)と「婦人(ふじん)の肖像(せうぞう)」(二三九)は変(かは)つた描方(かきかた)で頗(すこぶ)る面白(おもしろ)い、「盛夏(せいか)」(二五二)はボンヤリした描方(かきかた)で前(ぜん)二図(づ)の黒(くろ)ずんだのと相対照(あひたいせう)して見(み)ると一段(だん)の趣味(しゆみ)がある、「雨後(うご)の夜色(やしよく)」(二五三)も佳作(かさく)である。思(おも)ふに今回(こんくわい)の出品中(しゆつぴんちう)で和田岡田両氏(わだをかだりやうし)の作(さく)が傑出(けつしゆつ)して先輩(せんぱい)の壘(るゐ)を摩(ま)するの手腕(しゆわん)あることは衆目(しゆうもく)の認(みと)むる所(ところ)であるやうだが、和田氏(わだし)は練熟(れんじゆく)を以(もつ)て、岡田氏(をかだし)は才筆(さいひつ)を以(もつ)て、共(とも)に此境(このさかひ)に達(たつ)したのであらう、されば岡田氏(をかだし)の画(ぐわ)は筆致(ひつち)も色彩(しきさい)も変化極(へんくわきわ)まりなく、意匠(いしやう)も頗(すこぶ)る豊富(ほうふ)であるが、其中(そのなか)には亦何処(またどこ)となく筆(ふで)の足(た)らぬ所(ところ)がありはしないかと思(おも)ふ感(かん)じが起(おこ)らないでもない。@水彩画(すゐさいぐわ)で衆目(しゆうもく)を惹(ひく)ものは、いふ迄(まで)もなく三宅克己氏(みやけかつみし)の作(さく)だらう。其出品(そのしゆつぴん)は十八点(てん)で、種々(しゆしゆ)の描方(かきかた)を示(しめ)した技倆(ぎりやう)は、流石多年海外(さすがたねんかいぐわい)に在(あ)つて斯術(しじゆつ)を研究(けんきう)した丈(た)けある、海外(かいぐわい)の作(さく)では「巴里(パリー)セイヌ河畔冬(かはんふゆ)の午後(ごご)」(三一四)を始(はじ)め、「夏(なつ)の森(もり)」(三二0)、「巴里(パリー)リユクサンブール公園(こうゑん)」(三二三)など見(み)るべき作(さく)である、帰朝後(きてうご)の作(さく)では「月(つき)の出(で)」(三二五)、「角筈村夏(つのはずむらなつ)の午後(ごご)」(三二七)が最(もつと)も面白(おもしろ)い出来(でき)であると思(おも)ふ、吾人(ごじん)は氏(し)の描方(かきかた)の変化(へんくわ)したことを認(みと)むると同時(どうじ)に今後益斯術(こんごますますしじゆつ)を研精(けんせい)し、所謂世界的水彩家(いはゆるせかいてきすゐさいか)たるの技倆(ぎりやう)を現(あら)はさんことを切望(せつぼう)するのである。@黒田清輝氏(くろだきよてるし)の出画(しゆつぐわ)は前(まへ)にも云(い)つた如(ごと)く、小品許(せうひんばか)りで格別評(かくべつひやう)する程(ほど)でもないと思(おも)ふが、パステル画(ぐわ)の「雪(ゆき)」(三三七)は佳作(かさく)と思(おも)ふた。岡田(をかだ)三郎助氏(ろすけし)のパステル画(ぐわ)「婦人(ふじん)の肖像(せうぞう)」(三四八)も感心(かんしん)した。此他(このた)にも仔細(しさい)に視(み)ればまだ云(い)ふ事(こと)も沢山(たくさん)あるだらうけれど、何分草卒(なにぶんさうそつ)の観覧(くわんらん)であつたから、先(ま)づ此辺(このへん)で切(き)り上(あ)げて置(お)かう。序(ついで)に本会(ほんくわい)には岡田氏(をかだし)のメダイヨンと色銅板(いろどうはん)、中丸氏(なかまるし)のモザイク、長原藤島其他諸氏(ながはらふぢしまそのたしよし)の表紙画(へうしぐわ)、仏国広告画(ふつこくこうこくぐわ)など中々面白(なかなかおもしろ)い出品(しゆつぴん)があるが、中(なか)にも参考室(さんかうしつ)の和蘭人(ヲランダじん)の水彩画(すゐさいぐわ)は頗(すこぶ)る面白(おもしろ)いものである、是(これ)は昔年故内田正雄氏(せきねんこうちだまさをし)が和蘭留学中(オランダりうがくちう)に買求(かひもと)めたものださうだが、其陳列場所(そのちんれつばしよ)の具合(ぐあひ)にでもよるか、余(あま)り観者(くわんしや)の注意(ちうい)を惹(ひ)かぬやうである。@終(をは)りに一言(いちげん)したいのは、吾人(ごじん)が白馬会(はくばくわい)に向(むか)つて、余(あま)りむき出(だ)しに、露骨(ろこつ)に、而(しか)も容赦(ようしや)なく評言(ひやうげん)を加(くは)へたのは甚失敬(はなはだしつけい)であるが、吾人(ごじん)は決(けつ)して悪声(あくせい)を放(はな)つたのではない。夙(つと)に西洋画(せいやうぐわ)の研究(けんきう)に熱心(ねつしん)なる此会(このくわい)に向(む)かつては常(つね)に満腔(まんこう)の同情(どうじやう)を有(いう)するものである、只直言(たゞちよくげん)して忌(い)まぬのは、備(そな)はらんことを此会(このくわい)に求(もと)むる吾人(ごじん)の微衷(びちう)に外(ほか)ならないのだから、幸(さひは)ひにして一言(いちげん)の会員諸君(くわいゐんしよくん)に資益(しえき)する所(ところ)あれば幸甚(かうじん)である。妄言多罪(もううげんたざい)(鬼)

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