黒田記念館 > 研究資料 > 白馬会関係新聞記事 > 第7回白馬会展

白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

戻る
白馬会展覧会素見記(はくばくわいてんらんくわいすけんき)(中)
目次 |  戻る     進む 
| 鬼 | 東京朝日新聞 | 1902(明治35)/10/13 | 2頁 | 展評 |
本会(ほんくわい)に黒田清輝氏(くろだきよてるし)の大作(たいさく)と、久米桂(くめけい)一郎氏(らうし)の作品(さくひん)の出(で)て居(ゐ)ないのは何(なん)だか物足(ものた)らぬ心地(こゝち)すと、過日(くわじつ)の本紙上(ほんしじやう)にも書(か)いてあつたが、如何(いか)にも同感(どうかん)である。併(しか)し新帰朝者(しんきてうしや)なる岡田三郎助(おかださぶろすけ)、三宅克己両氏(みやけかつみりやうし)や、巴里留学中(パリーりうがくちう)の和田英作氏(わだえいさくし)の作品数(さくひんす)十点(てん)が場内(ぢやうない)の大部分(だいぶぶん)を占(し)めて、一層(さう)の盛観(せいくわん)を添(そ)へて居(ゐ)るのは頗(すこぶ)る愉快(ゆくわい)である。そこで諸氏(しよし)の出品(しゆつぴん)に就(つい)て一々批評(いちいちひひやう)を下(くだ)すのは容易(ようい)でないから、今(いま)は唯(た)だ記憶(きおく)に存(そん)せる数(す)十点(てん)に就(つい)て其所思(そのしよし)を述(の)べて見(み)やうと思(おも)ふ。先(ま)づ油絵(あぶらゑ)の部(ぶ)にて、中丸精(なかまるせい)十郎氏(らうし)の出品(しゆつぴん)十九点(てん)の中(うち)「旅行紀念(りよかうきねん)」(二九、三七)と題(だい)するスケツチの小品(せうひん)は一寸面白(ちよつとおもしろ)い作(さく)だ。和田英作氏(わだえいさくし)の出品(しゆつぴん)は十三点(てん)あつて、氏(し)の近業(きんげふ)を窺(うかゞ)ひ見(み)ることが出来(でき)るのは嬉(うれ)しい、風景画(ふうけいぐわ)では「夕雲(ゆふぐも)」(七七)が平穏(へいをん)の作(さく)である、「初秋(しよしう)」(八六)も巧妙(かうめう)という外(ほか)ない、人物画(じんぶつぐわ)は「婦人読書(ふじんどくしよ)」(七九)も佳(よ)いが、「編物(あみもの)」(八三)は殊(こと)に感服(かんぷく)する、光線(くわうせん)の具合(ぐあひ)など何(なん)とも云(い)へぬ甘味(うまみ)があつて、人物(じんぶつ)も至極柔(しごくやはら)かく出来(でき)て居(ゐ)る。小林萬吾氏(こばやしまんごし)の「波(なみ)」(一0二)は稍見(やゝみ)るべし、「救難(きうなん)」(一0二)の大作(たいさく)は未成品(みせいひん)であるが、出来上(できあが)つた所(ところ)で如何(いかゞ)のものにや、吾人(ごじん)は唯(た)だ氏(し)が苦心(くしん)の徒労(とらう)に帰(き)せざることを祈(いの)るのである。戸田謙二氏(とだけんじし)の「晩秋(ばんしう)」(一一0)は能(よ)く紅葉(こうえう)の実景(じつけい)を写(うつ)して居(ゐ)る。赤松麟作氏(あかまつりんさくし)の「収穫(しうかく)」(一四三)は昨年(さくねん)の「夜汽車(よぎしや)」に劣(おと)らぬ大作(たいさく)であるが、技巧(ぎかう)は此方(このはう)が優(まさ)つて居(ゐ)ると云(い)ふ者(もの)がある、されど遠近(ゑんきん)の色(いろ)がチト不明瞭(ふめいれう)だ、今少(いますこ)し遠景(ゑんけい)に注意(ちうい)して貰(もら)ひたかつたのである。山本森之助氏(やまもともりのすけし)の作品中(さくひんちう)では「琉球首里(りうきうしゆり)の夕月(ゆふづき)」(一四六)が目(め)を惹(ひ)くやうに思(おも)ふた。白瀧幾之助氏(しらたきいくのすけし)の「通学(つうがく)」(一五九)を彼是(かれこれ)いふ者(もの)があるが、吾人(ごじん)は「山王台(さんのうだい)の夕陽(せきやう)」(一五八)の方(はう)が一寸古画(ちよつとこぐわ)を見(み)る様(やう)な気持(きもち)して面白(おもしろ)いと思(おも)ふ。安藤仲太郎氏(あんどうなかたらうし)の出品(しゆつぴん)は失敬(しつけい)ながら意外(いがい)に拙(せつ)といふの外(ほか)ない「夕陽(せきやう)」(二二五)なども感服(かんぷく)せぬ。@藤島武二氏(ふじしまたけじし)の「天平時代(てんぴやうじだい)の面影(おもかげ)」(二三五)はパンノー、デコラチーフ半隻(はんせき)の一で未成品(みせいひん)だが、大作中(たいさくちう)の見(み)るべきものと云(い)つたら先(ま)づ此作(このさく)であらう、服飾(ふくしよく)なども兎(と)に角一通(かくひととほ)り調(しら)べが行届(ゆきとゞ)いて居(ゐ)る、彼(か)の髪(かみ)の形(かたち)は法隆寺(ほふりうじ)の伎楽面(ぎがくめん)によつたものらしく、悪(わる)くはないが、今少(いますこ)し両鬢(りやうびん)を垂(た)らした形(かたち)を取(と)つた方(はう)が格好(かくかう)が宜(よ)くはないか、「朝雲(あさぐも)」(二三六)は軽過(かるす)ぎる嫌(きら)ひはあるが色(いろ)が面白(おもしろ)い。中沢弘光氏(なかざはひろみつし)は近来余程上達(きんらいよほどじやうたつ)したと聞(き)いて居(ゐ)たが、今回(こんかい)は失敗(しつぱい)らしい、「箱根(はこね)の山駕篭(やまかご)」(二七九)など随分骨(ずいぶんほね)を折(を)つた作(さく)と思(おも)はれるが、遠近(ゑんきん)を誤(あやま)つた為(た)めか見(み)られなくなつたのは残念(ざんねん)である(鬼)

  目次 |  戻る     進む 
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所