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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)
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| 東京朝日新聞 | 1902(明治35)/09/24 | 3頁 | 雑報 |
去(さ)る廿日より上野(うへの)五号館(ごうくわん)に開会(かいくわい)せる同展覧会(どうてんらんくわい)は出陳画凡(しゆつちんぐわおよ)そ四百点(てん)にして昨年(さくねん)に比(ひ)し概(がい)して佳作多(かさくおほ)きが如(ごと)し只黒田氏(たゞくろだし)が四五の小品(せうひん)を出陳(しゆつちん)せるに止(とゞ)まると久(ひさ)しく久米氏(くめし)の揮毫(きがう)を見(み)ざるは何(なん)となく物足(ものた)らぬ心地(こゝち)す其批評(そのひひやう)は他日(たじつ)に譲(ゆづり)り今其重(いまそのおも)なるものを紹介(せうかい)せんに岡田(おかだ)三郎助氏(ろすけし)は巴里留学中(ぱりーりうがくちう)の作品(さくひん)を始(はじ)め帰朝後(きてうご)の製作大小(せいさくだいせう)三十余点(よてん)に及大(およびおほい)に場中(ぢやうちう)を賑(にぎ)はせり中(なか)には「読書(どくしよ)」「少婦(せうふ)」など題(だい)する裸体画(らたいぐわ)三四枚(まい)あり本年(ほんねん)も亦多少呼物(またたせうよびもの)とならん在巴里和田英作氏(ざいぱりーわだえいさくし)の作品(さくひん)も数枚(すまい)あり「冬(ふゆ)の池畔(ちはん)」、「婦人読書(ふじんどくしよ)」、「半身(はんしん)」など見(み)るべきもの多(おほ)し、新帰朝者三宅克己氏(しんきてうしやみやけかつみし)の水彩画(すゐさいぐわ)も十数枚(すまい)あり留学中(りうがくちう)の作(さく)は大概巴里(たいがいぱりー)の景色(けしき)にて帰朝後(きてうご)の者(もの)には「荒模様(あれもやう)」、「角筈村夏(つのはずむらなつ)の午後(ごご)」「月(つき)の出(で)」などあり以(もつ)て同氏(どうし)の近業如何(きんげふいか)んを窺知(きち)すべし、藤島武(ふじしまたけ)二氏(し)の「天平時代(てんぴやうじだい)の婦人図(ふじんづ)」は近来(きんらい)の佳作(かさく)にて色彩(しきさい)など最(もつと)も意(い)を用(もち)ひたるものゝ如(ごと)し、小林萬吾氏(こばやしまんごし)の「救命器(きうめいき)にて遭難者(そうなんしや)を救(すく)ふの図(づ)」は未成(みせい)なれど場中第(ぢやうちうだい)一の大幅(たいふく)、図題(づだい)の選択最(せんたくもつと)も面白(おもしろ)し、中丸精(なかまるせい)十郎氏(らうし)の作(さく)にて「洗禮(せんれい)の神(かみ)」、「花(はな)」のモザイク二面(めん)あり是(これ)は同氏独特(どうしどくとく)の技倆(ぎりやう)にて我国(わがくに)にては珍(ちん)とすべきもの也(なり)、其他湯浅(そのたゆあさ)一郎氏(らうし)の「葵橋(あおひばし)の雨(あめ)」、白瀧成之助氏(しらたきせいのすけし)の「山王台夕陽(さんのうだいせきやう)」、「通学(つうがく)」、赤松麟作氏(あかまつりんさくし)の「収穫(しうくわく)」、中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の「箱根(はこね)の山駕篭(やまかご)」、戸田謙(とだけん)二氏(し)の「晩秋(ばんしう)」、中丸精(なかまるせい)十郎氏(らうし)の「巴里城外(ぱりーじやうぐわい)」、「秋郊(しうかう)」、岡田(おかだ)三郎助氏(ろすけし)の「老翁(らうをう)」、「楽(がく)、詩(し)」、藤島武(ふじしまたけ)二氏(し)の「雨後(うご)」、「泊舟(はくしう)」など観者(くわんじや)の注意(ちうい)を惹(ひ)くの作(さく)なり、尚(な)ほ同会画集(どうくわいぐわしふ)は印刷中(いんさつちう)に付近日発売(つききんじつはつばい)する由(よし)

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