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白馬会関係新聞記事 第7回白馬会展

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上野の各展覧会 白馬会(二)
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| 国民新聞 | 1902(明治35)/10/01 | 5頁 | 展評 |
白瀧幾之助氏(し)の『通学(つうがく)』は縦框(たてわく)にして十五六とも見(み)べきと十三四とも見(み)べきと二人(にん)の少女(せうぢよ)を描(えが)きたり何(いづ)れも袂長(たもとなが)く海老茶色(えびちやいろ)の袴穿(はかまは)きて洋傘(かさ)と包(つゝみ)を手(て)に何物(なにもの)にか見入(みい)りつゝ歩(あゆ)む様(さま)なれども各々視線(おのおのしせん)を異(こと)にす後景(こうけい)には不忍池畔(しのばづちはん)を用(もち)ゐて池(いけ)の彼方軒(かなたのき)の下(した)を走(はし)る腕車(くるま)なども見(み)ゆ美(うつくし)く華(はな)やかなる絵(え)なり甞(かつ)て或画家(あるぐわか)に聞(き)く人物(じんぶつ)を描(ゑが)くに當(あた)りて表情(へうじやう)は易(やす)きも無心(むしん)なるは難(かた)しと観(み)る人(ひと)の判断(はんだん)に任(まか)すべし同(おなじ)く『梅村(ばいそん)』は小品(せうひん)にして白梅(はくばい)二株小舎一(しゆこやひと)ツ垣根(かきね)の此方(こなた)には麦未(むぎいま)だ若(わか)く後(うしろ)は林(はやし)を閉(とざ)されたり寧(むし)ろ可憐(かれん)なりとせざらんや田舎道(ゐなかみち)にては屡々見(しばしばみ)る景色(けしき)なり@小林鐘吉氏(し)の『小児(せうに)』は大工(だいく)の弟子(でし)が鉋研(かんなと)ぐ暇(ひま)をぬすみて木材(もくざい)に据(きよ)したるまゝ日光(につくわう)を浴(あ)びつゝ梨(なし)か桃(もゝ)か将(は)た林檎(りんご)かを剥(む)く図(づ)なり総(そう)じて佳作(かさく)なりとは云(い)ふを得(え)ざるべく堆積(たいせき)したる鉋屑(かんなくづ)を綿屑(わたくづ)ならずやと怪(あやし)みし人(ひと)もあり@赤松仁作氏(し)の『収穫(しうくわく)』は大幅(たいふく)にして田家稲(でんかいね)を苅(か)るの図(づ)なり近(ちか)く母(はゝ)と老婆(らうば)と乳児(にうじ)を負(お)ひたる少女(せうぢよ)と何(いづれ)も佳(よ)く写(うつ)されたれども中(なか)にも老婆(らうば)の態度(たいど)と其(そ)の容貌(ようぼう)と孫(まご)を見(み)て可愛(かあい)さに堪(た)えざる様(さま)など最(もつと)も佳(か)なり晩秋(ばんしう)の稲田(たうでん)日(ひ)は空(そら)のいづれに懸(かゝ)るか時知(ときし)れざれども遥(はるか)に見(み)ゆる住居(すまゐ)の後(うしろ)につゞく山(やま)のたゝずまひは真(しん)に全幅(ぜんぷく)の絵(え)に生命(せいめい)を与(あた)へて此山(このやま)なくば見(み)るに足(た)らざるものになり了(をは)らしめんとす@高木徳一氏(し)の『山間(さんかん)』は余(あまり)に水(みづ)の緑(あを)きかな新緑満山(しんりよくまんざん)を埋(うづ)むとも斯(か)く水(みづ)の緑(あを)むべしとは覚(おも)ほえず@郡司卯之助氏(し)の『金魚売(きんぎようり)』大幅(たいふく)なり金魚盥(きんぎよたらひ)を指(ゆびさ)して乳母(うば)か下婢(かひ)かの背(せな)にある小児(せうに)をあやす兄(あに)の児(こ)の後姿(うしろすがた)は写生(しやせい)の極意(ごくい)に達(たつ)したれども其乳母(そのうば)の面稍稍引立(おもてややひきた)たず且(か)つ傍(かたはら)に立(た)ちし人(ひと)は指(ゆびさ)して云(い)ふ金魚入(きんぎよい)るゝは硝子玉(がらすだま)なれば落(をと)して砕(くだ)きて小児(せうに)をな泣(な)かせぞと蓋(けだ)し硝子玉(がらすたま)を持(も)つ手(て)を怪(あやし)みしなるべし

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