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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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行政上(ぎやうせいじやう)より観たる裸体画(らたいぐわ)(続)
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| 文学博士 大塚保次氏談 | 読売新聞 | 1901(明治34)/11/30 | 1頁 | 雑 |
裸体画(らたいぐわ)に附(つ)いて誤解(ごかい)するものもある様(やう)ですが△裸体美術ハ鄙猥で春画から出た と思(おも)ふ様(やう)な間違(まちが)つた考(かんがへ)を持(も)つて居(を)る人(ひと)もある様(やう)です最(もつと)も春画(しゆんぐわ)も裸体画(らたいぐわ)も裸体(らたい)と云(い)う点(てん)ハ固(もと)より同(どう)一であるがツマリ鄙猥(ひわい)になれバ其(そ)の結果(けつくわ)も亦同(またどう)一です然(しか)し裸体画(らたいぐわ)ハ春画(しゆんぐわ)とハ固(もと)より目的(もくてき)に相違(さうゐ)があるので裸体(らたい)ハ無論春画(むろんしゆんぐわ)に依(よ)つて起(おこ)つたもので無(な)い消極的(せうきよくてき)の例(れい)を挙(あ)ぐれバ欧羅巴(ようろつぱ)よりハ日本(にほん)が良(よ)いのです鄙猥(ひわい)な行為(かうゐ)が社会(しやくわい)にある為(た)めに必(かなら)ずしも裸体画(らたいぐわ)が起(おこ)ると云(い)ふのでハ無(な)い日本(にほん)ハ君子国(くんしこく)で裸体画(らたいぐわ)は無(な)かつたが春画(しゆんぐわ)ハ却(かへ)つて欧羅巴(ようろつぱ)よりも劣(おと)らぬもので価値(かち)のある珍重(ちんちよう)されるものがあるから△春画と裸体画とハ無論関係が無い のです又積極的(またせつきよくてき)で言(い)へば欧羅巴(ようろつぱ)の美術(びじゆつ)の起(おこり)ハ元(もと)ハ希臘(ぎりしや)で裸体美術(らたいびじゆつ)も同国(どうこく)で起(おこ)つた其(そ)の原因(げんいん)ハ希臘(ぎりしや)でハ体育(たいゝく)が盛(かさん)で始(はじめ)ハ運動(うんどう)する時(とき)は衣服(いふく)を或(あ)る部分(ぶぶん)に附(つけ)て居(ゐ)たが終(つひ)に丸裸(まるはだか)で行(や)る様(やう)になつた紀元前(きげんぜん)百廿年頃(ねんころ)にヲリンピツクゲーンでハ競技者(きやうぎしや)ハ丸裸(まるはだか)で行(や)る事(こと)になつて居(ゐ)た様(やう)です其後裸体(そのごらたい)の習慣(しふくわん)が附(つい)て遂(つひ)にハ金(かね)などを贈(おく)つてこれを奨励(しやうれい)して尊敬(そんけい)したり或(あるひ)は裸体(らたい)の肖像(せうぞう)を作(つく)る様(やう)にもなつたのですこんな工合(ぐあひ)に実際必要的(じつさいひつえうてき)から裸体画(らたいぐわ)が出来(でき)たのでそれを一層奨励(そうしやうれい)して又美術上(またびじゆつじやう)からしても立派(りつぱ)であるから寧(むし)ろ衣服(いふく)を纏(まと)ふよりハ裸体(らたい)が良(よ)い即(すなは)ち美術上(びじゆつじやう)の理由(りいう)が多(おほ)くなつて神(かみ)の肖(かたち)にまでも及(およ)ぼした其(それ)から勇者(いうしや)も同(おな)じく裸体(らたい)で製作(せいさく)した又女(またをんな)も同(おな)じく裸体(らたい)にする様(やう)になつた猶歴史(なおれきし)で観(み)ると希臘(ぎりしや)の美(び)が盛(さか)んになつて来(く)る時分(じぶん)ハ△風儀は乱れかゝつて来る時で あります是(これ)ハ此等(これら)に関(くわん)した事情(じじやう)もあるであろうが美術(びじゆつ)が乱(みだ)したので無(な)くツマリ社会(しやくわい)の大勢(たいせい)に美術(びじゆつ)も捲込(まきこ)まれたのですから止(や)むを得(え)ない訳(わけ)です文明史(ぶんめいし)を考(かんが)へても社会(しやくわい)が腐敗(ふはい)して下(くだ)り坂(ざか)になると文芸(ぶんげい)の花(はな)が咲(さ)くのですこれハ殆(ほと)んど世界各国通(せかいかくこくつう)じて殆(ほと)んど規則(きそく)の様(やう)ですがこれも止(や)むを得(え)ない訳合(わけあひ)です△頃日の画にハ女が多い が是(こ)れハ風紀(ふうき)の乱(みだ)れて居(を)る証拠(しやうこ)でハ無(な)いかと云(い)う批評家(ひゝやうか)もあるがこんな理由(りいう)ハ無論(むろん)ないのです希臘(ぎりしや)でハ美術(びじゆつ)も彫刻(てうこく)も盛(さか)んでしたが裸体(らたい)ハ男子(だんし)が多(おほ)いレネサンスになると彫刻(てうこく)も盛(さか)んであつたが絵画(くわいぐわ)にハ女(をんな)の裸体画(らたいぐわ)が多(おほ)かつた十九世紀(せいき)にハレネサンス時代(じだい)より彫刻(てうこく)よりも絵(ゑ)が盛(さか)んで彫刻(てうこく)も今日(こんにち)ハ男子(だんし)が多(おほ)いが絵画(くわいぐわ)にハ矢張(やは)り女(をんな)が多(おほ)いのが事実(じじつ)です何故昔(なにゆゑむかし)ハ男子(だんし)で今日(こんにち)ハ女子(じよし)が多(おほ)いかと云(い)ふと其(そ)れにハ理由(りいう)がある或人(あるひと)ハ男子(だんし)が勢力(せいりよく)を持(も)つて居(を)るから描(か)く人(ひと)も見(み)る人(ひと)も世界(せかい)の地位(ちゐ)がそうであるからツマリ女(をんな)ハ男子(だんし)の玩弄物(ぐわんろうぶつ)の様(やう)になつて居(を)るから女(をんな)が多(おほ)いのであろうと云(い)ふ説(せつ)を為(な)すものがあるがこれも有力(いうりよく)の理由(りいう)でハ無(な)い希臘(ぎりしや)、羅馬(らうま)の時代(じだい)でハ今日(こんにち)より婦人(ふじん)の地位(ちゐ)ハ更(さら)に低(ひく)かつたのですが決(けつ)して女(をんな)の裸体(らたい)が多(おほ)くなかつた又或人(またあるひと)ハ風紀(ふうき)が乱(みだ)れると女(をんな)の裸体(らたい)が多(おほ)いと云(い)ふものもあるが文明史(ぶんめいし)を見(み)ると決(けつ)してそうでない十九世紀(せいき)と十五六世紀(せいき)の伊太利(いたりー)や希臘(ぎりしや)の紀元前(きげんぜん)四世紀頃(せいきころ)ハ羅馬(らうま)の帝政時代(ていせいじだい)と比(くら)べて見(み)ると今日(こんにち)の仏国(ふつこく)が鄙猥(ひわい)で悪(わ)るいとハ云(い)へないから風紀(ふうき)の乱(みだ)れたに起因(きいん)する訳(わけ)でハ無(な)い是(これ)ハ他(た)に理由(りいう)がある(つゞく)

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