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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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行政上(ぎやうせいじやう)より観たる裸体画(らたいぐわ)
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| 文学博士 大塚保次氏談 | 読売新聞 | 1901(明治34)/11/28 | 1頁 | 雑 |
裸体画(らたいぐわ)に就(つ)いてハ曩(さき)に道徳上(だうとくじやう)と美術上(びじゆつじやう)から観察(くわんさつ)した意見(いけん)を帝国文学(ていこくぶんがく)と時事新報(じゞしんぱう)とに記載(きさい)しましたから、今度(こんど)ハ行政上(ぎやうせいじやう)から論及(ろんきゆう)することに致(いた)します、全体裸体画(ぜんたいらたいぐわ)が美術上相応(びじゆつじやうさうおう)の価値(かち)のあることハ申(まを)すまでも無(な)いのですが、偖今度(さてこんど)の白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)に出品(しゆつぴん)してあつたやうな裸体画(らたいぐわ)ハ決(けつ)して差支(さしつかへ)のないものと思(おも)ふのです、併(しか)し萬(まん)一の用心(ようじん)に取締(とりしまり)をする必要(ひつえう)があるとすれバ……絶対的(ぜつたいてき)に裸体画(らたいぐわ)の出品(しゆつぴん)を許(ゆる)すとすると何(ど)んな鄙猥(ひわい)なるものを出品(しゆつぴん)するか分(わか)らぬと云(い)ふ場合(ばあひ)の用心(ようじん)として、行政上(ぎやうせいじやう)の取締規則(とりしまりきそく)を設(まう)ける必要(ひつえう)ハあります、そして取締(とりしまり)の責(せき)に任(にん)ずる人(ひと)ハ、美術(びじゆつ)を理解(りかい)する脳随(のうずゐ)を有(いう)して居(を)らねバならぬ只風紀上(たゞふうきじやう)ばかりの考(かんが)へを持(も)つて居(を)る人(ひと)でハ無論不適當(むろんふてきたう)であると思(おも)ふのです、今(こん)日の警察(けいさつ)の人(ひと)ハ充分美術(じうぶんびじゆつ)を識別(しきべつ)する眼(め)ハ無(な)いと思(おも)ふから裸体画(らたいぐわ)の取締(とりしまり)をバその人々(ひとびと)に任(まか)せて置(お)くのハ実(じつ)に不安心(ふあんしん)な事(こと)です△美術家の翰林院 の様(やう)なものがあつたならバ展覧会出品(てんらんくわいしゆつぴん)の選択(せんたく)を一任(にん)するに最(もつと)も適當(てきたう)であるのですが、然(しか)し其(そ)の取締(とりしまり)までも依托(いたく)するといふことになると翰林院(かんりんゐん)の組織(そしき)ハ只技術(たゞぎじゆつ)だけでなく立派(りつぱ)の紳士(しんし)、君子(くんし)を以(も)つて組織(そしき)せねバならぬ、また美術家中(びじゆつかちう)にも翰林院(かんりんゐん)の委員(ゐゝん)になるにハ技術(ぎじゆつ)ばかりでハ行(ゆ)かぬ、人物(じんぶつ)として価(あたひ)も無(な)い風教上(ふうけうじやう)の考(かんが)へも無(な)い人(ひと)でハ決(けつ)して適當(てきたう)で無(な)いから、先(ま)づ今日(こんにち)の処(ところ)でハ、翰林院(かんりんゐん)を設(まう)けるとして人(ひと)を得(う)るに困難(こんなん)であると思(おも)はれます、そこで私(わたくし)の考(かんが)へでハ費用(ひよう)さへあれバ△美術高等会議 を設(まう)けて美術学校(びじゆつがくかう)の教師及(けうしおよ)び其他技術(そのたぎじゆつ)、教育(けういく)、風紀(ふうき)に注意(ちうい)して居(を)る人々(ひとびと)を議員(ぎゐん)とし、これに展覧会(てんらんくわい)の取締(とりしまり)をも頼(たの)んだら良(よ)からうと思(おも)ふのです、またそればかりでなく技術家及(ぎじゆつかおよ)び見物人(けんぶつにん)の趣味(しゆみ)の上(うへ)から観(み)た取締(とりしまり)の標準(へうじゆん)も定(さだめ)て置(お)きたい、また此他種々(このたいろいろ)の事(こと)もあると思(おも)ふのですが、兎(と)に角(かく)これ等(ら)の機関(きくわん)を文部省(もんぶしやう)にでも設(まう)けたらよかろうと思(おも)ひますこれハ余事(よじ)ですがこの美術高等会議(びじゆつかうとうくわいぎ)が設(まう)けられたならバ美術(びじゆつ)のみでなく文学(ぶんがく)の事(こと)も併(あは)せて監督(かんとく)したら良(よ)からうと思(おも)ひます、また官立(くわんりつ)の美術学校(びじゆつがくかう)ハありますが、文学(ぶんがく)のものハまだ無(な)いのですが文学(ぶんがく)も無論政府(むろんせいふ)で奨励保護(しやうれいほご)して良(よ)いと思(おも)ひます△併し若し費用を要するから 美術高等会議(びじゆつかうとうくわいぎ)が設(まう)けられぬといふものならバ展覧会出品(てんらんくわいしゆつぴん)の取締(とりしまり)と美術学校(びじゆつがくかう)に托(たく)したら良(よ)からうと考(かんが)へます、最(もつと)も美術学校(びじゆつがくかう)の教師(けうし)ハ専門(せんもん)の美術家(びじゆつか)ですから只美術(たゞびじゆつ)の眼許(めばか)りで風紀上(ふうきじやう)の事(こと)に関(かま)はず、云(い)はゞ風紀(ふうき)を犠牲(ぎせい)にしても美術(びじゆつ)を奨励(しやうれい)したいといふ様(やう)な傾(かたむ)きがあるかもしれませぬが、併(しか)し其(そ)の上(うへ)にハ文部省(もんぶしやう)があつて責任(せきにん)を帯(お)びて居(ゐ)るから監督(かんとく)の道(みち)ハいくらもあるのです(つゞく)

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