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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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裸体画問題(らたいぐわもんだい)(八)
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| 高等女子師範学校長高嶺秀夫氏談(たかみねひでをしだん)(つゞき)(縦覧尚早) | 読売新聞 | 1901(明治34)/11/13 | 1頁 | 雑 |
最(もつと)も理論(りろん)と実際(じつさい)とハ一致(ち)せぬ場合(ばあひ)もあるから一概(がい)にハ云(い)へぬのです裸体画(らたいぐわ)でも有益(いうえき)の方面(はうめん)を云(い)へバ人体(じんたい)の姿勢(しせい)を正(たゞ)しこれを画(ぐわ)に描(えが)いて世(よ)に示(しめ)す事(こと)などハ随分必要(ずゐぶんひつえう)の事(こと)であろうと思(おも)ふのですから此等(これら)の点(てん)ハ専門家(せんもんか)に於(おい)て能(よ)く研究(けんきう)して充分(じうぶん)に行(や)つて貰(もら)ひたい又社会(またしやくわい)の需用(じゆよう)に伴(ともな)ふて追々人(おひおひひと)の肖像(せうぞう)なども沢山出来(たくさんでき)る様(やう)になつたから人体(じんたい)を研究(けんきう)する必要(ひつえう)ハ必(かな)らずあるに相違(さうゐ)ない果(はた)して人体(じんたい)を研究(けんきう)する必要(ひつえう)があるとすると裸体画(らたいぐわ)の必要(ひつえう)も起(おこ)る訳合(わけあひ)になるのですから専門家(せんもんか)の研究(けんきう)するにハ自由(じいう)を与(あた)へる事(こと)ハ云(い)ふ迄(まで)も無(な)い事(こと)と思(おも)ふのです又當局者(またゝうきよくしや)の方針(はうしん)も必(かな)らず同様(どうやう)であらうと信(しん)ずるのですが△然(しか)し前(まへ)にも云(い)つた通(とほ)り之(こ)れを今日直(こんにちすぐ)に公衆(こうしう)に展覧(てんらん)せしめるのハ熟考(じゆくかう)すべき問題(もんだい)であろうと思(おも)ふのです△仏国(ふつこく)などでも展覧会(てんらんくわい)の種類(しゆるゐ)ハ何箇(いくつ)もある様(やう)で中(なか)にハ専門家(せんもんか)が集(あつ)まつて各自(かくじ)の製作(せいさく)を批評研究(ひゝやうけんきう)すると云(い)ふ組織(そしき)のものと又日本(またにほん)の展覧会(てんらんくわい)の如(ごと)く公衆(こうしう)に展覧(てんらん)させるのもある様(やう)ですが専門家(せんもんか)の研究(けんきう)する会(くわい)なれバ専門家(せんもんか)が芸術的(げいじゆつてき)の眼孔(がんこう)を以(も)つて見(み)るのであるから無論差支(むろんさつしかへ)のあろう筈(はづ)ハ無(な)いが然(しか)し公衆(こうしう)に展覧(てんらん)させる方(ほう)でハ仮令(たと)ひ仏国(ふつこく)でも如何(いか)なる点(てん)までも差支(さしつかへ)が無(な)いとハ行(ゆ)かぬであろうと思(おも)ふのです況(いは)んや仏国以外(ふつこくいぐわい)の国(くに)でハ迚(とて)も差支(さしつかへ)が無(な)いとハ行(ゆ)かぬであろうと思(おも)ふのです画家(ぐわか)が所謂公衆(いはゆるこうしう)のフヰーリングを害(がい)せぬと云(い)う事(こと)を脳中(のうちう)に置(お)いて描(えが)くハ画家(ぐわか)に責任(せきにん)があると同時(どうじ)に我今日(われこんにち)の社会(しやくわい)も決(けつ)して充分(じうぶん)に発達(はつたつ)して居(を)るとハ無論言(むろんい)へぬのであるから裸体画(らたいぐわ)の議論(ぎろん)をするとその根本(こんぽん)の社会(しやくわい)からして充分(じうぶん)に教育(けういく)せねバならぬ事(こと)になるのです△ツマリ私(わたくし)の考(かんがへ)でハ人(ひと)の感情(かんじやう)を害(がい)せぬだけの名画(めいぐわ)ハ公然公衆(こうぜんこうしう)の前(まへ)に展覧(てんらん)せしめても差支(さしつかへ)が無(な)いと云(い)ふのですがこの名画(めいぐわ)と云(い)ふものが現今(げんこん)の日本(にほん)で有(あ)るか無(な)いかと云(い)ふ事(こと)になると遺憾(ゐかん)ながら無(な)いと云(い)はなけれバならぬ果(はた)して無(な)いとなると公然公衆(こうぜんこうしう)の前(まへ)に展覧(てんらん)するハ時期(じき)が熟(じゆく)さぬと云(い)ふ議論(ぎろん)になる△或人(あるひと)の説(せつ)の如(ごと)く鑑定(かんてい)して出品(しゆつぴん)させる方法(はうはふ)も一法(はふ)であるがこの鑑定者(かんていしや)に任(にん)ずる人々(ひとびと)ハ余程慮(よほどりよ)を廻(めぐ)らさなけれバならぬ萬(まん)一にも技術家(ぎじゆつか)が多数(たすう)を占(しめ)るが如(ごと)き事(こと)があると如何(いか)なるものでも関(かま)はずドシドシ展覧(てんらん)さする様(やう)な間違(まちが)つた事(こと)になるとそれこそ大害(たいがい)があるから熟考(じゆくかう)しなけれバならぬが併(しか)し宜(よろ)しく方法(はふはふ)を得(え)たならバ良(よ)いかもしれぬ要(えう)するに裸体画(らたいぐわ)を公衆(こうしう)に見(み)せるハ仮令欧羅巴(たとひえうろつぱ)で差支(さしつかへ)なく流行(はや)つてもそれハ決(けつ)して善良(ぜんりやう)なる流行(りうかう)で無(な)いのであるからこれを奨励(しやうれい)する必要(ひつえう)は無(な)い様(やう)です(高嶺氏談終り)

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