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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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裸体画問題(らたいぐわもんだい)(二)
(某美術家の談つゞき)

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| 読売新聞 | 1901(明治34)/11/05 | 1頁 | 雑 |
△孔子様(こうしさま)を馬鹿(ばか)と云(い)ふ様(やう)なもの@警察(けいさつ)が白馬会出品(はくばくわいしゆつぴん)に尤(もつと)も残酷(ざんこく)な命令(めいれい)を下(くだ)したのハ画(ゑ)が拙劣(まづ)いからといふのですが△此厄難(このやくなん)に遭(あ)つた裸体美人(らたいびじん)ハ黒田氏(くろだし)のばかりでなく仏国(ふつこく)のコラン氏(し)の作(さく)も矢張(やはり)そうですが黒田氏(くろだし)の画(ゑ)ハまづいかどうか氏(し)ハ東京美術学校教授(とうけいびじゆつがくかうけうじゆ)で西洋画(せいやうぐわ)の主任(しゆにん)であつて巴里博覧会(ぱりーはくらんくわい)でハ銀賞(ぎんしやう)を得(え)た位兎(くらゐと)も角(かく)も我邦(わがくに)でハ有数(いうすう)の西洋画家(せいやうぐわか)である又(また)コラン氏(し)ハ前回(ぜんくわい)の巴里大博覧会(ぱりーだいはくらんくわい)で名誉賞(めいよしやう)を得(え)た人(ひと)で世界(せかい)でハ有名(いうめい)な画家(ぐわか)、殊(こと)に裸体画(らたいぐわ)が最(もつと)も得意(とくい)であつて度々政府(たびたびせいふ)の命令(めいれい)で描(か)かされる、中(なか)にも巴里(ぱりー)の府庁及(ふちやうおよ)び大学総長室(だいがくそうちやうしつ)の裸体壁画(らたいへきぐわ)ハ実(じつ)に立派(りつぱ)なものであるのです、此世界(このせかい)で有名(いうめい)な画家(ぐわか)が書(かい)たものを欧羅巴(えうろつぱ)よりも数等劣(すとうおと)つた(西洋画(せいやうぐわ)から見(み)て)日本(にほん)で氏(し)を下手(へた)と云(い)ふ筈(はず)もありますまい若(も)しコラン氏(し)が下手(へた)となれバ孔子様(こうしさま)も馬鹿(ばか)といふことハ出来(でき)るでしよう。@△モデルは鄙猥(ひわい)か@日本画(にほんぐわ)の欠点中(けつてんちう)で最(もつと)も著(いちじる)しいのハ人体(じんたい)を描(か)く事(こと)の拙劣(せつれつ)なのでしよう蘭竹山水(らんちくさんすゐ)など許(ばか)りを描(か)いて決(けつ)して人体(じんたい)ハ描(か)かぬと決(き)めてしまへバそれで可(よ)いのですが人物(じんぶつ)も画(か)くとすると決(けつ)して此迄(これまで)の様(やう)に人体(じんたい)に附(つ)いてノンキでハいけぬと思(おも)はれる△私(わたくし)の考(かんがへ)でハ蘭竹(らんちく)などハ少々何方(せうせうどちら)に偏(へん)して居(ゐ)ても運筆(うんぴつ)さへ熟練(じゆくれん)して居(を)れバ相応(さうおう)に見(み)られるのですが人体(じんたい)ハ如何(いか)に運筆(うんぴつ)が巧(たくみ)でも少(すこ)しにても間違(まちが)つて居(ゐ)てハ全(まつた)く見(み)られるものでハない六ケ敷云(しくい)ふと人体(じんたい)を描(か)くにハ人体(じんたい)の研究(けんきう)を要(えう)するので充分(じうぶん)に行(や)るのにハ実地人体(じつちじんたい)の解剖(かいばう)からして始(はじ)めねバならぬのです△然(しか)し日本(にほん)でハ大学(だいがく)で人体(じんたい)を解剖(かいばう)するの外他(ほかた)の学校(がくかう)でハ許(ゆる)さぬから人体(じんたい)の解剖迄(かいばうまで)ハナカナカ路(みち)が遠(とほ)いとしてモデルハ芸術(げいじゆつ)の上(えへ)から見(み)て止(や)むを得(え)ないのです△所(ところ)がモデルと画家(ぐわか)との間(あひだ)に種々悪(しゆしゆわる)い評判(ひやうばん)もある様(やう)です、欧羅巴(えうろつぱ)でも画家(ぐわか)とモデルとの間(あひだ)に野鄙(やひ)な事(こと)が無(な)いとハ云(い)はぬのです又多(またおほ)い画家(ぐわか)の中(うち)にハ堕落(だらく)したものもあるのですが、若(も)し芸術(げいじゆつ)に熱心(ねつしん)であるならバ決(けつ)して野鄙(やひ)な考(かんがへ)ハ起(おこ)らぬものです、世間(せけん)で彼是(かれこれ)いふのハ畢竟(ひつきやう)めづらしいからの事(こと)、裸体画(らたいぐわ)もまだ眼慣(めな)れぬので彼是云(かれこれい)はれるのでしよう@△當局者(とうきよくしや)の決心如何(けつしんいかん)@當局者(とうきよくしや)に美術思想(びじゆつしさう)が無(な)いとハ云(い)はぬ唯方針(たゞはうしん)をどうして呉(く)れるのでしようか萬事欧羅巴(ばんじえうろつぱ)と対等否(たいとうい)な以上(いじやう)の位置(ゐち)に進(すゝ)みたいとして居(を)つて美術(びじゆつ)ばかりハ始(はじめ)から兜(かぶと)を脱(ぬ)いで降伏(かうふく)することもありますまい△銅像(どうざう)の必要(ひつえう)も起(おこ)る建築(けんちく)の装飾(さうしよく)にも必要(ひつえう)がある其他種々人体(そのたしゆじゆじんたい)の必要(ひつえう)が起(おこ)る否(い)な起(おこ)つて居(ゐ)るに最(もつと)も人体(じんたい)の根本(こんぽん)たる裸体画(らたいぐわ)を描(か)かせぬ見(み)せぬとすると美術(びじゆつ)の進歩(しんぽ)を阻害(そがい)するの結果(けつくわ)とハなりハせぬかそれも絶対的(ぜつたいてき)に破壊(はくわい)する決心(けつしん)なれバそれ迄(まで)として別(べつ)に論(ろん)ずる必要(ひつえう)も無(な)いのです(此稿終)

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