| 傾日上野（このごろうへの）にて開会中（かいくわいちう）なる白馬会（はくばくわい）に黒田清輝氏及（くろだきよてるしおよ）びラフアーエル、コロンなどの筆（ふで）に成（な）りたる裸体画（らたいぐわ）へ下谷警察署長（したやけいさつしよちやう）の命令（めいれい）にて腰部（えうぶ）に巾（きぬ）を覆（おほ）はしめ為（ため）に美術界（びじゆつかい）の一問題（もんだい）とならんとするの形勢（けいせい）あり依（よつ）て重（おも）なる美術家並（びじゆつかならび）に政府側（せいふがわ）の之（これ）に対（たい）する意見（いけん）を対照（たいしよう）し裸体画問題（らたいぐわもんだい）に対（たい）する行政方針（ぎやうせいはうしん）に就（つ）き研究（けんきう）の資料（しれう）に供（きやう）せんと欲（ほつ）す左（さ）に先（ま）づ某美術家（ばうびじゆつか）の意見（いけん）を掲（かゝ）ぐ＠裸体画問題（らたいぐわもんだい）も大分八（だいぶや）かましい様（やう）ですな元（も）と裸体画問題（らたいぐわもんだい）ハ今日（こんにち）に始（はじま）つたのでハなく去（さ）る明治（めいじ）廿八年内国勧業博覧会（ねんないこくゝわんげふはくらんくわい）が京都（きようと）で開（ひら）かれた時（とき）に黒田氏（くろだし）が彼（か）の裸体画（らたいぐわ）を出品（しゆつぴん）した時（とき）が抑（そもそ）も裸体画出品（らたいぐわしゆつぴん）の初（はじ）めで又議論（またぎろん）の火（ひ）の手（て）が始（はじ）めて揚（あが）つた時（とき）であるのです其（そ）の當時（たうじ）ハ可非論者（かひろんしや）が殆（ほと）んど半数（はんすう）であつたのが遂（つい）に出品（しゆつぴん）して差支（さしつか）へないといふ事（こと）になつたのです△此時（このとき）からして當局者間（たうきやくしやかん）にも裸体画（らたいぐわ）に附（つ）いてハ種々議論（しゆしゆぎろん）があつて、たしか三十年（ねん）五月と思（おも）ひます内務省（ないむしやう）の當局者（たうきやくしや）が同問題（だうもんだい）に附（つ）いて内訓（ないくん）を下（くだ）したと云（い）ふ事（こと）ですその内訓（ないくん）とハ云（い）ふ迄（まで）も無（な）く風紀（ふうき）を壊乱（くわいらん）する恐（おそれ）あるものハ公衆（こうしう）の展覧（てんらん）すべき会場（くわいぢやう）に陳列（ちんれつ）する事（こと）を禁（きん）ずるといふのであつて鄙猥（ひわい）なものハ厳重（げんじう）に取締（とりしま）る方針（はうしん）であつたのです但（たゞ）し其（そ）の末行（まつぎやう）に一つの取除（とりのぞ）きがあつたそれハ古代（こだい）の神仙（しんせん）を高尚（かうしやう）なる目的（もくてき）で以（も）つて画（ゑが）いたものならバ差支（さしつかへ）ないと言（い）ふのであつたと覚（おぼ）えて居（ゐ）る△さて此規則（このきそく）ハ解釈（かいしやく）の仕様(しやう)で見解（けんかい）も異（ことな）つて来（く）るのですから如何（いか）に立派（りつぱ）な規則（きそく）があつても解釈（かいしやく）を誤（あやま）ると随分迷惑（ずいぶんめいわく）を感（かん）ずる事（こと）が出来（でき）るのです△成程此（なるほどこ）の内訓（ないくん）ハ立派（りつぱ）な内訓（ないくん）でありましよう然（しか）し政府（せいふ）ハ此（こ）の内訓（ないくん）に就（つい）て時々解釈（じゞかいしやく）を異（こと）にして居（ゐ）る是（これ）ハ美術家（びじゆつか）に取（とつ）て非常（ひじやう）に迷惑（めいわく）な事（こと）であつてどうか予（あらかじ）め解釈（かいしやく）を一定（てい）して置（おい）て貰（もら）ひたいのです△即（すなは）ち此（こ）の内訓（ないくん）の末行（まつぎやう）に右（みぎ）の様（やう）な除外例（ぢよぐわいれい）を設（まう）けた立法者（りつぱうしや）の精神（せいしん）ハ美術（びじゆつ）の奨励（しやうれい）を意味（いみ）して居（を）るに相違無（さうゐな）いと思（おも）ひますからどうか何時（いつ）でも此内訓（このないくん）を公平（こうへい）な脳髄（のうずゐ）で解釈（かいしやく）して貰（もら）ひたいのです時（とき）としてハ此精神（このせいしん）を自分（じぶん）で破壊（はくわい）する様（やう）なことをやつて貰（もら）つてハ甚（はなは）だ困（こま）る。＠此（こ）の後（ご）三十二年（ねん）に上野（うへの）で開（ひら）いた白馬会（はくばくわい）の展覧会（てんらんくわい）へ同（おな）じく黒田氏（くろだし）が三枚（まい）の裸体画（らたいぐわ）を出品（しゆつぴん）しました此（こ）の時（とき）の當局者（たうきよくしや）の意見（いけん）を聞（き）いた人（ひと）の話（はなし）に依（よ）ると前回（ぜんくわい）と同様別（どうやうべつ）に差支（さしつか）へ無（な）いと云（い）う事（こと）であつたようです差支無（さしつかへな）いのみならず巴里博覧会（ぱりーはくらんくわい）へ出品（しゆつぴん）するものに撰抜（せんばつ）までされて同会（どうくわい）でハ銀牌（ぎんぱい）を得（え）たといふ位（くらゐ）であるのに今度（こんど）ハまたどうしたのですか△是（これ）でハ行政官（ぎやうせいくわん）が内訓（ないくん）の除外例（ぢよぐわいれい）にある高尚といふことに付（つい）て頗（すこぶ）る漠然（ばくぜん）たる意見（いけん）を持（もつ）て居（を）るのであらうこの二字（じ）の解釈次第（かいしやくしだい）でどうでも為（な）る訳（わけ）ですが是（これ）ハ古代（こだい）の神仙或（しんせんあるひ）ハ美術上（びじゆつじやう）の歴史（れきし）などを充分（じうぶん）に研究（けんきう）して了解（れうかい）したものならバ容易（ようい）に一定（てい）の解釈（かいしやく）を下（くだ）されることゝ思（おも）ひます此度（こんど）の白馬会裸体画（はくばくわいらたいぐわ）に附（つ）いての出来事（できごと）ハ警官（けいくわん）などの命令（めいれい）に反抗（はんかう）して論（ろん）ずる必要（ひつえう）ハ無（な）からうと思（おも）はれます警官（けいくわん）などハ元（も）と美術界（びじゆつかい）の上（うへ）から見（み）ると云（い）はゞ素人（しろうと）です只（た）だ職権（しよくけん）に拠（よ）つて職権（しよくけん）を行（おこな）ふたのですから殆（ほと）んど取合（とりあ）ふの必要（ひつえう）ハ無（な）いが然（しか）し其（そ）の上（うへ）に在（あ）つて命令（めいれい）する人（ひと）にハ美術（びじゆつ）にハ素人（しろうと）でも只（た）だ素人（しろうと）だと云（い）つて置（お）く訳（わけ）にハ行（ゆ）くまいと思（おも）ひます當局者（たうきよくしや）の上（うへ）に立（た）つて居（ゐ）る人（ひと）ハ相応（さうおう）の学識（がくしき）を有（いう）し且（か）つ行政上（ぎやうせいじやう）に附（つ）いてハ無論責任（むろんせきにん）がある又其（またそ）の人々（ひとびと）の経歴（けいれき）から見（み）ても多（おほ）くハ欧米（おうべい）にも渡航（とかう）した人（ひと）が多（おほ）いから欧羅巴（えうろつぱ）の事（こと）も見聞（けんぶん）して居（ゐ）る従（したが）いてに裸体画（らたいぐわ）に附（つ）いても多少何（たせうなん）とか一定（てい）の考（かんがへ）があると見（み）なけれバならぬ此當局者（このたうきよくしや）ハ右（みぎ）にいふ高尚と云（い）ふ字（じ）をどう解釈（かいしやく）するか此（この）一定（てい）の解釈（かいしやく）を聞（き）きたいものと思（おも）ひます＠（つゞく）
|
目次 |
戻る 
進む
