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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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裸体美術問題(らたいびじゆつもんだい)
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| 読売新聞 | 1901(明治34)/10/30 | 2頁 | 雑 |
目下上野(もつかうへの)に於(おい)て開会(かいくわい)せる白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)の出品中(しゆつぴんちう)、裸体美術(らたいびじゆつ)の表現(へうげん)を目的(もくてき)とせる絵画並(くわいぐわならび)に彫刻(てうこく)に対(たい)し、下谷警察署(したやけいさつしよ)が、例(れい)の筆法(ひつぱう)により、行政命令(ぎやうせいめいれい)を以(もつ)て、美術品(びじゆつひん)の腰部(えうぶ)を布片(ふへん)にて覆(おほ)はしめたるが為(ため)、端(はし)なく美術家(びじゆつか)の物議(ぶつぎ)を招(まね)き、漸(やうや)く世上(せじやう)の問題(もんだい)とならんとするの模様(もやう)あり、余輩(よはい)も亦其問題(またそのもんだい)とならんことを望(のぞ)むのみならず、寧(むし)ろ大問題(だいもんだい)とまでならんことを望(のぞ)むものなれども、之(これ)を問題(もんだい)となすに就(つい)て、余輩(よはい)ハ芸術家(げいじゆつか)にも又行政官(またぎやうせいくわん)にも斉(ひと)しく注意(ちうい)を促(うなが)さゞるべからざる一要件(えうけん)あり、即(すなは)ち芸術家(げいじゆつか)に在(あつ)てハ単(たん)に下谷警察署(したやけいさつしよ)の命令(めいれい)に対(たい)して非難(ひなん)を加(くは)ふるに止(とゞ)まらず、又行政官(またぎやうせいくわん)に在(あつ)てハ単(たん)に白馬会(はくばくわい)の出品(しゆつぴん)に対(たい)して取締(とりしまり)の命令(めいれい)を発(はつ)するに止(とゞ)まらず 宜(よろ)しく今回(こんくわい)の事件(じけん)を動機(どうき)として、少(すくな)くとも裸体美術(らたいびじゆつ)に対(たい)する我美術行政(わがびじゆつぎやうせい)の方針(はうしん)を一定(てい)せんことを希望(きぼう)せざるを得(え)ざるなり。@余輩(よはい)をして忌憚(きたん)なく言(い)はしむれバ、我政府(わがせいふ)にハ遺憾(いかん)ながら未(いま)だ美術行政(びじゆつぎやうせい)なきなり、是余輩(これよはい)の常(つね)に切論(せつろん)せる所(ところ)にして、現(げん)に今回(こんくわい)の事件(じけん)の如(ごと)きも、亦畢竟美術行政(またひつきやうびじゆつぎやうせい)の等閑(とうかん)に附(ふ)せられたるより来(きた)れるものに外(ほか)ならず、然(しか)れども広(ひろ)き意味(いみ)に於(お)ける美術行政(びじゆつぎやうせい)ハ今日茲(こんにちこゝ)に論(ろん)ぜんとする本論(ほんろん)の趣旨(しゆし)にあらざれバ姑(しばら)く別論(べつろん)とするも、我政府(わがせいふ)にハ単(たん)に裸体美術(らたいびじゆつ)に対(たい)する方針(はうしん)さへも亦之(またこれ)なきなり、先年京都(せんねんけうと)に於(おい)て開会(かいくわい)せられし第(だい)四回内国勧業博覧会(くわいないこくゝわんげふはくらんくわい)に於(おい)て、裸体画(らたいぐわ)の始(はじめ)て公衆(こうしう)の展覧(てんらん)に供(きよう)せられし以来(いらい)、裸体美術(らたいびじゆつ)、並(ならび)に裸体美術論(らたいびじゆつろん)ハ屡々世上(しばしばせじやう)の問題(もんだい)となり、芸術家(げいじゆつか)と行政官(ぎやうせいくわん)との衝突(しようとつ)も亦(また)一再(さい)ならざりしが、其間我政府(そのかんわがせいふ)の裸体美術(らたいびじゆつ)に対(たい)する意見(いけん)ハ随時方針方針(ずゐじはうしん)を異(こと)にして、時(とき)にハ或(あるひ)ハ公許(こうきよ)し時(とき)に或(あるひ)ハ禁止(きんし)し、毫(がう)も一定(てい)の方針(はうしん)なるものありて然(しか)るにあらずすなはち今回(こんくわい)の白馬会(はくばくわい)に於(おい)ても、既(すで)に出品(しゆつぴん)の後(のち)に於(おい)て突然布片(とつぜんふへん)を以(もつ)て美術品(びじゆつひん)の腰部(えうぶ)を覆(おほ)はしめ、而(しかし)て出品(しゆつぴん)と展覧(てんらん)とハ依然之(いぜんこれ)を許(ゆる)すが如(ごと)き、芸術(げいじゆつ)に対(たい)する方針(はうしん)の点(てん)より見(み)るときハ、殆(ほと)んど何(なん)の意(い)たるやを解(かい)するに苦(くるし)まずんバあらず、裸体美術(らたいびじゆつ)を以(もつ)て果(はた)して風教(ふうけう)に害(がい)ありと信(しん)ずるの方針(はうしん)ならんにハ、初(はじめ)より裸体美術(らたいびじゆつ)ハ一切出品(さいしゆつぴん)せしむべからざる筈(はず)なり、其當否(そのたうひ)ハ兎(と)も角(かく)、是(これ)ならバ一の方針(はうしん)たるを失(うしな)はず、然(しか)るに我政府(わがせいふ)ハ此(か)く一定(てい)の方針(はうしん)を執(と)るにもあらず、出品(しゆつぴん)の上腰部(うへえうぶ)を覆(おほ)ふて之(これ)を展覧(てんらん)せしむるが如(ごと)きハ、適(たまた)ま世人(せじん)の好奇心(かうきしん)を挑発(てうはつ)するのみならず、芸術家(げいじゅつか)が非常(ひじやう)の労費(らうひ)と畢生(ひつせい)の苦心(くしん)とを水泡(すゐはう)に帰(き)せしむるものと謂(い)はざるべからず、況(いは)んや同(どう)一の裸体美術(らたいびじゆつ)にして當局者(たうきよくしや)の干渉(かんせう)するものと干渉(かんせう)せざるものありて、方針常(はうしんつね)に一定(てい)せざるに於(おい)てハ美術家(びじゆつか)ハ殆(ほと)んど手(て)を下(くだ)すに所(ところ)なく、芸術(げいじゆつ)ハ何(いづれ)の処(ところ)に発展(はつてん)すべきかを知(し)るに由(よし)なかるべし、初(はじめ)より美術(びじゆつ)を無用(むよう)なりとするの意見(いけん)ならバ即(すなは)ち止(や)む、苟(いやし)くも美術(びじゆつ)の発達(はつたつ)が文芸(ぶんげい)の進歩(しんぽ)に至大(しだい)の影響(えいきやう)を与(あた)ふるを知(し)るに於(おい)て、速(すみやか)に一定(てい)の方針(はうしん)を定(さだ)めずといふことやある。@余輩(よはい)ハ敢(あへ)て極端(きよくたん)なる裸体美術自由論者(らたいびじゆつじいうろんしや)に与(くみ)するものにあらず、十九世紀(せいき)の美術的製作(びじゆつてきせいさく)ハ多(おほ)く裸体美術(らたいびじゆつ)に在(あ)りと称(しよう)せらるゝ泰西諸国(たいせいしよこく)に在(あ)りても、裸体美術(らたいびじゆつ)ハ三百年前(ねんぜん)に於(お)けるミケルアンゼロの最終審判時代(さいしうしんぱんじだい)より今日(こんにち)に至(いた)るまで美術家対風教家(びじゆつかたいふうけうか)の論題(ろんだい)となり居(を)れり、然(しか)れども裸体美術(らたいびじゆつ)ハ単(たん)に普通(ふつう)の風俗問題(ふうぞくもんだい)と同(どう)一視(し)すべきものにあらず、宜(よろ)しく討議講究(たうぎかうきう)の上(うへ)、當局者(たうきよくしや)に於(おい)て一定(てい)の方針(はうしん)を定(さだ)め、以(もつ)て美術(びじゆつ)の発達(はつたつ)に残酷(ざんこく)なる妨害(ぼうがい)を加(くは)ふるが如(ごと)きことなからしめざるべからず、美術(びじゆつ)の奨励(しやうれい)に於(おい)て仏国(ふつこく)に次(つ)ぐと称(しよう)せらるゝ独逸(どいつ)に於(おい)てハ、先年(せんねん)クレスハンツエとて美術(びじゆつ)と風俗(ふうぞく)に関(くわん)する法律案議会(はふりつあんぎくわい)に提出(ていしゆつ)せられ一世(せい)の大問題(だいもんだい)を喚起(くわんき)して遂(つひ)に美術(びじゆつ)と風教(ふうけう)との調和(てうわ)を得(う)るに至(いた)りたり、今日(こんにち)ハ我(わ)が美術発展(びじゆつはつてん)の点(てん)より論(ろん)ずるも裸体美術(らたいびじゆつ)に対(たい)する當局者(たうきよくしや)の方針(はうしん)を一定(てい)すべきの時(とき)なり、余輩(よはい)ハ此点(このてん)より、今回(こんくわい)の事件(じけん)が朝野有識者間(てうやいうしきしやかん)の大問題(だいもんだい)となるに至(いた)らんことを望(のぞ)む

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