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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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上野の白馬会
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| ○●生 | 毎日新聞 | 1901(明治34)/10/23 | 3頁 | 展評 |
日頃元気(ひごろげんき)な上(うへ)に去年(きよねん)の仏国博覧会行(ふつこくはくらんくわいゆ)きで巴里(ぱりー)ツ子(こ)になつた連中(れんちう)の多(おほ)い白馬会(はくばくわい)のことだから今年(ことし)の展覧会(てんらんくわい)には何(なに)か遣(や)るだらうと思(おも)つて居(ゐ)たところ案(あん)の定其入口(じやうそのいりくち)からして巴里通(ぱりーつう)を気取(きど)ツた△三方(ぱう)を囲(かこ)ツて此囲(このかこ)いを近頃西洋(ちかごろせいやう)でも流行(りうかう)し徐々日本(そろそろにほん)でも其趣味(そのしゆみ)を弄(もてあそ)ぶやうになッたアール、ヌヴオー(新美術(しんびじゆつ))式(しき)で曲線(きよくせん)をくねり廻(まは)した装飾物(そうしよくぶつ)になし、其中(そのなか)に白(しろ)い馬(うま)の首(くび)を出(だ)したものだ△此白馬(このはくば)の首(くび)は此会(このくわい)の徽章(きせう)とも云(い)ふべきものだそうだが田舎者(ゐなかもの)が又牧馬(またばば)の共進会(けうしんくわい)と間違(まちが)いさうな事(こと)だ△何(なに)しろ門並(かどな)み大(おほ)きな日(ひ)の丸(まる)をヌツと突(つ)き出(だ)す計(ばか)りが趣向(しゆかう)の中(うち)に此処(こゝ)一軒変(けんかは)ツた趣向(しゆかう)は嬉(うれ)しい△唯(た)だ其彩色(そのさいしき)がオトなしく配合(はいがふ)を取(と)つたゆへでもあるか少(すこ)しぼンやりして居(ゐ)る最(も)ふ少(すこ)し派手(はで)に往(い)ツたら尚(な)ほ目立(めだ)ツだろうと思(おも)ふ△いきなり這入(はいつ)て驚(おどろ)いたは「警察官(けいさつくわん)の厳達(げんたつ)に依(よ)り裸体画(らたいぐわ)は其腰部(そのえうぶ)を掩(おほ)へり」との断(ことは)りの紙札(かみふだ)だ斯(こ)んな事(こと)は今迄(いまゝで)の展覧会(てんらんくわい)に例(れい)のないことで仏国(ふつこく)の大家(たいか)コランの裸体画(らたいぐわ)も其腰部(そのえうぶ)にはキレが掩(おほ)はれて居(ゐ)て此大家(このたいか)の筆(ふで)を賞(せう)することが出来(でき)ない△黒田清輝氏(くろだせいきし)の西洋婦人(せいやうふじん)の裸体画(らたいぐわ)は昨年巴里客寓中(さくねんぱりーかくゞうちう)に画(ゑが)いたので横座(よこすは)りのむづかしいところを見事(みごと)に書(か)いたものだそうだが是(これ)には画(ゑ)が大(おほ)きい丈(だ)けに大々的(だいだいてき)のキレが掛(か)けてあつて其上半(そのうへはん)しか見(み)へないが其外中央(そのほかちうおう)の棚(たな)には巴里帰(ぱりーかへ)りの会員(くわいゐん)が持帰(もちかへ)つた彫塑物(てうそぶつ)を出(だ)して居(ゐ)る非常(ひじやう)に面白(おもしろ)いが此中(このなか)の小(ちい)さいものも凡(およ)そ裸体(らたい)のものは何(いづ)れも例(れい)のキレを懸(か)けて居(ゐ)る此分(このぶん)では今(いま)に時計屋(とけいや)の店頭(みせさき)にも幕附(まくつ)きの飾(かざ)り時計(とけい)が出(で)るやうになるだろう馬鹿(ばか)な話(はなし)だ△此展覧会(このてんらんくわい)を外国人(ぐわいこくじん)が見(み)たら何(なん)と當局者(たうきよくしや)の処置(しよち)を評(へう)して笑(わら)ふだろうか、実(じつ)に當局者(たうきよくしや)の芸術思想(げいじゆつしさう)は世(よ)の中(なか)と反比例(はんぴれい)に前年(ぜんねん)よりも退歩(たいほ)して居(ゐ)るのだ△聞(き)けば下谷(したや)の警察官(けいさつくわん)からの厳談(げんだん)で警保局長(けいほきよくちやう)と警視庁(けいしてう)の役人(やくにん)も出張(しゆつてう)といふ騒(さわ)ぎであつたさうだ益々馬鹿々々(ますますばかばか)しい、巴里(ぱりー)の看板絵(かんばんゑ)は日本(にほん)の看板絵(かんばんゑ)とは月と鼈(すつぽん)の違(ちが)ひで夫(そ)れ夫(ぞ)れの筆(ふで)に不可言味(いふべからざるあぢ)があつて面白(おもしろ)く見(み)られた(○●生)

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