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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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裸体画(らたいぐわ)
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| 毎日新聞 | 1901(明治34)/10/25 | 2頁 | 雑 |
上野公園(うへのこうゑん)に催(もよ)ふせる白馬会(はくばくわい)の洋画展覧会(ようぐわてんらんくわい)に対(たい)して、警視庁(けいしてう)が執(と)れる取締法(とりしまりはふ)なる者(もの)こそ面白(おもしろ)くも亦(ま)た可笑(をか)しけれ、懸(か)け列(つら)ねたる油画(あぶらゑ)の中(うち)には婦人(ふじん)の裸体(らたい)を描(えが)きたる者数品(ものすうひん)あり、警視庁(けいしてう)は之(これ)を以(もつ)て風俗壊乱(ふうぞくゝわいらん)の恐(おそれ)ありとし、細布(さいふ)を以(もつ)て腰部或(えうぶあるひ)は臀部(でんぶ)を掩(お)はしめぬ裸体画(らたいぐわ)なる者(もの)が風俗壊乱(ふうぞくゝわいらん)の恐(おそれ)ありとせば、何故(なにゆゑ)に警視庁(けいしてう)は之(こ)れが陳列(ちんれつ)を禁制(きんせい)せざりしや、蓋(けだ)し警視庁(けいしてう)は裸体(らたい)の極美(きよくび)テフ芸術論(げいじゆつろん)に憚(はゞか)りて之(これ)を断行(だんかう)することは能(あた)はざりしならん然(しか)る時(とき)に警視庁(けいしてう)が執(と)りたる局部隠蔽法(きよくぶいんぺいはふ)なる者(もの)は真(しん)に笑(わら)ふべき愚作(ぐさく)と言(い)はざるべからず@局部隠蔽(きよくぶいんぺい)の精神(せいしん)@今日(こんにち)の人何(ひとなに)が故(ゆゑ)に裸体(らたい)を耻(は)ぢとし、特(とく)に腰部(えうぶ)を露出(ろしゆつ)することを醜(しう)となすや、往古(わうこ)の原人等(げんじんとう)は赤裸々(せきらゝ)を以(もつ)て毫(がう)も羞耻(しうち)と為(な)さゞりしなり、然(しか)らば則(すなは)ち男女(だんぢよ)が木葉或(もくえうあるひ)は布片(ふへん)を以(もつ)て腰部(えうぶ)を掩(お)ふに至(いた)れるは何故(なにゆゑ)ぞや、或(あるひ)は曰(いは)く羞耻(しうち)の為(た)めなりと、然(しか)れ共吾人(ともごじん)は之(これ)を諸蛮民間(しよばんみんかん)に於(お)ける事実(じゞつ)より帰納(きなふ)して腰部隠蔽(えうぶいんぺい)は羞耻(しうち)の為(た)めに非(あら)ずして、却(かへつ)て他性(たせい)を誘惑(いうわく)するの目的(もくてき)に出(い)でたる者(もの)なることを思(おも)ふ、夫(そ)れ人々赤裸々(ひとびとせきらゝ)にして毫(がう)も怪(あやし)まざる時(とき)に當(あた)り、誰(たれ)か之(これ)を羞耻(しうち)なりとせんや、彼等(かれら)に取(と)りては腰間(えうかん)の露出(ろしゆつ)は頭顱(とうろ)の露出(ろしゆつ)と一般(ぱん)にして他(た)の視線(しせん)を惹(ひ)くの力(ちから)あらざるなり、異状(いぜう)は則(すなは)ち他(た)の注目(ちうもく)を促(うな)がすべき広告(くわうこく)なり、故(ゆゑ)に赤裸々(せきらゝ)を常(つね)となせる時(とき)に當(あた)りて他性(たせい)の視線(しせん)を引(ひ)き其(そ)の情慾(ぜうよく)を促(うな)がさんと欲(ほつ)せば、則(すなは)ち或(あるひ)は木葉(もくえう)を股間(こうかん)に綴(つゞ)り或(あるひ)は布片(ふへん)を腰部(えうぶ)に纏(まと)ふ等尤(とうもつと)も好個(こうこ)の頓智(とんち)にして、腰間隠蔽(えうかんいんぺい)は裸体蛮民中(らたいばんみんちう)に於(お)ける一世(せい)の才女(さいぢよ)の発明(はつめい)に非(あら)ずして何(なん)ぞや、@現(げん)に看(み)よ、警視庁(けいしてう)が白馬会(はくばくわい)に厳命(げんめい)して裸体画(らたいぐわ)の腰臀(えうでん)を掩(おゝ)はしめたるが為(た)めに、看客(かんかく)は却(かへつ)て之(これ)に着目(ちやくもく)し、眼光布背(がんくわうふはい)に徹(てつ)せざるを遺憾(ゐかん)とするに非(あら)ずや、風俗壊乱(ふうぞくゝわいらん)とは観客(くわんかく)の心裡(しんり)に一種(しゆ)の劣情(れつぜう)を湧出(ゆうしゆつ)せしむるを言(い)ふなり、然(しか)るに警視庁(けいしてう)は厳命(げんめい)を下(く)だして腰臀隠蔽(えうでんいんぺい)を行(おこな)へるが為(た)めに、偶々蛮民(たまたまばんみん)の才女(さいぢよ)が木葉(もくえう)を掩(お)ふて他性(たせい)の愛情(あいぜう)を喚起(くわんき)したると同(おな)じく、却(かへつ)て邪推(じやすゐ)を看客(かんかく)の心(こゝろ)に喚(よ)び起(おこ)すに至(いた)れり、是(こ)れ即(すなは)ち警視庁(けいしてう)が義理人情(ぎりにんぜう)に通(つう)ぜざる不粋(ふすゐ)の罪(つみ)に外(ほか)ならざるなり、@誰(たれ)か裸体(らたい)を描(えが)き得(う)る@吾人(ごじん)は美術家文芸者(びじゆつかぶんげいしや)の裸体画論(らたいぐわろん)に異存(ゐぞん)なき者(もの)なり、然(しか)れ共理想的裸体画論(ともりさうてきらたいぐわろん)と、現在(げんざい)の裸体画家(らたいぐわか)とは別物(べつもの)なり、吾人(ごじん)は裸体画(らたいぐわ)に染筆(せんぴつ)する芸術家(げいじゆつか)が果(はた)して之(これ)を筆(ひつ)するに堪(た)ゆるの心的修練(しんてきしうれん)ありや否(いな)は吾人(ごじん)の知(し)る能(あた)はざる所(ところ)にして、而(しか)して之(これ)を知(し)らんと欲(ほつ)する所(ところ)なり、而(しか)して其作物(そのさくぶつ)が果(はた)して高妙幽雅(かうめういうが)、之(これ)に対(たい)する者(もの)をして又(ま)た肉体的羞耻(にくたいてきしうち)を忘(わす)れしむるや否(いな)に至(いたつ)ては、吾人(ごじん)の知(し)ることは能(あた)はざる所(ところ)なり、@若(も)し我国(わがくに)に真正(しんせい)なる裸体美人(らたいびじん)を画(えが)き得(う)る人(ひと)あらば、吾人(ごじん)は其前(そのまへ)に跪座崇敬(きざすうけい)することに吝(りん)ならざるなり、清泉浴止(せいせんよくや)むで天(てん)を仰(あふ)ひで直立(ちよくりつ)せる美人(びじん)を正面(せうめん)より描(ゑが)きて、神気澎湃(しんきぼうはい)たる者(もの)を拝見(はいけん)せんことは、是(こ)れ吾人(ごじん)の熱望(ねつばう)なり、然(しか)るに滔々(たうたう)たる裸体画(らたいぐわ)は皆(み)な之(これ)に異(ことな)り、或(あるひ)は背面(はいめん)を描(ゑが)き或(あるひ)は側面(そくめん)を描(ゑが)き、其(そ)の正面(せうめん)を描(ゑが)く者(もの)は必(かなら)ず何等(なんら)の細工(さいく)を施(ほどこ)して生殖器(せいしよくき)を掩蔽(えんぺい)す、其(そ)の心裡既(しんりすで)に羞耻劣情(しうちれつぜう)あり、是(こ)れ既(すで)に裸体画家(らたいぐわか)たるに堪(た)へざる者(もの)なり、緑鬢金髪(ろくびんきんぱつ)を描(ゑが)くと同(どう)一の心(こゝろ)を以(もつ)て遅滞(ちたい)なく陰毛(いんもう)を描(えが)くの勇気(ゆうき)と精神(せいしん)と修練(しうれん)とあるに非(あら)ずんば、彼等(かれら)は必(かなら)ずしも警視庁(けいしてう)の愚劣干渉(ぐれつかんせう)に不平(ふへい)を鳴(な)らすべき権利(けんり)あらざるなり、

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