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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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芸苑饒舌 二十五 美術品の展覧会 其二
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| 無記庵 | 東京日日新聞 | 1901(明治34)/10/15 | 6頁 | 雑 |
所謂美術展覧会といふものが、常設のものになりにくい、すれば必(かなら)ず商店(しやうてん)となつてしまふて、買物(かひもの)の必要のある人の外(ほか)は、滅多(めつた)に観に行かぬものになる、従ひて列品(れつぴん)も作者(さくしや)は好(この)んで出さなくなる、勢ひ会社か商人(しやうにん)か何かゞ買入(かひい)れて陳列(ちんれつ)する、儲けて売る、観せる主意(しゆい)は何処(どこ)かへ徃いてしまふ、いよいよ純然(じゆんぜん)たる商業(しやうげふ)になる、といふわけはざつと前章で話した通(とほ)りで、たとひ初めは展覧会(てんらんくわい)らしく成り立ちても、程なく寂(さび)れることは、去年(きよねん)まで在つた明治美術会の展覧会が立証して居る。このごろ始めた吉沼時計店(とけいてん)のも、行いて見ると、さつぱり人が観に来て居ない@それも仏蘭西のリユクサンブウルのミユウゼエのやうに、官設(くわんせつ)か何かで、而も當代大家(たうだいたいか)の一世一代とも云ふやうな傑作(けつさく)ばかりを集めたならば、古代名作の聚珍館(しうちんくわん)と相違のないほどの価値(かち)があるのだから、常設の展覧も、毎日観者をして堵をなさしめるであらうけれども、斗■の作者の而も半日か一日でなぐりつけよ、一寸気の利いた位が落ちの軽つぽい日本画(にほんゑ)を列(なら)べたところで、何の立派な展覧会の効果を不断(ふだん)に成されるものか。矢張少々際物(きはもの)臭くはあるが、季節時々(きせつときどき)位のものにして催す方が、どの道宜いことに外ならぬ。@それにまた美術の玩賞(ぐわんしやう)といふものは、いくら高尚なことだとは謂(い)ふても、どうせ一種の慰(なぐさ)みごとであるからして、斯道(しだう)の修業生(しうげふせい)でゞもない限りは、必要な仕事として展覧会(てんらんくわい)などを観(み)に行く筈のものではない。時候(じこう)が好いからとか何とかで、公園に散歩でもする序(つい)でが、一番都合が善い。寒い時や暑い時など、わざわざ行いて観るといふは、素人にはまづまづ無いことである。西洋(せいやう)のやうに遊ぶ時間を定めて、公園(こうゑん)の遊渉(いうせう)をやる人の多い風俗ならまだしものこと、日本人のやうな無邪気に散歩して遊(あそ)ぶことなどの嫌(きら)ひな風では、なほさら、展覧会と時候(じこう)との関係(くわんけい)は必然(ひつぜん)なことである。団子坂の菊の時分、上野、隅田の桜の時分が、矢張どうしても美術展覧会を開(ひら)くべき絶好(ぜつかう)の季節であつてその外の時に開くのは、まづ野暮と謂ふたやうなものであらう@そしてまた展覧会(てんらんくわい)はなるだけ多数(たすう)の人に観せねばつまらぬものであるから、余事の序でに観る人を多くする為に、地理(ちり)の関係(くわんけい)が余程大切である。そこでおのづから上野の公園(こうゑん)が美術展覧会(びじゆつてんらんくわい)となつてしまふた。初め谷中でやつた美術院も萬代橋でやつた日月会も、みなだんだん上野へ持込(もちこ)む。人が脇目もふらず走り働(はたら)いて居る日本橋や京橋のやうな土地は、苦みの土地(とち)であつて、美術展覧会のやうな楽園(らくゑん)の興行(かうぎやう)には向(む)かないものと見える。この地理の関係がまた人の遊歩の多かるべき季節と更に二重の関係(くわんけい)を持(も)つて居(を)る@美術展覧会は、とゞ矢張春秋(やはりしゆんじう)二季位に上野のやうな所でやるべき性質(せいしつ)のものであるが。よくしたもので、上野の五号館は展覧会場(てんらんくわいぢやう)として借用の引張り紙鳶(たこ)になつて、二季の籤引(くじひ)きで諸会に借りられる。さてこの五号館の建築の維持される間は善いが、あれも保存年限(ほぞんねんげん)が既にきれて居るといふ位であつて見(み)ると、その取払(とりはら)ひになつた後は、美術協会の列品館だけでは引張(ひつぱり)り足(た)らず、諸会(しよくわい)はどうして展覧会を開(ひら)くことにするか。これに充てる建物の設備(せつび)は、今から誠(まこと)に頭痛(づゝう)になる

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