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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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画会巡覧記(ぐわくわいじゆんらんき)(一)
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| 巽園 | 東京朝日新聞 | 1901(明治34)/10/23 | 7頁 | 展評 |
上野公園(うへのこうゑん) 白馬会(はくばくわい)@上野公園(うへのこうゑん)にハ目下此白馬会(もくかこのはくばくわい)と日月会及(じつげつくわいおよ)び美術院(びじゆつゐん)一派等(ぱとう)の各絵画展覧会(かくゝわいぐわてんらんくわい)が斉(ひと)しく開場中(かいぢやうちう)である、白馬会(はくばくわい)ハ例(れい)の黒田清輝氏(くろだきよてるし)の率(ひき)ゆる洋画家(やうぐわか)の一派(ぱ)で旗揚(はたあ)げの當時(たうじ)ほどの気焔(きえん)ハないやうだが今回(こんくわい)ハ稀(めづ)らしく多数(たすう)の出品(しゆつぴん)を得(え)て頗(すこ)ぶる見栄(みば)えがある、併(しか)し自然派(しぜんは)と自称(じゝやう)する一派(ぱ)の人々(ひとびと)にせよ余(あま)りに写生(しやせい)に偏(へん)して山(やま)にあらざれバ野(の)、野(の)にあらざれバ海(うみ)と画題(ぐわだい)が定(き)まつて了(しま)つたやうで毫(すこし)も理想的作品(りさうてきさくひん)がないのハ目先(めさき)が変(かは)らず且(か)つ洋画(やうぐわ)として物足(ものた)らぬ心地(こゝち)がする茲(こゝ)にハ其中(そのうち)の多少眼(たせうめ)についたのを挙(あ)ぐるのみである、出口清(でぐちせい)三郎氏(らうし)の「百度参(どまゐ)り」ハ堂(だう)の廻廊(くわいらう)に一婦人(ふじん)の百度参(どまゐ)りしつゝある図(づ)にて全体(ぜんたい)の上(うへ)からハ屈指(くつし)の佳作(かさく)であるが少(すこ)しく前(まへ)へ屈(かゞ)んで居(ゐ)る婦人(ふじん)の体格(たいかく)が光線(くわうせん)の調(とゝの)はぬ為(た)めか不格好(ぶかくかう)に見(み)える、又後景(またこうけい)も灰色(はひゝろ)が勝(か)ち過(す)ぎて変化(へんくわ)がない、赤松麟作氏(あかまつりんさくし)の「汽車(きしや)」ハ三等車内(とうしやない)の光景(くわうけい)で夕刻(ゆうこく)の点燈頃(てんとうころ)と覚(おぼ)しきに多数(たすう)の乗客(じやうかく)を見(み)せたる中々(なかなか)の大作(たいさく)である、少女(せうぢよ)を膝(ひざ)に寐(ね)かす婦人(ふじん)、窓(まど)に倚(よ)りて眺(なが)むる男孰(をとこいづ)れも能(よ)く旅中(りよちう)の状態(じやうたい)を描(うつ)して居(ゐ)るが惜(を)しむらくハ夕刻(ゆうこく)としてランプの光線(くわうせん)が一体(たい)に強過(つよす)ぎるの感(かん)がある、マツチを点(てん)じて煙草(たばこ)を吸(す)ふ老人(らうじん)の顔(かほ)も焚火(たきび)か何(なに)かの前(まへ)に居(ゐ)るやうに赤(あか)いのハ不感服(ふかんぷく)である、此種(このしゆ)の欠点(けつてん)ハ中沢弘光氏(なかざわひろみつし)の作(さく)にも見(み)えた夫(それ)ハ書生(しよせい)らしい青年(せいねん)が矢張(やはり)マツチを摺(す)つて居(ゐ)る所(ところ)だが僅(わづか)の彩具(ゑのぐ)の加減(かげん)で大(おほ)きに無理(むり)の画(ゑ)となつた、中沢氏(なかざわし)の水彩画(すゐさいぐわ)の内(うち)で空(そら)の色(いろ)を彩具(ゑのぐ)を交(ま)ぜずに藍黄赤(あゐきあか)を用(もち)ひて米点(べいてん)のやうな書方(かきかた)で見(み)せたのがある是(これ)ハ近頃大分見(ちかごろだいぶみ)ゆるが此人(このひと)のハ綺麗過(きれいす)ぎて不自然(ふしぜん)だ併(しか)し他(た)の普通(ふつう)の作(さく)ハ皆申分(みなまをしぶん)のない出来(でき)と思(おも)ふ、小代為重氏(せうだいためしげし)の油画(あぶらゑ)ハ会員中(くわいゐんちう)の老練家(らうれんか)とて流石(さすが)に渋難(じうなん)の痕(あと)もなくスケツチばかりだが倫敦(ロンドン)、コロンボの写生(しやせい)など俗景(ぞくけい)を軽(かる)く画(ゑ)にした所一寸真似人(ところちよつとまねて)がない併(しか)し何(なに)か外(ほか)に大作(たいさく)が出さうなものだと失望(しつばう)した、湯浅(ゆあさ)一郎氏作(らうしさく)の油画中(あぶらゑちう)に輪郭(りんくわく)を赤(あか)く取(と)つたものが多(おほ)い、烈(きび)しい光線(くわうせん)かと思(おも)へバ左様(さう)でもなく唯奇(たゞき)を衒(てら)ふ様(やう)で骨折損(ほねをりぞん)の気味(きみ)ある、藤島武二氏(ふじしまたけじし)の作(さく)も未(いま)だ大物(おほもの)が出(で)ぬやうだが小品(しやうひん)ハ素(もと)より悪(わる)からう筈(はず)なし、氏(し)が近頃盛(ちかごろさか)んに試(こゝろ)みる線画(せんぐわ)が三四葉出(えうで)て居(ゐ)る、仏国(ふつこく)に於(お)ける新流行(しんりうかう)で極(ごく)の大物(おほもの)にハ適(てき)せぬ画風(ぐわふう)だが其筆意(そのひつい)も温和(をとな)しく何(なん)となく日本的趣味(にほんてきしゆみ)を帯(お)びて居(ゐ)る或(あるひ)ハ将来日本画(しやうらいにほんぐわ)にも此風(このふう)を及(およ)ぼすかも知(し)れぬと思(おも)へバ多少研究(たせうけんきう)すべき画風(ぐわふう)である

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